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星野源『YELLOW DANCER』(2015)

アルバム情報

アーティスト: 星野源
リリース日: 2015/12/2
レーベル: JVCケンウッド/ビクター(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は95位でした。

メンバーの感想

The End End

 「桜の森」をリアルタイムで聴いた時の柔らかいワクワクが蘇ってきて普通に涙が出てきちゃった。
 曲によってはスウィングしているものもあるけど、全体的に、"うねるリズムをスクエアに、でもシーケンサーではなくヒトの手で鳴らす"みたいなテーマを感じる。ディスコやファンクやR&Bやネオソウルやその他諸々の揺らぎや微妙なズレを敢えて追いかけない、ビシッと揃った生真面目なリズムこそが"Yellow"だ、というのは、某オーケストラの秘伝のタレでもあり。
 どちらも、腰をうねらせて踊る以上に、その場に立って、縦に揺れながら手拍子を打つ姿が自然とイメージされるのは、そのせいじゃないかと思う。その点では山下達郎とか、リバイバルされたシティポップと呼ばれる音楽たちにも近いのかも。あれらも、"本場"に精度高く肉薄するサウンドに対してチグハグなリズムの"揺れてなさ"が面白がられているものだと思っているので…
 例えば「Snow Men」とか、"ズレ"をあからさまに使うことなくこのムードとどっしりした腰つきを出せてるのヤバすぎる。洋楽コンプレックスに打ち勝つために極度に洋楽っぽい音楽がもてはやされる、という転倒した図式はよく見られるけど、「Snow Men」のリズムのように、星野源は"日本のポップス"を背負ったままで世界と繋がれることを証明し続けてくれているから大好きだ。

桜子

 私の10代にこのアルバムがあって、星野源がシーンの先頭を走ってくれたことで、どれだけの恩恵を受けたことか...
 星野源は、強い。それは、男らしくてフィジカル的な力がある、とか、ストレス耐性に強い、とかそういう事じゃない。暗い過去だとか、死とか、寂しさとか、恥ずかしい事も、全部向き合って、それらをそのままに同居させつつ、明るさの色を加えて、昇華できる。
 弱いものは弱いままでも、寂しいままでも、暗いままでも、明るく生きていて良いんだと思える。それを私に教えてくれた始まりのアルバム。

俊介

 JPOPとかよりもっと大きいところに勝負を仕掛けてることは、YELLOW DANCERってタイトルそのものが表してくれてるものの、やっぱりこのJPop的な訴求力。緩急つけつつ一気にアルバムを縦断してく力強さ。キャッチーでキューティーなビューティ。
 初めてこのアルバムを聴いた中学生の頃のスキーのリフト上でも、このリクライニングのソファの上でも何時でも新しく響くこの感じ。
 ある種の世界に向けて舞うYellow dancerは2023年の今でも、極東に或るこの耳を楽しませてる。

湘南ギャル

 歌番組を観てると体調が悪くなるくらいにはヒットチャートとの相性が悪いのだけれど、星野源はそんな私すら包み込んでくれる。脅威の包容力。さすが、音楽オタクからお茶の間、果ては時の首相にまで愛された男だ。ポップソングであるのは確実なんだけど、元気すぎず、押し付けがましくなく、どこまでもフラット。キラーチューンが盛りだくさんなのはもちろん、同じ曲がスルメ曲としても輝くのがすごい。リズム隊のグルーヴ感が気持ちよさを生んでいるからなのかな。キャッチーさと奥行きが共存していて、飽きることがない。でもインスト曲まで良いなんて、さすがにちょっと憎たらしいよ!

しろみけさん

 まず、このアルバムを聞けないシチュエーションが思い当たらない。前のめりな音圧じゃないから、聞いてて疲れない。適度にプレイヤーのエゴが背景化していて、良い意味で中庸な演奏になっているのも大きい(口で言うのは簡単だけど、これってめっちゃ難しそう!)。その上、「SUN」でマイケル・ジャクソン、「Crazy Crazy」でクレイジーキャッツとシングル曲での引用も忘れない。「地獄でなぜ悪い」や「Nerd Strut」からは細野晴臣の影響を如実に感じる。改めて、このスタンダードを作れてしまうスターが存在する時代のチャートを追えていることが、とてつもない幸福だと気付かされた。

