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小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』(1993)

アルバム情報

アーティスト: 小沢健二
リリース日: 1993/9/29
レーベル: EAST WORLD(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は84位でした。

メンバーの感想

The End End

 1曲目が気になって仕方ない。なんですかこの、アマチュアバンドがセルフで作った音源みたいにドライなボーカルのミックスは。歌い方もなんだか、歌詞を間違えずに正しい音程を出すことしか考えていないような感じ。それが味、と言おうにも素っ気なすぎる…
 と思っていたら2曲目でなんとなく知っているオザケンの歌い方になってほっとしたけど、でも、これもなんだか、真顔だな、と思った。
 真顔、にも繋がるけれど、全体的に魔法がかかっていない感じ。だから良くない、というわけではないのだけど。フリッパーズギターの作品や、知っている範囲の彼の楽曲の全てにある、どうしようもなくキラキラしているムードが、ここにはない気がする。

桜子

 ああ、小沢健二さん最高!大好きだ
 去年ローラースケート・パークをライブで聴いた体験はずっと忘れません。あの会場にいた私達と小沢健二さんが光っていた。
 聴こうと意識しなくても迫るベースと体が跳ねるファンクネス。そして、生の肯定へと還る詩。
 自分が生きる理由は、全て手の届く所にあると気づける。

俊介

 小沢健二の詞はとにかく映画みたい。
 「ぼくらが旅に出る理由」は特にそんな気がして、車の中の場面からいきなり上の方にぐるっとカメラが回って大きく空を映して、抱き合う男女にまた戻る。
 宇宙、街中ときてからの手を振る男女みたいな、視座がマクロからミクロにスライドするからすごい立体的。
 小沢健二のおかげで時々、絵画や音楽より、詩や文学のほうが、より不可知なものに近づけると感じることがある。

湘南ギャル

 LIFEだけ聴いて、あ〜オザケンちょっと苦手なんだよね〜とか言っちゃってた。なんと愚かだったことか。前回扱ったヘッド博士に引き続き、今回もドストライクだった。明日にでもアニエス・ベーの服を買いに行こうと思う。音数を見ると、ヘッド博士と犬(ライナーノーツを読んだところ、この略称を彼が推奨していた)は対極にあると言ってもいい。引用につぐ引用を重ねた前者に比べ、後者は圧倒的に音数も音の種類も少ない。シンプルで静かだ。それでも、ヘッド博士を聞いている時くらい先が読めない。やってることを取り出してひとつずつ見ていったら、きっと驚くような手法は見つからないんだろう。にもかかわらず、これはどういう曲なのか、なにを表現したアルバムなのか。コンセプトは?ジャンルは?そういった問いに答えが出せない。あと一周すれば掴めそうだ、と思って聴く。終わった頃には、あともう少し、次こそわかるはずだ、と思う。もう一度聴き、さらにもう一度聴き、飽き足らずまた聴く。やっぱり、わかりそうでわからない。でもそれが心地良い。願わくばこのまま一生、この犬の尻尾を追いかけていられますように。

しろみけさん

 この人は何を歌っているんだろう。世間との交点がこんなにも過小で、ごく狭小な視野から見えることを歌っているだけなのに、それこそが世界一般の真理であると何の衒いもなく言ってしまえるような純朴さ。肩肘の張ってない演奏なだけに、脳の中のカップケーキを何のデコレーションもなく食べさせられている気になる(ただ、ベースの録音はずっと最高)。ストレートな歌謡バラード「天使たちのシーン」を13分もやってしまう、ポップにしたいのかポップしたくないのかよく分からない感性が、本当にらしいと思う。一度でも目が濁ったことのある人間にとって、小沢健二は直視しがたい。

談合坂

 脱力感と緊張感が共存している?小沢健二と聞いてイメージする軽やかさとは少し違ったような感じがする。シンプルだけどみっちりと蓋がされていて隙間がないのでなんだか圧迫感がある。
 全体を通して‘懐かしのJ-POP’的に聴いていたけど、それが私とこの作品の関係として最良のものなのかはまだ判断できない。

