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ボアダムス『スーパー・アー』(1998)

アルバム情報

アーティスト: ボアダムス
リリース日: 1998/5/25
レーベル: ワーナー・ミュージック・ジャパン(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は27位でした。

メンバーの感想

The End End

 ラリーズの時に”甘いノイズ”と書いたけれど、このアルバムの1曲目を聴けば意味が分かると思う。これこそが、本当にイヤホンで聴いてはいけないノイズです。タイムストレッチしたりリバースしたり、『Loveless』みたいにこれもまたサンプラーがあるからこその音像だ。
 シューゲイザー/ドリームポップのことを”素直にポップをやれない恥ずかしがり屋さんの音楽”だと思っていて、このノイズもそういうことなのかしら…などと考えていたのだけど、最後の曲で半ば確信に変わった。少なくとも尖ったことしてるつもりは無いんだろうな。

桜子

 自分はこれを、環境音楽を聴くような気持ちで聴いてしまいました。
 綺麗に整備されているものというよりは、目に映る景色や、頭の中に浮かんだ、自分では制御できない大きい世界を、事象を、画用紙に描いているような、はたまた記録しているような、そんなもののように思えます。
 自然の摂理を"理解できない"からこそ生まれる畏しい気持ちを、聴くと思い出します。

俊介

 最高の1時間でした。ありがとう、、。
 昔、サブスクで聴いたときは怖くて怖くてしょうがなかったけど今になったらめちゃくちゃ愛せた。愛聴盤。
 ボーカルも楽器として扱われてて気持ちよかった。全体にそつがない。この後どう転んでいくかまったく予想つかないけど、転んだ先は全部気持ちい。晴れた日に、日差しにあたりながら目を瞑って瞼越しに光を感じながら聴くと半端ない。違うところにいける。

湘南ギャル

 一周目の一曲目、五里霧中ってこれのことっすか?ってくらい訳がわからなかった。アルバムが進むにつれて、頭は相変わらず何もわかっちゃいないものの、身体はノリに乗っていた。最後の曲を聴き終えて、間髪を入れず一曲目に戻る。全然違う!一周目はどこにあるかも知らない暗くて深い森を手探りで歩いてる感じだったけど、二周目になったら目が見えるようになっている。どこにある森なのかはわからないままだけど。でも、しばらくここをほっつき歩くのも気持ちがいいかな、くらいにはなっている。スルメ盤のにおいがビンビンにするなあ。企画の性質上、長期間聴いた後の感想が書けないのは残念だけれど、十年後くらいにひとり振り返ることにしよう。

しろみけさん

 “わかる/わからない”と言いたがるのは、いつだってわからない側だ。そして、かくいう自分もわからない側である。そう、私は『スーパー・アー』が“わからない”。ノイズなりインプロなりが嫌いなわけではない、むしろ一般人以上には好んで聞いている自負はある。しかし自分の場合、不定形に見える作品の中にも秩序の存在を求めがちで、そこからの逸脱の遠心力が放出された時の飛距離を娯楽として消費している節がある。
 ただ、『スーパー・アー』にはそれがない。秩序が不在だからこそ、逸脱もない。“アウトサイダー・アート”と括れる代物でもないだろう、なぜならこれは何かの周縁に位置するものではないからだ。そして、結果的にそうなったとしても、生まれた瞬間の『スーパー・アー』はカウンター・ソングではない。あらゆる対置を諦めざるを得ない作品をどう聞けばいいのか、ついに私には“わからない”。もしかしたら遠い昔にはそれを覚えていて、単に忘れてしまっただけなのかもしれない。そういう意味で、この作品が唯一置かれるべき場所は、踊り方を覚えていたかもしれない、不明のプリミティブな過去なのかもしれない。

談合坂

 企画の性質上、毎回デスクとパソコンの前に座して音源を聴くことになるのだけど、今回は確実にこれじゃ足りていないなと思った。これを受け止めるのに私が今いる場所は狭すぎる。移動していく周波数の山だってもっと高いはず。
 でも、なんだかカジュアルにノれてしまうところにも魅力があるように感じた。こういう日常もあるよな、みたいな納得感。

 これ、シューゲイザー?シューゲイザーです。マイブラから声やメロディーを軸にした展開を削いだseefeelというバンドがいて、彼らにとても近い。曲の展開のさせ方がDon Cabaroとかの初期ポストロック/ポストハードコアバンドみたいで早く聞けば良かった!と新鮮だった。というかめっちゃ好き。凄く好きです。声とリズムで呪術的なアプローチを行うのはGEZANみたいだし、私の好きなアーティストの要素が沢山入ってる。良いなぁ。スーパーカーのボーカルのナカコーはジーザスアンドメリーチェインよりボアダムスが好きらしい。

みせざき

 各々の音が重層的に重なって一つの音となったり、シューゲイザー的アプローチが印象的ですが、ギターの音が意外にもナチュラルな歪みなのでその分聴きやすさが強いのが印象的でした。咀嚼すればする程良さや魅力により気づける気はするが、まだその段階にまでは行っていない段階です。何処となく感じるこの聴きやすさと聴きづらさの両極を理解出来るように頑張ります、、

和田醉象

 このアルバムが選ばれるんだ、とちょっと意外な気分。日曜の夕方、着座して聞く。何度聞いても緊張感のある内容だ。ノイズの音源って何度聞いても同じ内容のはずなんだけどいつもいつもその度に実は違う音が流れているんじゃないかと思わせるほどの緊張感。(滲有無がいいともで流れた時みたいな話だけど)
 曲の「Super Are」何度聞いてもいいね。想像以上にトライバルなんだけど、同時に多幸感に。つつまれる。久しぶりに音楽で癒されたかも。

渡田

 音は何重にもなっているし、メロディはスピーディで、賑やかともとれるんだけれど、それ以上に近寄りがたい印象がある音楽。
 人を寄せ付けない宗教的な歌詞と妥協ないハウリングのせいかと思う。
 一般とは完全に隔たった文化を思わせて、曲が終わると音楽の痕跡が跡形も無くなるような印象がある。

次回予告

次回は、クレイジーケンバンド『パンチ!パンチ!パンチ!』を扱います。

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