談合坂

 本当の本当にリアルタイムで出会った作品が出てくるのが初めてなので、感情移入しすぎないようにしないとなと構えていたけど、その体験は音楽趣味と離れた思い出にあったみたいで、むしろ新鮮な気持ちで細部に聞き入っていた。
 奥まった(吸引力のある?)キックと飛び出したベース、上空に纏うウワモノみたいな、ポップに留まりつつもバンドサウンドにパリッとしたクラブ鳴りの心地良さを兼ね備えたような音が今の私にはどストレートに刺さって楽しい。
 何より、そういうサウンドのこととか気にしていなかった中学生にもこれがリーチしていて、色々な音楽経験をしてきた今でも新しい入口を開いて待っているんだから、本当にデカい存在だと感じる。中学生の持っているイヤホンで聴いていたYELLOW DANCERも、モニターヘッドホンで聴いているYELLOW DANCERも、変わらず楽しい場所に連れて行ってくれた。

 「YELLOW DANCER」でどの曲が好きか?という話をすると各々で挙がる曲が別れる気がする。とはいえここまでトーンがバラバラなキラーチューンが多いのにも関わらず、不思議とアルバムを通して聴くと統一感がある。
 それは「YELLOW DANCER」がどこまでも素直な星野源、等身大の星野源で出来ているからだろう。敬愛するアーティストへの賛歌、病室からの眺め、エロティックな記憶や欲。ブラックミュージックや白人音楽や日本の芸能音楽といった彼が愛する音楽をふんだんに取り入れたとしても、パズルやコラージュのようにアルバムを組み上げているのではなく、全て星野源が一度血肉として取り込んだ物を素直に練り上げたからスルッと一枚を通して聴けてしまう。
 久しぶりに聴いたら「SUN」の歌詞で少し感極まった。このアルバムのスネアの音くらい全てがスッと入ってくる。そういえばただのロック小僧だった私を変えたのはこのアルバムと星野源が紹介してくれた音楽達だった。星野源、ありがとう。

みせざき

 星野源のアルバムを通しで聴いたことが無かったのでただの私的イメージでしたが、星野源はR&Bオタクであり音楽への情熱も凄さまじくアルバムでもかなり土着性のあるR&Bを予想してましたが、意外にもテレビでイメージする星野源そのもので入り込める作品だと思いました。こんなにも柔らかく親しみやすい、まるでエレベーターミュージックのような(悪い意味じゃ無いです)無害さを感じさせるサウンドが統一されている作品は新鮮でした。サウンドより一曲ごと、また一曲の中での速さ、リズム、ドラムのビート、オカズなどで緩急を付けられているのが凄いと思いました。

和田醉象

 感じ取れる情報量がバカ多い〜!関心のある芸術家の個展に行ったときくらい、受動的にも能動的にも受け取れる情報が多い。そして何より楽しい。(これは私個人が星野源に関心があるのではなく、アルバム自体にそういう特性があるのだと言いたい)
 この後にPop Virusが控えているので、本当に世の中的に星野源が知られる曲はここにはないんだけど、個人的にトロはここだと思う。パネルリズムを駆使して、別に曲を知らなくても引き込む掃除機みたいな構造をしている。集めておいて…の次作が展開できるのだから本当にすごい。
 「地獄でなぜ悪い」とか完全に個人的な話なのに毛嫌う前に、猛スピードの列車に拉致されて連れていかれる、楽しもうとする前に楽しんでいる、無茶苦茶な愉快さがある。
 日本にモータウンがあったら、引っ張っていっているのはちょうどこんな感じの音楽なのかもしれない。日本人好みの内容だ。(その世界線で、「ミスユー」とかでチャートインしていてほしい。)

渡田

 2015年のアルバムでありながら、細野晴臣や大瀧詠一ら、70年代の日本のロックの旗頭になった人たちの音楽と似た雰囲気を感じた。
 地声を活かした無理のない歌い方や、余裕を感じさせる歌詞の内容なんかが、1970-80年代の彼らの音楽を彷彿とさせたのだと思う。
 それでいて不思議と古臭さは感じない。軽快なバンドサウンドやキャッチーな電子音のフレーズとかは新鮮で垢抜けた印象があった。
 日本の音楽の様々なジャンルから、新しいところ、面白いところをそれぞれ吸収して、かつて細野晴臣や大瀧詠一たちが見つけた「日本語のロック」の形にまとめている感じ。

次回予告

次回は、CHAI『PINK』を扱います。

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#アルバムレビュー
#星野源


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