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ロシア大使館(2016年10月17日)

 「第二次安倍晋三内閣の対ロシア外交は失敗した」。
 2022年2月24日正午頃(日本時間)にロシア・ウクライナ戦争を知っている今となっては冒頭の一行で終わらせるかもしれない。
 
 では、筆者が2016年10月17日にロシア大使館(東京都)で見聞きしたフォーラムでの見聞録をここに書いたら、読者はどのように思われるだろうか。・・・・・・以下に記すのは、その日、新聞紙朝刊がつぶした、日露外交史の断片である。ロシア・ウクライナ戦争に心を痛める今となっては、そして、ウクライナ支持を明確にしている今となっては、・・・・・・あらゆる「今となっては」、つぶして良かったのかもしれない。たとえそこに血と汗と涙が流れていても。
 
 その日。2016年10月17日。
 東京都町田市の閑居に、『日本経済新聞』と『東京新聞』が、いつもと同じように、配達された。新聞紙個別宅配というシステムを筆者が思い出として語るならば、この日がふさわしい。
 
 いつもは紙面がそれほど多くはさかれないロシア関連記事。
 その日、『日本経済新聞』は一面で「スクープ」をあげた。
 その日は、筆者もロシア大使館でのフォーラムに参加することになっていた。
 『東京新聞』は、いつもと変わりがない紙面構成だった。東京新聞には、常盤伸さんという巨人がいるので、特オチは考えにくい。筆者が実家の大阪市から東京都町田市に新天地を求めて転居した際に、
 
「『東京新聞』。ウチでは有名なのですが、会社では購読できないのですよね」
 
と、カウンターパートの大阪府警警部補から購読を勧められていた。筆者もあうんの呼吸で『東京新聞』の宅配契約を結んだのだが、おそらく、「常盤伸」という個人名が外事警察の中で武勇をとどろかせていたのだろう。大阪府警では全紙を購読しているが、『東京新聞』は大阪府警警察本部に宅配されない。「ウチ」というのは、外事警察(ロシア担当)のことで、「会社」というのは大阪府警警察本部のことだと推察される。
 
 『東京新聞』といえば望月記者の行動が耳目を集めるが、東日本大震災の数日後には「新聞紙で簡易トイレをつくる方法」を記事にするなど(平時にはネガティブな意味でとられるだろうが、震災直後にこの記事を読むと読者を大切にする新聞だという印象を持つ)、筆者個人としては好きな新聞だ。
『東京新聞』には、「常盤伸」がいる。おそらく、『日本経済新聞』が記事にするような内容のことは知っていても記事をしないのだろうなと思いながら、筆者はロシア大使館へと向かった。
 
 フォーラム開演前。登壇者の一人である、東郷和彦大使の前に長蛇の名刺交換の列ができていた。本日のキーパーソンなのだろう。筆者の順番がまわってくると、一通りの挨拶をして『日本経済新聞』の「スクープ」について尋ねた。
 
「わかりません」
 
 東郷和彦大使をして、参った、というテンパった表情である。外務省ロシアスクールの巨魁・丹波實・元駐露大使の訃報(2016年10月7日逝去)へのお悔やみを述べて順番を譲った。
 
 筆者にとって違和感を抱かせたのは、東郷和彦大使への「名刺交換」の列である。東郷和彦大使は、フットワークが軽い。立派な体格なので「フットワークが軽い」という印象を抱きにくいと思うし、佐藤優『国家の罠』では優秀すぎてこわい印象をもたれるだろうが(東郷和彦大使の名指しで批判された部下の中から、ロシアスクールの最終ポストである駐露大使就任者が出た)、上司と部下という関係にでもならなければ、主張の違いをこえて三十余歳の無位無冠の筆者(当時)と生中(なまチュウ)のジョッキをあわせて議論を戦わせてもらえる、好人物である。
 
