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小説で読む幕末史

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幕末はドラマよりドラマチックです。熱く生きた彼らが刻んだ歴史を楽しんでください。
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#歴史小説

桜田門外の変(1860年)

桜田門外の変(1860年)

 井伊直弼が行った「安政の大獄」は、水戸藩・藩士の信念を大きく傷つけた。藩校・弘道館で学んだ彼らは、尊王攘夷思想を強く信じていた。

 尊王攘夷思想とは、天皇を敬い、外国人を打ち払うという思想である。この思想は、水戸藩士である会沢正志斎や藤田東湖によって確立され、全国に広まっていった。

 水戸藩・藩士の一部の過激派は、井伊直弼の暗殺を計画し始める。彼らは、藩を脱藩し江戸へ向かった。そして、襲撃の

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安政の大獄(1858年)

安政の大獄(1858年)

 井伊直弼(なおすけ)には、大老として「幕府の権威を取り戻す」という強い決意があった。そして、それこそが、彼に与えられた天命だと信じていた。

 当時幕府は2つの大きな問題を抱えていた。1つは、「第14代将軍を誰にするか」であり、もう1つは、「アメリカと通商条約を結ぶか」である。

 直弼は、独断によりこの2つの大きな問題を解決する。まず、彼が押していた徳川慶福(よしとみ)を第14代将軍にした。そ

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井伊直弼(なおすけ)の天命

井伊直弼(なおすけ)の天命

 井伊直弼は、彦根藩13代藩主・井伊直中(なおなか)の14男として生まれた。直弼は、大した役割は与えられないだろうと達観し、「埋木舎(うもれぎのや)」と自ら名付けた邸宅で17歳から32歳までの15年間を過ごした。直弼は、この間、茶道や禅、居合術などを極めようとした。

 そんな直弼に転機が訪れる。第14代藩主・井伊直亮(なおあき)とその養子となっていた井伊直元(なおもと)の急死である。直弼が彦根藩

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阿部正弘の憂鬱

阿部正弘の憂鬱

 「眠れない」 阿部正弘は、頭が冴えて眠れなかった。「開国すべきか?鎖国を続けるべきか?」悩んでいたのだ。

 幕閣の意見も「開国すべし」という現実派と「鎖国を守るべし」という理想派の2つに分かれた。「今の幕府に、ヨーロッパ列強と戦って勝てる力は無いのだから、ペリーの脅しを受け入れて開国するしかない」というのが現実派の意見であり、「神君・家康公が決め、また260年間守ってきた鎖国政策を変えるべきで

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天保の改革(1841-1843)

 水野忠邦は焦っていた。幕府に金がないのだ。ヨーロッパ列強に対抗するための軍備増強をしようにも、金がなければ出来ない。

 徳川家斉(11代将軍)が酷かった。贅沢が好きで、側室も40人を越えていた。そのくせ、政治には興味を示さなかった。

 天保の大飢饉もあり、皆が疲弊していた。

 水野忠邦は、質素倹約により、幕府財政の建て直しを。風紀の乱れには、贅沢の禁止や取締りの強化を。江戸周辺にある、大名

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薪水給与令(1842)

 江戸末期、開国をせまるヨーロッパ列強が日本に来航していた。

 これに対して幕府は、「鎖国は祖法である」として頑なに開国を拒み続けた。それどころか、フェートン号事件(1808)の後は、異国船のうち払いを命じていた。

 ヨーロッパ列強に対抗するには、軍事力の強化が必要である。アヘン戦争(1840-1842)により、そう認識した幕府であったが、そのためには、金と時間が必要だった。

  そこで、「

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