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ナンバーガール『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』(1999)

アルバム情報

アーティスト: ナンバーガール
リリース日: 1999/7/23
レーベル: 東芝EMI
「50年の邦楽ベスト100」における順位は71位でした。

メンバーの感想

The End End

 EMIのスタジオで録ったけど仕上がりに納得がいかず、地元福岡の決して高級じゃないスタジオで録り直したというのは有名な話。EMIのスタジオが悪いわけではなく、むしろそのスタジオは閉鎖される際に山下達郎がコンソールを数ch買い取ったと言われるほど”音が良い”評判のある場所だったのだけど、でも録り直したものを聴いてスタッフ全員が”こっちの方が良い”と思ったというのだから恐ろしい。実際本当に素晴らしいサウンドだし。
 これが恐らく細野の言う”サムシング・エルス”というやつだと思うし、思えばこれって『HOSONO HOUSE』以来の、空間を丸ごと閉じこめたスタジオ盤かもしれない。エレキギターの生音のアタックがマイクに入り込んでいることが、この音像を決定づけている。
 これは人と話していて出た半分受け売りみたいな話なのだけど、向井が歌っている出来事や女の子は、おそらくさほど特別なものではない。きっと誰にでも、私やあなたも身に覚えがあるような取り留めのないものだ。特別なのはたぶん感受性の方で、向井秀徳はセンセーショナルな出来事を歌っているのではなく、なんでもない出来事をとびきりセンセーショナルに歌っているのだと思う。そこに我々は、親しみやすさと確かな断絶を同時に感じ取るのではないか。

桜子

 頭でっかちに、知識優先に曲を作ってしまう今の私には絶対辿り着けない境地だと思う。ああ羨ましいロマンチック...
 どうやったら綺麗に聴こえるかとか、いかに違和感を無くすか、という過程を経て曲作っちゃうけど、やっぱりそういう事じゃないんだよな...
 音楽っていうのは、人に聴かせるものじゃなくて、自分が発光している様を見せるものなんだ...

俊介

 なんとなく勝手に90年代に抱くイメージは、オヤジ狩りとか援交とか、それより以前の年代よりも幾分ジメジメしてるものだけども、それを一番表現してるなって思うのが、NUMBERGIRL、このアルバム自体は後のアルバムに比べて、時代のザラつきよりも青春のイノセンスによりフォーカスしてる気がするけども。
 向井秀徳のナードにもジョックにも偏ってない、ものごとに絶妙な距離感を保った詞の丁度よさは、当時から変遷を経た今でもリスナーの支持を受けてる点からも垣間見える。
 インタビューを読んだり、「三栖一明」を読むかぎり、向井秀徳はやくざな生活と一般的な生活を同時進行してたやつにしか穿つことの出来ない日常のギリギリを攻めてると感じる。
 多分、背伸びしたタイミングで安吾を読んだ時もハッカのタバコ吹かしてたカスの中学生時代も、マジで受験モードだった高校生時代にも響いてくれたのは歌詞の中庸性他ならず。

湘南ギャル

 いくらバンド形式の音楽でも、注意して聴いていないと特定のパートを聞き逃すことがある。でも、ナンバガに限っては絶対にそんなことがない。どんなにぼけっとした顔で聴いていようが、全てのパートが同じ力強さで耳に入ってくる。ひとかたまりなんだけど、その内訳が綺麗に見える感じ。あー、ナンバガの感想を言葉にするのめちゃくちゃ難しいな。和太鼓とか聴くと、なんか胸打たれるな〜って思うけど、なんで胸が打たれるかって自分でもよくわからないじゃないですか。ナンバガもそれです。論客用無し。

しろみけさん

 ローファイとノスタルジーには「美化される余地が残されている」という共通点がある。そして残された美化のプロセスをなぞることにより、どれだけ歪な形であろうと、各々が各々の最も美しいものを組み上げようとする。こうして最終的には唯一無二の、極私的なプロダクトがその場で完成される。そういう意味では、ガサガサの青春を、ガサガサの爆音でもって手渡してくるこのアルバムは、相互的な作用を期待している作品と言えるかもしれない。みんながみんな、「ぼくらの」ナンバーガールを所有でき、後年まで多大なる影響を及ぼしているのは、汚いからだ。それを記憶の中で磨くことによって、青春とナンバーガールはまばゆい輝きを放つことができるようになる。

