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頭脳警察『頭脳警察セカンド』(1972)

アルバム情報

アーティスト: 頭脳警察
リリース日: 1972/5/5
レーベル: ビクター音楽産業(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は86位でした。

メンバーの感想

The End End

 とにかく真っすぐ。サウンドも、アレンジも、メッセージも、皮肉や揶揄のやり方でさえも真っすぐだと感じた。そして、この作品やそこに込められているメッセージに共鳴できないのは世界の姿が変わったからなのか、或いは自分がボンヤリした人間だからなのか定かではないが、自分のためのアルバムである気がしない、というのが率直な感想だった。
 演奏もあまり上手くないし、録音もあまり良くない。これは好み云々ではなく、”何を目指していても到達できているとは言い難い”という種類のものだと思う。ただ、今まで接してきた語られ方を見るに恐らくレコードよりもライブで見てナンボ、というバンドのように感じるので、どこかでライブの模様を確認する必要がありそう。ここまで言ってること全部野暮なのかもしれないし。
 1曲目のリズムがどことなくアフロっぽくて、レディオヘッドのThe National Anthemを想起しました。

桜子

1曲目の左耳で鳴っているガラガラしたギターの音がカッコいいです。
先日までこの企画で聴いたはっぴいえんどやフォーク音楽の流れは汲んでいるものの、違う感じ。だからと言ってSATORIよりは激しくない、日本の大衆音楽に幅が出てきた事を実感するテンション感のアルバムかなあと思いました。

俊介

 とある漫画の影響で、小学生という中々早い時期に聴いた覚えがあります。とりあえず銃を取れ〜マラブンタバレーのベースがひたすらかっこよくて、はじめて音楽におけるベースの存在を知覚したのがこのアルバムだったかな。
  時を経て聴いてみると、歌詞の方に耳をもってかれる。
  当時の安保闘争を背景にして、政治的な主張が大半だけど流石名盤、「俺にはコミック雑誌なんかいらない」や「いとこの結婚式」然り、政治的な主張を誰しもが経験しうるパーソナルな状況なり空間なりに落とし込んでる。でもあんま好きんくないです、やっぱり主張が強いので。
 でも、ある意味派手で極端な主張が色眼鏡で見られるような今、ステージの上で過激な言葉を聴衆の前で叫んで、しかもそれが一定の理解を得て、同調されて、応援されることで得られるカタルシスみたいなものは、令和じゃどう足掻いても手に入らないんだなあ、、

湘南ギャル

 何回聞いても引っかかりがなかったので、YouTubeにてライブ映像を見た。正直、スタジオ版よりもこちらの方が断然良い。パーカッションの、あの太く強い音。それがあるかないかで、こんなにも印象が異なるとは驚いた。過激さ、というワードが付きまとうバンドはどうしてもフロントばかりが注目されるきらいがあるが、本当に聴衆を熱狂させたのはきっとそれだけではない。私と同じくスタジオ版にピンと来なかったみなさんには、ぜひライブ版を勧めたい。

しろみけさん

 トンチキ。日本どころか世界中のどこでもパンクが方法論化されていない時代に、パンキッシュなアティチュードでもってロックバンドをやろうとするとどうなるのか。「銃を取れ!」や「軍靴の響き」などで聞かれるペラペラのパーカッションや「いとこの結婚式」での間抜けな縦笛など、チャンキーなヘタレ加減が多分に演出されている。そのノベルティ性がやはりアジテーションには必要だったのかと、そう解釈したくもなる。そのくらい、トンチキだ。

談合坂

 どちらかといえばここまで聴いてきた他の作品では時代を超えた今の視点から何を言えるかという意識を持って書くことを考えていたのですが、初めて明確にそのアプローチを拒否された気がします。でもなんだか聴きやすさも感じる。

