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イエロー・マジック・オーケストラ『BGM』(1981)

アルバム情報

アーティスト: イエロー・マジック・オーケストラ
リリース日: 1981/3/21
レーベル: アルファレコード(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は46位でした。

メンバーの感想

The End End

 聴くといつも思うのは、やはりリズムマシンというものが登場すると一気に馴染みのある“テクノ”になるな、ということ。記譜でもヘッドアレンジでも直線的なプログラミングでも自然にはこうならない、16ステップのループに乗っかって作らないとこうはならない気がする。“ループの陶酔感”という概念が今日のような形で理解されるようになったのは、シンセサイザーではなくリズムマシンがきっかけなのかもしれない。(もちろん、それ以前にも反復がキーになる音楽は色々ありましたが。)
 中盤以降の展開は、組み立てられたものというよりは出口を探して彷徨っているようなムードがある。そして「キュー」では“この袋小路から抜け出す術はあるはず”と歌われ、「来たるべきもの」では無限音階が使用されているように、最後まで視界が開けないまま幕を下ろしてしまう。ここからよくテクノデリック作れたな…
 好みで言うと、「ラップ現象」と「ユーティー」が抜群に好き。

桜子

 SOLID STATE SURVIVOR のようなアルバムもあればこういった自分達がやりたいようにやっているアルバムもちゃんとカッコいいの凄いところですよね。
 千のナイフのコード進行は独自性がありながらも、私達に変な違和感をもたらせておらず本当に美しいものだと思います。

俊介

 いつきいてもかっこいいー、初期の頃に比べたらアンチポップ的ではあるんだけれども、アルバム全体に茶目っ気みたいな要素を感じて、すごい聴いててほっこりすることが多いです。いい意味でクールじゃない。
 偉大なアーティストの作品聴いてると「よくこんな変な音とかメロディから作品をつくれると思ったな」て気持ちになるんですが、やっぱりYMO聴いてるときにいちばん思う。
 過去に対しても未来に対しても敏感なアンテナを張り続けてた3人だったんだな〜と実感。

湘南ギャル

 ソリッドステイトサヴァイヴァーで仄かに感じた日本的なダサさと、増殖で溢れ出ていた茶目っ気。2つのアルバムの印象から、YMOには、人間味やある種の身近さみたいなものを感じていた。 今回は、その印象からは遠い。疲れてる時って音楽聴けなくなったりするけど、こういった無機質で正確なサウンドだけは聴ける。高品質ヒーリングミュージック。

しろみけさん

 臨床実験。発売されたばかりのTR-808が、一定のパターンのリズムを執拗に刻む。椅子に足を組んでゆったり鑑賞するには早く、アシッドなものとして食べるには遅い。その上「バレエ」や「ラップ現象」でのボーカルは強烈にエディットされていて、詞を聞かせたいのか聞かせたくないのか分からない。そして、そんなYMOの中でも最も居心地の悪さを感じさせるこの作品に『BGM』というタイトルをつけるシニカルさ。3人の活動それ自体が、音楽を通じた臨床実験だったことを一番端的に表すアルバムだし、その実験が終了したのちに録音物としての評価が追いついてくるのも美しい。

談合坂

 奇数拍に重量があるからなのか、日本のポップ音楽と通底している印象ははっきりと感じられる。でも、今までとは違う新しい時代を見ていることもしっかりと伝わってくる。まだ全体像なんて見えていなかったはずなのに、既に確立されている80年代。家にはデジタルゲーム、車にはデジタルメーターにリトラクタブルライト……
 「来たるべきもの」がかなり好きです。

 初めて聞いた際に自分の音楽における語彙とこの作品を結びつけることが出来ず、暗い作品だな…と認識し、少し距離を置いてしまったことを良く覚えている。今改めて聴くと人間的なフィーリングをかなり備えた作品だとわかる。3人の楽器のタッチやスタジオでの試行錯誤が盤に刻まれている。同時にアニメ映画「AKIRA」が表象した未来都市・TOKYOのような栄華と荒廃を予見していた時代のサウンドトラックにも聴こえる。

みせざき

 取っ付きやすさも少なく、実験的要素もかなり多い作品だが、B2 unitを経た上で聞けたので、機械音、シンセ音の不協和音がYMOのサウンドとしてまとめ上げられる過程を見ることができた。詩もこれまでと違い含みのある英語詞だが、サウンドの何処かにしっかりとあの3人の存在感、温かみがあり、しっかりとYMOらしさ、感じることができる。とても実験的だが千のナイフのような普遍的なメロディーも兼ね備えているのも流石だ。ただこちらのバージョンを聴いたことが無かったので、ここまで硬派な音像の曲であったことは知らなかった。

和田はるくに

 自分の中ではどうしてもYMOの作品というとSolid State Survivorと比べてしまう。前にここでも書いたが、自分の音楽観の分水嶺となったような作品でもあるからだ。
 そのSolid〜を初めて聞いた小学生の時、全然ハマらなかったのであり、それは現在でも尾を引いていて、「YMOはダサい、イモい」「別なもん聞いたほうがマシ」という感覚が関連諸作を遠ざけ、大変もったいない思いをした、というのはこの企画で大変痛覚しているところでもある。
 だが、BGMだけはYMO好きの友達にある時「CUEだけは一度聞いてみろ」と勧められて以来、アナログでも買ったぐらい好きなアルバムだ。今回改めて通しで聞いてみると、ウケ狙いベースなSolidと比べたときによりテクノにかじを切っているというか、「ハッピーエンド」なんか不穏なアンビエント味すら感じさせる心地よさ。
またここを入り口として、YMOに触れていきたい。

渡田

 以前のYMOのアルバムでは電子音の小気味よさが楽しめたのに対して、今回は電子音の妖しさが聴いていて楽しかった。
 特定の楽器の音は目立たず、一体何から発せられているか分からないような金属音や機械が作動する時みたいな音、予測不能にうねる音が主なメロディを作っているのだけれど、それでもコンピュータ上の技術のみで作られた電子音楽というよりかは、生のバンドの音楽として聞こえたのは、この雰囲気が80年代イギリスのポストパンクやニューウェーブといったバンド音楽のものと似ていたからだと思う。特にポストパンク期のJAPANと似ている。暗い声もデヴィッド•シルヴィアンのよう。
 個性あるバンドサウンドになっているのは、ロックらしい音、ポップらしい音を出すことよりも、自分たちのアイデアを見せることを優先した結果だろうか。

次回予告

次回は、暗黒大陸じゃがたら『南蛮渡来』を扱います。

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