江戸末期、開国をせまるヨーロッパ列強が日本に来航していた。

 これに対して幕府は、「鎖国は祖法である」として頑なに開国を拒み続けた。それどころか、フェートン号事件(1808)の後は、異国船のうち払いを命じていた。

 ヨーロッパ列強に対抗するには、軍事力の強化が必要である。アヘン戦争(1840-1842)により、そう認識した幕府であったが、そのためには、金と時間が必要だった。

  そこで、「戦争の口実を与えてはならない」として政策を転換、時の老中首座であった水野忠邦は、薪水給与令を出した。これは、日本に来航した外国船に対して、彼らの要求に応じて薪や水、食料を与えるというものである。

 しかし、幕府には、軍事力を強化するための金が無かったのであった。

 


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ヨシツグ:歴史で磨く会代表☆オンライン歴史講義開催中@フォロバ百
歴史は、人間が創るドラマです。特に、幕末はたくさんの英雄が出てきます。そんな時代とその時代の人たちを小説にしたいと思いました。