談合坂

 スピーカー越しに聞こえてくる質量のある音って、例えば床に落下してくるクラブミュージックのキックだったり耳に突き刺さる弦の音だったりがあると思うんですが、これはどこからともなく襲いかかってくる巨大なげんこつという感じがします。触って傷ができるような角があるわけではないけど、あらゆる音が集合して緩衝材もなにもない鈍い塊になって降ってくる。先日某大で向井秀徳のライブを観てきましたがどうしてそんな音が出せるのかはあまりに自然でよくわかりませんでした。

 ナンバーガールがピクシーズとかハスカードゥーに影響を受けていわゆるオルタナみたいなサウンドになったこと、ブッチャーズやイースタンユースといった北海道のシーンと共鳴していたことは知っていたけれど、この企画のおかけでフリクションとかINUなど「日本のロック」が連綿と繋いできたギターロックの系譜にしっかり位置していることが分かって良かった。今んところ固有名詞に逃げてばっかりだけど、何回聴いてもナンバーガールの音を音以外の何かで説明できるとは思えないです、やっぱり。

みせざき

 向井秀徳のノリというのか声というのか、熱狂的にハマる人とそうで無い人が居るのかなと思います。が、自分はどちらかと言うとハマり込めないタイプでした。ちょっとこれは向井秀徳のあの熱苦しい感じというか人柄というかスタイルというところが起因してると思います。あとライブとかでの観客のノリ方とか熱心さを見て、自分はこうまでは深く入り込めないかな、、と少し思ってしまうこともありました。
 でもこのアルバムの曲は結構好きだったりしました。歌のメロディーとギターコードのつり合い方というか、ナンバガにしか絶対出せない音楽なのに凄く聴きやすく親しみやすさがあります。そう思うと向井秀徳は歌に関しても実は凄いメロディーメーカーなのかも知れないですね。もっと好きになれるように頑張ってみます。

和田醉象

 あっ!!!!!ナンバーガールの話をしていいんですか?!!!?!しますよ!?!?!
 というのはさておき、自分はナンバーガールの初期も末期も好きなんだけど、このアルバムが結構バランス取れている気がする。
 ただ前作にあった、早朝の、登校途中のひんやりとした空気をまとう爽やかな感じは消え、夏の昼間の暑さに注視された感触があり、これはこれで独特。全体的に音像に蜃気楼がかかっており、ボーカルが遠いのとうまい感じ噛み合っている。向井的には恥ずかしいからみたいな理由でマイクから遠ざかったみたいだけど、正解だったな。ベースとスネアドラムが殴ってくるみたいな音像も大正解。The Whoみたいに、全部のパートがリードパートやってるみたいなはしゃぎちらし感と緊張感が伴うライブ感。
 全曲捨て曲無し、ライブのキラーチェーンだったのも頷ける出来。(「YOUNG GIRL〜」だけ未だにすごく苦手...これが入ってあるというだけでこのアルバムより他のほうが好きだった時期もあるくらい)
 ただ、次作に入ってる「TRAMPOLINE GIRL」はこっちに入っていたほうがバランス取れたのにな〜と未だに感じる。
 こんだけナンバーガールが好きなのにギターが下手なばっかりに終ぞコピーバンドやらずに終わった。誘われもなかったしね。当然か。

渡田

 ギターの歪みがカッコいい、ドラムの響きがカッコいい…音楽に対してこうしたひたすらにシンプルな感想を抱くのは高校生ぶりかと思う。それだけ…大きな音、歪み、ボーカルの声……軽音楽をカッコよく見せるための必要最低限の要素が取り揃えられている感じがした。
 リフやエフェクトは凝りに凝られたものとは違う、シンプルなものだけれど、同時にごまかしも妥協もないことがはっきり分かる。結果として残るのは、いやらしさの全くない、爽やかで垢抜けた印象。この印象がいかにも高校でバンドを始める時の、原初の軽音楽への憧れによく似ていた。

次回予告

次回は、Hi-STANDARD『MAKING THE ROAD』を扱います。

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