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 井伊直弼が行った「安政の大獄」は、水戸藩・藩士の信念を大きく傷つけた。藩校・弘道館で学んだ彼らは、尊王攘夷思想を強く信じていた。

 尊王攘夷思想とは、天皇を敬い、外国人を打ち払うという思想である。この思想は、水戸藩士である会沢正志斎や藤田東湖によって確立され、全国に広まっていった。

 水戸藩・藩士の一部の過激派は、井伊直弼の暗殺を計画し始める。彼らは、藩を脱藩し江戸へ向かった。そして、襲撃の機会を待っていた。

 その日は、季節外れの雪が降っていた。井伊直弼は、彼の暗殺が計画されていることを知っていたが、特にその対応はしなかった。大老である彼は、怖がっている姿を見せられなかったのだ。

 ピストルの音を合図に、18名の脱藩浪人が井伊直弼の行列を襲った。井伊直弼の行列の人数は60名、しかし、雪で刀を濡らさないように、刀には袋がかぶせられており、対応が遅れた。逃げだす者も多くいた。井伊直弼自身も、ピストルの弾が当たっており、負傷していた。

 襲撃者達は、井伊直弼の籠を刀で刺した後、引きずり出し、そして、彼の首をはねた。彼らは、自分たちの計画が成功したことがわかると、その場を逃げ去った。そして、自刃するか斬首されて全員死んだ。

 この事件は「桜田門外の変」と呼ばれることになる。この事件のため、幕府の権威は大きく傷つけられた。

歴史は、人間が創るドラマです。特に、幕末はたくさんの英雄が出てきます。そんな時代とその時代の人たちを小説にしたいと思いました。