 YouTubeの違法アップロードで「天使たちのシーン」のライブテイクを聴いた後、さすがにこの環境で聴くのは違うなと思い、ディスクユニオンを巡り「犬は吠えるがキャラバンは進む」を手にしたのが多分2年ちょっと前で、折を見て聴きたくなる。どこから書けば良いのかわからないが小沢健二のアルバムだと「LIFE」の開き直ったポップネスも、「eclectic」の艶かしさも、「so kakkoii 宇宙」の慈しみも全部好きだけど、この作品だけは異様な引力を備えているし、聴く度に持っていかれるカロリーも桁違いだ。栄華を極めたバンドを解散した小沢健二という人間の思考や人生哲学や記憶や生活が、そして声や脈動が鼓膜に迫ってくる。
 「鼓膜に迫ってくる」という表現が似合う理由は妙に大きくミックスされたベースにあるな、と聞き返して思った。別に特段変なことをしているわけではなく、コード進行に沿って楽曲の骨組みを組み立て、オブリガードを織り交ぜ、特定のフレーズをリフレインさせ、楽曲のリズムやノリをリスナーに提示する。このお手本のようなベースラインが強調され、心臓から運ばれる血液のようにアルバムに巡っている。これもまた堅実なドラムと合わさって、派手な訳でも寂れている訳でもない、人ひとりの生命の温かさや実直さをアルバムにもたらしている。それは3曲目「暗闇に手を伸ばせ」における「弾む息を詰まらせる/言葉とかモノを越えて/脈打つビートを信じるように」と描かれるような等身大のまま生きていく主体の姿と重なる。
 また、私が聞いているバージョンは後にリマスターがなされたことからも分かるように全体的に音の立体感や躍動感が少なく、ダイナミクスに欠けている。その結果生まれたのっぺりした素朴な音像が楽曲の密やかさに繋がり、先程述べた「小沢健二が鼓膜に迫る」感覚というか、小沢健二が自分に近いとこで存在してくれているような感覚を強めている。スピッツの「インディゴ地平線」やsyrup16g「HELL-SEE」みたいな、意図されず運命的にリッチさが欠けたことが功を奏していた作品だと思います。
 最後に「天使たちのシーン」について書きたくて、この曲がアルバムのハイライトだというのは満場一致でコンセンサスが取れるんじゃないだろうか。歌詞の1行1行に対して赤ペン先生みたいにコメント出来るほど野暮では無いが、13分に渡りバース・コーラスを繰り返すことで徐々に育まれる熱とグルーヴ、恵みの雨のようにじんわり体に吸収される森羅万象の事象に触れる歌詞、そして孤高と共働のどちらもを抱き締めてくれるような人間賛歌へとたどり着くストーリーテリング。時間でいうとかなり長いのに一切の無駄が無い奇跡みたいな1曲に僕はこれからもお世話になるのだろう。
 とマジで思い入れが強すぎてめちゃくちゃ書いてしまった。この企画で扱った、そしてこれから扱う100枚の中でも1番好きな作品です。

みせざき

 一曲目はシンプルなサウンド、メロディーの中にギターのハマり方が歪でどこか奇妙さも混えている様な不思議なサウンドで面白かったです。音程の上下が激しいオザケンの紡ぎ出すメロディーも特徴的なのですが、それを引き立たせるバンドサウンド、各々の楽器がそれぞれ適度に主張しているのが印象的でした。オザケンがここからどのように変貌を遂げていくのかが楽しみになりました。

和田醉象

 これまで聞いてきた中で一番よく知っているタイプのJ-POPだ。『LIFE』くらいしか耳を通してこなかったのでオザケンソロについてはほとんど何も知らないんだけど、すごい主張があるトラックがない。通しで聞いてもなんかピンとこなかった。いいアルバムとは思うんだけど。
 一点だけ挙げるなら「天使たちのシーン」だ。私は大槻ケンヂファンで、特に彼の初期ソロ作品がとても好きなんだけど、その中に同曲のカバーがある。それも、カバー集だった一作目ではなく、かなり精神的に不安定だった二作目にだ。ライナーノーツか何かにはとてもいい曲だったからカバーした、とあったけど初めて本人作の物に触れるとかなり洗練された印象を受ける。淡々としているし。

渡田

 聴いてすぐ、シンプルながらも特徴的なリズムを繰り返すベースに引き込まれる。対してギターサウンドはそこまで目立たず、ラフにフレーズを繰り返している印象を受けたが、聴き続けていると音が細かく精緻に置かれていることに気づく。凝った部分を主張し過ぎていないのが上品だと感じた。
 ロックらしくない独特のリズムのベースライン、そこにアクセントを加える軽妙なギター、はっきりした発音ながらも、さりげなく語るように間伸びした歌い方…などの特徴は、初期のトーキングヘッズとかサカナクションでも聴いたことがあった。
一方で、それらとは異なるこの音楽の特徴として、曲の中で突然印象に残りやすいフレーズが差し込まれる場面があった。そういった瞬間からは、小沢健二のポップスライターとしての側面が強く伺えた。

次回予告

次回は、小沢健二『LIFE』を扱います。

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