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ザ・ブルーハーツ『THE BLUE HEARTS』(1987)

アルバム情報

アーティスト: ザ・ブルーハーツ
リリース日: 1987/5/21
レーベル: メルダック(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は7位でした。

メンバーの感想

The End End

 現在の私の趣味からするとウソみたいな話なのだけど、何を隠そう、ウォークマンを買ってもらった11歳の私が初めて能動的に聴いたアルバムが父の大好きなこれだったし、初めて自分で選んだギターもレスポール・ジュニアだったんですよね。小学生の頃は授業中ノートにブルーハーツの歌詞を書いたりしていたものです(照)
 この企画で聴いてきたパンクやそれに類する作品、無意識のうちにブルーハーツを基準にして色々考えていた気がする。そして完全に贔屓目だけど、やっぱりこれには圧倒的なパワーがあると思う。だって、言葉も、歌唱も、アンサンブルも、サウンドも、全部が“こうだったらいいのに”に応えきってるじゃんね。(ひとつだけ注文するなら、ベースの音がもっとゴリゴリしてたら良いのにと思う)
 真っ直ぐで早くて鋭くて優しくて、もう、もう…全ての曲で胸がギュッとなる。いつだってブルーハーツは俺の、俺たちの味方だよ。

桜子

 自分はパンクが苦手で、この企画で聴いてきたパンクの音楽は苦手なものが多かったんですけど、このアルバムは好きだと思いました。感覚的には、パンクロックと歌謡ロックの中間にあるような、そんな気がします!
 詩面からも、それを感じます。
 素直な表現で逆らったり反抗したりしていて、近寄りやすい優しさに感じたりします。
 あとこのアルバムに収録されて無いのであまり関係無いんですけど、ヒコロヒーさんがカバーしてる"夢"がすごく良いんで皆さん聴いてください...

俊介

 パンクをあまり聴いてこなかったので、こんなにストレートに歌われると、どうやってこのエネルギーをうけとめようかという気持ちになる。
 こういった、体制とか支配からの卒業を歌ったたり、迷いなく正義を信じるスタンスの歌詞が、この日本を席巻した瞬間があったことが現代っ子の自分にはにわかに信じ難い。
 鬱屈も不満も「頭の出来が違うので問題はなし」なんていって自分の溜飲を下げるような楽曲がヒットする時代に生きてる今の若い人がブルハを聴いたらどう感じるのかしら。

湘南ギャル

 本物の優しさとは全てを受け入れることではない。厳しさも併せ持つものだ。優しい世界を作るためには、声をあげなければならないこともある。誤解されることもある。投げ出したくもなる。それでも、決して諦めたくないと願うすべての人間の味方が、ブルーハーツだ。
 恥ずかしながら、これまでブルーハーツをちゃんと聴いたことがなかったし、あ〜なんか明るくて元気なバンドよね〜くらいの認識だった。明るい曲調の中に、こんな歌詞が詰まっていたなんて。キッツい現実を毎日毎日見てもう負けそうになってる心に、痛いくらい染みる。
 絶対に忘れたくない歌詞があった。心が折れそうになったら、自分に言い聞かせたい。

“爆弾が落っこちる時 何も言わないってことは
爆弾が落っこちる時 全てを受け入れることだ”

しろみけさん

 こういうものの前で何を言っても野暮になるというか、すでに居心地が悪い。それはきっと、詞に行間を垣間見させるような余地が一切なく、歌の中で過不足なく言い切っているからだろう。欧米のパンクロックと主張の内容がまるで違うとしても、ブルー・ハーツが3コードを演奏しなければならない理由がここにある。余計なものが何も入っていない。パスコの超熟みたい。

談合坂

 聴衆としてこの‘わかりやすさ’を享受しているというよりは、自分もこの音楽が鳴り響く場所で共にいるのだと認めてもらっているみたいな感覚になる。決して自分にも同じことができるというわけではないけれど、今すぐに楽器を手に取って鳴らしたくなる。そういう素朴で根源的な部分を刺激するところが、この作品が時代に縛られずに生きている所以なのだろうか。