 東京都内在住でロシア畑をウロウロしていれば、東郷和彦大使は気軽に会える。むしろ、今日(2016年10月17日)という日に、ロシア大使館に出入りできるということの方が、はるかにハードルが高い。もっとも、新聞が宅配される前に、新聞記者をはじめとしてマスコミ関係者は、「読んでいる」のは知っているけれど。皮肉をこめて言うと、よくぞ、一面記事を見て、よくぞ、ロシア大使館の入館を果たしたものだ。
 
 「スクープ」を飛ばしたのは、『日本経済新聞』だけではなかったようだ。大手新聞各紙が飛ばしていて、『東京新聞』は記事にしなかった。筆者としては、『東京新聞』の対ロシア取材力を思い知った一コマである。ともあれ、第二次安倍晋三内閣が対ロシア外交で大きな一歩を踏み出そうとして、それを「スクープ」の数々がつぶしたのも、どうやら事実のようだ。月刊誌『テーミス』は、記事化できないおいしい話をベタ記事に書いてくれるので、筆者の好きなメディアなのだが、『日本経済新聞』は日露両国の外交交渉を台無しにするような「スクープ」を書いたようだ。ふと思い出したのだが、佐藤優氏も、そのことについて『東京新聞』の連載コラムで怒っていた。
 
 登壇者の一人、パノフ元駐日ロシア大使が言う。
 
 「来日時に真っ先に『末次一郎』の墓参りをした」。
 
 「末次一郎」。伝わる人には、伝わる。しかし、伝わらない人には、全く伝わらないであろう人物の名前を、パノフ元駐日ロシア大使は、あげた。
 
 フォーラムでの登壇者の報告が一通り終了した。
筆者のメモでは、17時31分のことである。
 司会進行をつとめる、岡部芳彦先生が、不可思議な発言をした。
 
「パノフ大使と下斗米先生の間で『コミュニケ』を発表する予定でしたが、結局できなかったことと、せっかくの機会ですからフロアに質問するということにします」。
 
 登壇者が20人ほどそうそうたるメンバーが壮観を呈しているのに、話すネタがないような「フロアに質問を求める」という進行をとった岡部芳彦先生。今や、2022年5月4日(日本時間)に、ロシアへの入国を無期限で禁止された「大物」なのだが、この日(2016年10月17日)には、新聞各紙(東京新聞を除く)の猛攻をしのぐという、日本・ロシア両国の最前線にあって難しい舵取りをしていた。オオゴトを無難にしのぐ。地味だけれども、大役。
 
 あれだけ大騒ぎしたのに、マスコミ関係者は挙手して登壇者を困らせるような鋭い質問をしていないのは残念だった。
 
 筆者の手元のメモ(手書きのメモ帳をPCに書き起こしたもの)には、このようにある。
 
◆パノフ大使
  ▼私のせいでコミュニケが完成しなかった。ごめん
     武藤註:突然、何を言い出すんだ?!
  ▼せっかっく東京に来たのでスシを食いたいし、散歩もしたいし、
   文章書くのヤダし、どうせ誰も読んでくれないし(通訳を笑わせる)
  パノフ大使に大きな拍手がおきる
 
 わかっている人は、わかっているのだろう。「大きな拍手」とあるから。
 「散歩」というのは、ロシア語で “gulyatch ” だと思う(ロシア語で書くと文字化けするかもしれないのでローマ字にあてはめたが、この文字列ならば、筆者が表記法を誤っていても、研究社『露和辞典』で、それに応じる単語を特定できるだろう)。ロシア語初学者ならば、「なぜ『散歩する』というロシア語をよく使うのだろうか」と疑問に思って辞書をひくかもしれない。筆者といえば、「神谷君は、本当に優秀だ。『ロシア語』以外なら、何でもできる」とロシア語の先生にお褒めをいただいた自他ともに認める落第生だが、研究社『露和辞典』が原形をとどめないほどに使いきるのはロシア語学習者には一般的な話なので、同時通訳者が「散歩する」と訳したくだりにパノフ元駐日大使がどのような単語をあてはめたのかをチェックしていると思う。筆者は残念ながら、即応できなかったので、PCで文字起こしした文書を読み返しながら、「散歩」の和露訳に思いをはせるのみである(研究社『和露辞典』では到達できないわけではないが、同書は研究社『露和辞典』とは勝手がちがう)。
 それはともあれ、筆者はメモ帳に書き込んでいたが、パノフ大使はバカっぽい演技(道化役)に徹していた。
 
