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坂本龍一『B-2 UNIT』(1980)

アルバム情報

アーティスト: 坂本龍一
リリース日: 1980/9/21
レーベル: アルファレコード(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は64位でした。

メンバーの感想

The End End

 一曲目からホントに最高。オウテカなんかにハマっていた頃、同時に出会って超興奮したのをよく覚えている。“アンチYMO的なものを”と意気込んで作った作品であるわけだけど、どう考えても結果として『BGM』以降のYMOの雛形になっているサウンドだと思う。その辺、教授にとっては皮肉なことだったのかな…
 “エスニシティを剥ぎ取った、純粋な手法としてのダブ”みたいな意識を感じる。ダブは必ずしもレゲエを背負わなくても良いのです、みたいな。もしかしたら文化盗用だ、と言うこともできるのかもしれないけれど、ルーツやジャンルの枷を外してツールや手法の可能性を追求するという態度は個人的に大好き。エレキギターをアンプに繋がず、生音を直接録音して使っているところにもそれは表れているような。

桜子

 この作品に込めた坂本龍一の想いがみえない...私は彼について詳しくはありませんが、それが彼の音楽に対する誠意だと私は感じました。
 私は、音楽というものは、作者が狙った心の場所に作用されるべきではないと思います。自分の知らない場所を教えてくれる、そんなものだと信じていいます。
 身体を飛び越えた、意識が連れて行ってくれる世界がこのアルバムにあると、感じました。感動いたしました。

湘南ギャル

 interludeが挟まってるアルバム、皆さんは好きですか?私はいっちゃん好き。B-2 UNITは、interlude的なおいしさをずっと味わえるアルバムだと感じた。それぞれの曲が、前の曲の余韻を残しつつ次の曲への予感も匂わせている。それでいて、その曲自体の香りもある。アルバムの流れというか、曲同士の接合がめちゃくちゃ綺麗。
 それと、interludeといえば何かをサンプリングしたり、環境音とか人の話し声とかを入れたりってのが多い気がするけど、このアルバムはそういうことはしていない。全部坂本龍一の引き出しから出てきた音だ。その引き出しがドデカすぎて、サンプリングだったり環境音だったりが混ざっているような感覚に陥る。そう錯覚するくらいの多彩な表情が、この一枚の中にあった。

しろみけさん

 テクノもエレクトロニカも、まだ方法論として確立されていない時代のアルバム。そんな気がするし、そんな気がしないでもない。強いて言うならこのアルバムは「ダブの手法を取り入れて作成された」らしいけれども、現代の人間が「ダブやってみよう!」と思ってこういうアルバムを作ることはまぁないだろう。どの方法論にも適っておらず、だからこそ坂本龍一の身体的な魅力を最もダイレクトに感じることのできるアルバム。かといって「『B-2 UNIT』が最も坂本龍一らしいのか?」と問われても、簡単には首を縦に振れない。むしろ氏のディスコグラフィに照らし合わせれば異色作に分類されるのが、これまた面白い。

談合坂

 このアルバムを同時代の感覚で位置付けることが叶わないのが悔しい。全てがすぐ近くに存在するヘッドホンとインターネットの時代である今日の’電子音楽’と変わらない感覚でこれを聴いているのってだいぶもったいないのかも……などと考えてしまった。
 単純に当時の電子音楽に通じる話かもしれないけど、あくまで人間臭さが残っているところが魅力になっている気がする。

 首都高とか新宿のビル群を遠くから眺めるみたいな、無機質な、ストイックな音が聞こえる。それはインダストリアルって言葉で形容される音楽にも近い。執拗に繰り返されるドラムパターンで構成された1曲目に「differencia(差異)」と名付けるなど、坂本龍一はこちら側が楽曲に潜む幾重のベールを剥がす作業へ自然と導いてくれる作家だなと思うし、だから「教授」って呼ばれてるんじゃないでしょうか。

みせざき

 シンセの不協和音のような旋律が何故かとても癖になる感覚がある。一聴した段階から結構クセになってしまった。中毒性がかなりある。かなり好きかもしれない。

和田はるくに

 ほんとすごい。この企画で聴いた中一番感服したかも。
 結構アンビエント的な反復が入っていて、ずっとぼうっとして、没入して聞ける。「Participation Mystique」とか吉村弘の作品が最初始まったのかと思った。
 だが、それでいて、パンク的な、懐にナイフ隠し持っとるぞ、おら。みたいな顔したフレーズで聞いてる中で結構戦っている気分になれる。この按分で作品構成してるアルバムは初めてかも。素直に感動できる。
 教授が亡くなった前後で「このアルバムがすごい!」的なツイートをする人が多かったけど、大納得。今年一のフェイバリットと言っても差し支えねえな、これは。アナログで丸っと聞いてみる経験もしてみたい。

渡田

 工場ステージ。
 骨格部分は一つのメロディラインの繰り返しなのだけれど、そこにどんどん新しいフレーズや明滅する電子音が追加されて、曲が進むにつれ複雑な緩急が出てくるところが、ゲーム音楽を思い起こさせたのかもしれない。
 サビで一気に引き込むような音楽とは別種の音楽だと思った。
 根本的には同じメロディの繰り返しであるから、聴いているうちに曲が流れていること自体無意識になってくるのだけれど、そのせいで、知らぬ間に曲が複雑で激しくなっていて、知らぬ間に自分もその音楽に入り込んでいる不思議な感覚。
 正に、コントローラーを構えてゲーム画面に釘付けになる時の、誰かに指摘されるまで自分では気づかない虚な夢中さに近いと思う。


次回予告

次回は、山下達郎『RIDE ON TIME』を扱います。

#或る歴史或る耳
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#アルバムレビュー
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