 「パンク・ロックが好きだ やさしいから好きだ」とアルバムの中でも歌ってるように、ブルーハーツはどこまでもやさしいバンドだ。人格が形成される時期のどうにもならない、怒りでも悲しみでも興奮でも諦念でも無いあの感覚を歌ってくれる。その感覚は日記のような歌詞でもスリーコードの純情でもなくて、「未来は僕等の手の中」の冒頭で発せられる「ウッ」という呻きの時点で確信出来るものだ。私はブルーハーツのアルバムをこの企画を通して初めて聞いてこの感想を書いている。映画「リンダリンダリンダ」やCMソングでのブルーハーツの方が正直親しみがあるし、制服を着て毎朝学校へ向かっていた時期にはブルーハーツではなくてむしろ「終わらない歌が終わったから/暗闇なんだ現在」「シティポップじゃなんか足りない/リンダリンダはもう聞こえない」と歌ったGEZANを聞いていた。ブルーハーツに救われた、みたいな経験は無く、二次的な表現として表れた「ブルーハーツ」にばかり触れていたが、このタイミングで聞いたことを「遅かった」と思わせない普遍的な即効性がある。

みせざき

 もう我々にとってこういうこと歌ってほしい、ということを全開で表現してくれる歌詞と、一曲一曲で起承転結をしっかり決めてくれる決まりの良さ、爽快感、それを今回本作で改めて感じた。アルバムを聴いたことが無いバンドだったから、イメージとしてはかなり泥臭く、粘っこいものであったが、アルバム全体としては、凄いソフトで聴きやすいと感じた。マーシーの声はすごく柔らかく心温まるものであり、パンクロックで有りながらすごく明るいバンドなんだなと思った。

和田はるくに

 日本人なら例え聞いたことなくてもこのアルバムのジャケやリンダリンダぐらいのことは皆知っているんじゃないだろうか。我が家にも、かなり色褪せてしまっているがレコードが一枚ある。
 最近初期のOasisを熱心に聞き返す機会があり、その時に感じたのが「全曲キラーチェーン」という印象だ。どれか一曲だけでもあればそのバンドの代表曲になりうるようなキャッチーさ、メロディーラインをどの曲も兼ね備えているということだ。
 そこからOasisのことは改めて見直して、聞き返すようなことがあったのだが、このアルバムも全く同じで、どれか一曲でも自分が書いたことになれば最高だろうな、という内容の曲が最初から最後まで続くので素晴らしいのである。アルバムの構成のために挟み込まれる小品とか余計なものがない。こういう内容のアルバムって、日本のアーティストだと他にパッと思いつかないし、作ろうと思って作れるものじゃない。すげ〜バンドやりたくなる、ワクワクする。
 でも戦闘機が買えるくらいの端金は欲しいよ俺は。

渡田

 もっと早く、それこそ中学、あるいは高校に入りたての頃に出会えば、人生において重要なアルバムにもなったかと思う。
 今までのアルバムの中で最も時代分けが難しいアルバム。
 最近の音楽には思えないし、かといってどの年代の音楽らしいかと問われると分からない。
 通常、「〇〇年代らしい音楽」とか、「今までにない新しい音楽」とか、その音楽の個性を語るのに「時代」は一つの指標として働くものだけど、この音楽の特徴はこういった「時代」とはもっと別のところに根付いている気がする。
 ギターの音も、歌詞も、シンプルであるがゆえにロックとしての普遍的な力強さがあって、そういった点が特定の時代とか世情とかを切り離したのかもしれない。
 中学高校の頃に聴きたいと思ったのはこういう特徴があったからだと思う。自分の10代中盤を振り返ってみると、あの時こういうことを考えていた、こういう不安を持っていたとかは思い出せるけれど、その時の社会事情がどうだったとかは曖昧だ。身の回りのことだけで精一杯だし、時代や社会がどうとかを考えることもない年齢だったからだと思う。
このアルバムに入っている曲は、社会の歴史ではなく、そういった個人の歴史にこそ共鳴するところが多いように思える。(こういった特徴は、初期のサンボマスター、神聖かまってちゃん、バズマザーズ…とかも似たものを持っているように思う)
 こういった音楽は、世の中の流れがどうとか、そもそも自分がどういう人間なのかも把握しきれていない頃、そのせいで流行り物と自分自身の考えとの見分けがだんだん分からなくなってきて、周りに人も物も溢れているにも関わらず孤独感を募らせ始める、そういう頃にこそ出会うべきものだと思う。
 もしその頃出会えていれば、このアルバムは甲本ヒロトが自分のためだけに作ったものだと、そう信じることができるくらい衝撃的なはずだ。

次回予告

次回は、ピチカート・ファイブ『カップルズ』を扱います。

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