 ロシアの国益に関わる内容では隙を見せなかったが(同時通訳も見事だったのだろう、2022年3月23日ゼレンスキー大統領国会演説では同時通訳への批判があったが、同時通訳に「声優」の演技を求めるのはハードルが高すぎる。ただ、パノフ大使は喜劇役者を演じ、同時通訳もそれに応えていた。こんな質疑もある。
 
Q.
ウラル以東を発展させるには、ゴールドラッシュが必要だと思うが、どうだろうか?
 
A.(パノフ大使)
金(Au)が見つかるなら、私も行きたい(笑)。もしも情報をもっているなら、後でこっそり私にだけ教えてほしい。
 
なごやかな質疑応答。その立役者は、岡部芳彦先生だと今にして思う。「ロシアは遠くなりにけり」と岡部先生はロシア入国禁止リスト入り(通称:出禁リスト)したときにTweetされていたが、この質疑応答の後にはロシア大使館員との会話の中で岡部先生が名前にあがるほどには、注目をされていたと筆者は推察している。当時のPCメモから引用をしよう。
 
 ▼岡部先生と話していた。岡部先生がコスプレをしてビザなし交流で択捉島に上陸した話をしていたもよう。なお、入館時(本編開演前)に○○(ロシア情報機関員の名前)さんは「アカベ先生」と発音していたので、武藤は「『Okabe先生』です。日本語ではアクセントの有無にかかわらず『O』は『オ』と読みます」とレクチャー 
 
 ロシア情報機関員は、岡部芳彦先生に声をかけていたのだ。これは外事警察(ソトゴト)としては重要なサインである。兵庫県警外事警察(ロシア担当)は岡部芳彦先生(神戸学院大学)にコンタクトをとろうとしたと思うのだけれども、筆者(コードネーム:武藤)は、大阪府警の協力者だ。兵庫県警に手柄をあげられるくらいなら、きっちり記録して大阪府警に情報をあげとく、という「義理」がある。皆さんお好きな、切った、貼った、の世界である。
 
 ロシア情報機関員が岡部先生を「アカベ先生」と読んでしまったのは、「岡部芳彦」というお名前をロシア語か英語の表記で接して情報を脳内にインプットした可能性が高い。個々の情報機関員の日本語能力についての分析資料を外事警察が知っていれば、マークするべきロシア大使館員・ロシア通商代表部職員の優先順位はかわってくるだろうし、情報機関員が「通常業務」の中でどの程度の情報を咀嚼することが可能なのかという想定をつけることができる。・・・・・・くどい表現になっていると思うが、筆者は分析材料を大阪府警外事警察のカウンターパートに提供していた。ロシア語落第生の「ロシア語」で申し訳ないが、「日本には情報機関がない」と声高に発言されている方は、このような舞台裏をおそらくご存知でない。【了】
 
 新聞紙の個別宅配の契約を解約しました。
 ロシアへの入国を無期限で禁止するリストの中に、ここに名前をあげた岡部芳彦先生のほか、ナベツネ主筆をはじめとする報道関係者があげられました。新聞紙の紙面構成で情報収集・分析をするという手法は、ロシア畑の筆者には過去のものとなりました。これが、解約の理由です。
 
 届けてくださり、そして古紙を回収してくださった、
ASA町田東部 様
YC玉川学園 様(アルファベット順)
 
 そして、2009年12月以来、『日本経済新聞』と『東京新聞』を届けてくださった、前身の新聞販社様に心より御礼申し上げます。拙著↓です。大阪府警のスパイをやっていました。
 
 ロシア大使館員との会食を主軸にしたのが下記で、 

 「大阪府警の協力者」という視点から、「47都道府県警察」を描いたのが下記です。なお、ほとんどは拙稿(note)からの「引用」であり、引用元とリンク先はアマゾンの拙著紹介欄に公開しています(無料でお読みいただけます)。


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