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信忠の本能寺

「明智がか……」

 織田信忠は、本能寺の方を仰ぎ見てつぶやいた。明智とはもちろん、明智日向守光秀のことである。時は、天正10年6月。有名な本能寺の変が起こった日である。本能寺はなお赤々と炎上していた。

「明智の軍勢が、本能寺を包囲してございます」という伝令の言葉が、今も耳から離れない。宿泊していた妙覚寺から急ぎ救援に向かったが、遅かった。父・織田信長は既に討ち果たされた。

 織田信長はすでに家督を信忠に譲っており、信忠はれっきとした織田家の当主である。信長を討った明智が、続いて信忠を狙わないはずがない。

「明智がのう……」

 もう一度、信忠はつぶやいた。あの老練で生真面目な男のどこに、謀反を起こすなどという大それた野望が眠っていたのであろうか。父を討ち、自分も討ち取ろうとしている明智に対して、不思議と怒りは湧かなかった。むしろ光秀の意外な一面を垣間見、感慨深さがこみあげてきた。人間というのは誠におもしろい。人の心など読めないものなのだ、と信忠はしみじみと感じた。明智は、なぜ謀反を起こしたのか。織田家に対して個人的な怨嗟があったのかもしれないし、もともと天下取りの野望があったのかもしれない。誰か他の者からそそのかされたのかもしれない。しかし、それは今の信忠にとって、正直どうでもいい話だった。もともと寝返り・裏切り・謀反など、この戦国の世では日常茶飯事だ。つい数か月前、甲州の武田が滅亡したのも、身内や家臣の離反によってだ。そもそも父信長に至っては、弟にさえ謀反を起こされたのだ。荒木や松永も、織田家に従っていたが反旗を翻した。

「逃げましょうぞ」

と、近習の1人が声を上げた。周りにいる数人もそれに同意するように頷く。臆病風に吹かれて言った言葉でないことは、信忠にもわかった。決して多いとは言えないが、屈強な兵士たちが手元にいる。死中に活を求めて突破すれば、何とか逃げきることができる可能性もある。岐阜に戻り、謀反人明智日向守を討伐する軍をあげる。信雄や信孝などの弟たち、柴田、羽柴、丹羽などの諸将の兵も集まれば、光秀がいかに百戦錬磨の強者であっても勝つのは容易い。

 後は......。後は、父信長の意思を継ぎ、天下に静謐をもたらすために努力すればいい。

 父ならば、と信忠は思った。もし父がここにいるのなら、自分に何と声をかけるだろうか。

 もしかすると、父は「逃げろ」というかもしれない。貴様が生きねば、織田はどうする。ともかくも逃げる事が肝要ぞ。そう言うかもしれない。

「いや、日向守ほどの男ぞ。我らが逃げる隙などあるまい。私は戦う」

 しかし、信忠は「逃げる」という選択肢を捨てた。謀反人明智光秀の心うちはわからないが、しかし彼の実力ならわかる。歴戦の雄が、そうそう易々と逃げ道をつくっているはずはない。恐らく京は封鎖されている。それならば、織田の当主としての意地を明智に見せつけてやろう。

「明智と一戦交えるのならば…」

 と、京都所司代村井貞勝が言った。彼が言うには、京都に信長が造った二条新御造がある。そこでならば勝ち目はないにせよ、ある程度の防御施設は整っている。そこにて、明智の軍勢を迎え撃てばどうか、ということであった。

「うむ。ならば、そこで明智を迎え撃とう」

 信忠はうなずき、家臣たちは「おおっ!」と声を上げた。一座のもの全てに闘志が漲っている。


 二条新御造に籠った信忠たちは、明智の軍勢と死闘を繰り広げていた。塀があるから矢玉は何とか防げる。だが城というわけではないから、持ち堪えられないのは明白だ。敗北は必至。それでも織田方は懸命に戦い続けていた。

 乱戦の中、剣を振るって勇戦している若武者がいる。織田信忠である。突き出された明智勢の槍を下から叩いてはじき返し、そのまま返す刀で切り下げた。甲州武田攻めでは、武名を上げた信忠である。明智勢を前に、そうそう易々とくたばるような男ではない。

「があッ!」

 掛け声を上げて、さらにもう一閃。横合いから襲い掛かってきた巨漢を薙ぎ払った。返り血を浴びて、信忠は赤黒く染まっている。それでもなお、一人でも多く倒そうと、暴れまわっている。明智に少しでも織田の意地を見せつけるために。

(あれは、弥助ではないか...?)

 奮戦しているのは信忠だけではない。明智勢を相手に立ち向かっている黒人の大男がいた。父信長が気に入って部下にした、弥助である。確か本能寺にいたはずだが、ここにいるということは本能寺を突破して駆けつけたのかもしれない。事実、信忠と共に戦っている者たちの中には、本能寺から脱出して合流したものも少なくない。なるほど、明智は裏切った。しかし最後の最後まで自分たちと共に戦い抜こうとしている忠臣たちもたくさんいるのだ。

「明智よ、見たか!これが織田の力よ!」

 織田信忠は、叫んだ。

 天正10年、6月。二条新御造は、明智方の放った火によって、本能寺と同じように赤々と炎上した。

 


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