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【主婦勉!】浮世絵を知りたい~歌川国貞編~



前回国貞もやるはずが、
やはりというかなんというか
国芳でコーフンし過ぎてしまい、
国貞まで全く辿り着けなかった。

というわけで国貞。
彼が活躍した時代背景なんかは
国芳の時にそこそこ詳しく調べたので
ご興味あれば是非そちらも合わせて
読んで欲しい。
ちなみに国芳より11コ年上だ。

国貞は木材問屋を営む家に生まれた。
15〜16歳頃に歌川豊国に入門。
彼の絵を見た豊国が
「いつか自分を追い抜く日が来るだろう」と
褒め称えたほど、
その才能は群を抜いていた。

早くから豊国に引き立てられ、
当時の売れっ子作家の本の挿絵などを
師匠の代わりに描いたりして、
その活躍の場を広めていき、
入門して10年ちょいで、
当時の絵師人気番付みたいなので、
師匠の豊国(最高位の大関)に次ぐ人気を得るほど
早くから売れっ子絵師であった。

ちなみに国芳はというと
この番付では前頭27枚目でまだまだ、
全然その人気の差は歴然であった。

豊国は役者絵と美人画で知られる。
特に高級遊女になると
髪飾りも着物も打ち掛けも何もかも
それはそれはとにかく
"この人が遊女のトップなんだな"と
一目でわかるほど
豪華で緻密で容赦ない。

国貞

遊女2


カラーは勿論のこと、
単色で刷られていても
物足りなさを一切感じない緻密さね。
圧倒的です。

これってたぶん、
彼女たちに恋するおじさん達の
胸を熱くさせていたことは勿論、

今でいう赤文字系(古い?)な感じで
この時代の女子の憧れというか、
こんなオシャレしてみたい!という女子達からも
熱狂的に支持されていたんじゃなかろうか。
今見てもすごいもん。
色の合わせ方とか”柄on柄”の着こなし方とか。
ヘアスタイルとアクセの盛り方とか。

一方で役者絵。
見出し絵にも貼りましたがもう一度。

役者絵①

この色彩感覚!
モダンすぎる。
国芳もモダンなんだけれど、
色彩感覚については、
ちょっと国貞はズバ抜けているように思う。

今、たとえば東京駅あたりの
長いコンコースなんかに
この絵が飾られてたら、
誰か昔の人が描いた人物に、
今の人が背景をつけて完成させた
コラボ絵かなと普通に思う気がする。

背景の黒格子と、浴衣の黒が喧嘩せず
お互い独立して美しく存在し、
格子の重なり部分は矛盾なく色濃く、
色の継ぎ目部分は
絶妙にグラデーションがかかっていて、
赤、青、黒という全てが
強く濃い色であるにも関わらず、
絵に重たさを全く感じない。
どころか、涼やかさすら感じるこの絵。
天才です。
しかもこれが版画だっつんだからもう
白目剥いちゃうね。どんな作業なのよ...

画像4

役者絵

きゃー!はー!もう何なの?
”背景すごいおじさん”なの?笑
何食べたらこんなこと思いつくの?
頭の中どうなってるの?
本当にもう全然わからない。
とにかくすごいしか言葉が出てこない。

国貞はとにかく作品数が多く(春画も!)
眼も心も奪われる絵はもちろん他にもあるし、
そもそもこの人1万点くらい作品がある中で、
このたった5枚だけでも、
その才能と人気のほどは
十分伝わるし頷けると思う。

60歳手前くらいで、
師匠の名である”豊国”を襲名。
当時、初代豊国の養子であった豊重が
初代の死後に2代目豊国を名乗っていたが、
これに国貞は納得がいってなかったらしい。

自分こそが2代目だと言い張って
襲名したらしいが、
それはそれで他の門下生からは
あまり受け入れられなかったらしく、
結果的に現在では、
国貞は3代目豊国とされている。


んでこれまたちなみになんだが
国貞と国芳はあまり仲が良くなかった、
どころかやはりライバルとして
かなりバチバチしていたようだ。

そりゃそうで、
かたや師匠のお気に入り、
早くからバンバン仕事が舞い込んで、
若い頃からイケイケドンドンな国貞に対し、
実力は間違いないはずなのに
かたや月謝も払えないほど貧乏、
弟子とは名ばかり、
実際は兄弟子に教えてもらってる国芳。

国芳からしたら
「おのれ見ておれ!いつか抜いてやる!」
国貞からしたら
「クニヨシ?なにそれ美味しいの?(鼻ホジ)」
みたいな関係の2人。(たぶん)

次第に国芳が武者絵で頭角を表し、
気づくと、幕府批判も厭わぬ
正義のヒーロー的な存在として
民衆から喝采を浴びていく。
面白くない国貞。
で2代目名乗ってみたけど
みんなからブーイング。的な。

たぶん想像だけど
国貞は若い頃から師匠に期待され、
目をかけられて成功を収めていった
いわゆる優等生タイプ、
「麒麟がくる」で言うと明智光秀系、
真っ直ぐで、信用もされて、
仕事もできるけど
ちょっと不器用的な。

一方で国芳は少し秀吉系?
雑草上がりだけど、
根性あって、人たらしで、
要領が良くて、人間味が凄い、みたいな。

そんな感じだったんじゃないかと
勝手に想像している。
そう考えるとお互いソリが合わなかったのも
納得というかね。

で、実際2人の間には
いろいろあったみたいなんですが、
国芳が50頃、国貞が60頃に、
突然同い年の歌川広重が間に入って
仲直りをした…のかどうかは知らないが、
この超豪華トリオ、通称「歌川の三羽烏」で
「小倉擬百人一首」と
「東海道五十三對」の2作を発表している。

さぁ、それぞれのカラーが出ているけれど、
どれが誰の作品かわかるだろうか。

国芳

豊国

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正解は①国芳②国貞③広重。
武者絵の国芳、役者絵の国貞、名所絵の広重、
その特徴がよく表れている。

どういう経緯でこれを作るに至ったか、
詳細はわからないんだが、
国芳、国貞の両人とそれぞれ仲良かった広重が
仲の悪い二人を呑み会かなんかに誘って
さんざん呑ませて
(プロデューサーかなんかも入れて)
結局酔った勢いのどさくさ紛れでこの企画、
とかだったんだとしたら、
昔も今も、そういうきっかけって
あんま変わらないんだなと
少しほっこしりした気持ちになったりする。

もしくはこの企画が話題になるのはわかってて
自分と相手の直接対決が出来るこの機会、
「ぜってー負けない!すんごいの描いてやる!」
的な負けたくない精神だったのか。
どっちだったんだろ。

とまぁそんなこんなで、
この後広重が逝き、国芳が逝き、
なんだかんだで一番年上だった国貞が
一番長生きし、79歳で死去。

早くから才能を認められて、
師匠に可愛がられ、
絶大な人気も誇り、
切磋琢磨出来るライバルにも出会え、
紆余曲折はありながらも
最後はそのライバルとの共作も出し、
すべてを見届けて死んだ上に、
後世までその才能を褒めたたえられる人生って
大変なこともあるだろうけど正直羨ましい。

なんだかんだ今まで調べた絵師の中で
一番幸せな人生だったんじゃないか
という気がしている。
まぁ人の幸せは人それぞれですけど。