 ジャパニーズアンダーグラウンドロックカルチャー。神格化されているが、本作を聴いた時、そのサウンドプロダクションや曲自体からは凄み、或いは先見性は正直感じなかった。それよりも「さようなら世界夫人よ」のメロディーの流麗さ、「それでも私は」の軽快なロックンロールといった要素を、素直に、単純に日本のバンドミュージックの先駆者として楽しんだ。
 「発禁された」「左翼のアイドル」といった、社会へ銃口を突きつける姿勢はイギリスのパンクスに連なる訳だが、頭脳警察以降、そのメンタリティは日本において漂白されてしまったようにも思う。

毎句八屯

 勝手にもっとストレートな音楽性を想像していたら、思ったよりブルージーなギターにオルガンとパーカッションから始まり、カントリーさを感じさせる当時のアメリカ西海岸の香り。そこに尾崎豊にも通ずるような芯がある太い声が加わると、何を言ってもすごく正当性のあるように聞こえてしまうのは私だけだろうか。別にPANTAが出鱈目を言っているわけではない。左翼運動の渦中にいたという前知識をもっているのは少なからずあるが、声だけでも何かを変えようとしている気概を感じすぎるのだ。強く堂々とした主張も去ることながら、この世界への深い慈愛にも満ちている。そんな世界を望んでいる。絶望しながらも。アルバム的にも怒りと優しさの両面を音楽的に詰めこむことができたのもこれが初めてらしい。
 かといって当時の学生運動を経験していない私たちがこの出会いをきっかけに左翼思想を過度に美化するのは違うので冷静な識別眼は持っておきたい。

みせざき

 普段は洋楽を主軸に聴いているので、やっぱり語感とか響きを重視しながら聴いていて、歌詞が直接頭に入ってくる感覚というのはそこまで多くは無いのですが、その分頭脳警察を聴いて久々にそうした詞の叫びが直接訴えかけてくる感覚を感じとれた気がしました。やっぱり時代性というか、今だとどうしてもこういうストレートに訴えかけてくるバンドってあまりないというか、よりクロスオーバーな音楽が支持される時代だと思うんですけど、きっとこういうバンドが刺さるリスナーは今でも必ずいるのではと思いました。

和田はるくに

 ファーストだけ聞いて、あとはノータッチな人間だったのでセカンドに入っているファーストの曲の意義がわからなかったが、再録なのね。一作目と比べると、全体的にとっつきやすくなった感触だが、まだまだ壁を感じる箇所も多い。例えば、はっぴいえんどを聞いていると、昔の日本の情景が思い浮かび、歌詞やメロディが映画的となって自分の中でメディアミックスされるのだが、頭脳警察を聞いていても、それがない。逆に、フォークや闘争世代の人たちにとってはこの上なく自分ごとだったから、名盤たらしめられているのでないかと今回感じた。以前聞いたジャックや早川義夫の暗さってのは、なんとか自分ごとに変えて聞くことはできたけど、頭脳警察には壁を感じる。ライブを見たり、当時の人たちの話ななんかを聞いたりすれば意識が変わるのかもしれない、と自室の本棚の「ぼくらの七日間戦争」の背表紙に目をやりながら感じた。

渡田

 頭脳警察は知っているけど、アルバムとしてちゃんと聴いたのは初めてでした。
 いつか受けた大学の憲法の授業でPANTAの名前が出てきたり、割と強めの先入観を抱いていたが、良い意味で裏切られた。
 前評判に反してどの曲も意外にも聴きやすい。
 音はラフなのだけれど、聴き障りとも捉えられかねない音はなく、各楽器の主張も強過ぎずバランスが取れている感じ。
 歌詞に思想は表れているけれど、あくまで冷静で知的な印象。それでいて衒学的な分かりにくい表現でもなく、そこまで集中して聴いていなくても頭に入ってきやすい。印象に残るフレーズも多かった。
 思っていた激しさとはだいぶ違うバンドだった。確かに考えていることは過激でそれを隠そうともしていないが、それが理性にちゃんと裏付けられている感じがした。

次回予告

次回は、細野晴臣『HOSONO HOUSE』を扱います。

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