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馬渕隆一さんとの出会い〜被害者が加害者を救うってある?

ライター:福田房枝(サエさん)

馬渕隆一さんって、ご存知ですか?

小型モーターで、世界シェア50%を誇る馬渕モータースの社長をされていた方

刑務所出所者の2人組に
強盗目的で家に侵入され、
奥さまと娘さんを殺害された方、
でもある

殺害後、自宅に放火されたこの事件は、2002年、
TV新聞で、連日のように報道された

主犯は、12年の刑を終えて
刑務所を出所したばかりの
小田島鐵男

犯人が捕まったのは、3年後の2005年
この間には、馬渕さん自身にも疑いの目を向けられたこともあったという


馬渕隆一さんとの出会い①

私が馬渕さんにお会いしたのは
それから6年後の2011年

新宿歌舞伎町の〝かけ込み寺〟で、
刑務所出所者さんの
自立支援の仕事をしている時

馬渕さんが、刑務所出所者さんの自立支援に奔走されていると伺い、驚いた

私は、早速、馬渕さんにお手紙を書いた
是非、お会いしたいと。

なぜ?

馬渕さんご自身が、とんでもない被害に遭われているのに、

また、当時は、被害者支援法がやっと出来、犯罪被害に遭われた多くの方が、
『加害者は、絶対に許さない!
厳罰を望む』
という社会的機運が強かった時代
(今も、、、)

本当にこんな考えの人がいるの?

驚きと同時に、
リアルに会ってお話を伺いたい
という気持ちが強かった

当時、東京財団の理事長で、構想日本代表の加藤秀樹さんからもお声がけ頂き、
お会いしましょう!とのお返事が

馬渕さんって、どんな方?
会社の知識も何にもないまま、
いつもの取材と同じ
全く、サラの気持ちで本社に

なぜ加害者の支援を?

どんなお気持ちの経過があったのだろう?

馬渕隆一さんとの出会い②

本社は、千葉県松戸市にあった
(創業者がお兄さんで、二代目社長)

小さな町工場から始まったらしいが、
今や、本社のビルは広大な緑の中に、
ゆったりと建っていた

私はその最上階の社長室に、
計6〜7回通い、
馬渕さんの胸の内を
お聞かせ頂いた

私が伺いたかったのは一つ

馬渕さんが、そこまでに至るには、
相当な葛藤があったはずで、
その心の経過が知りたかった

(どんな自立支援を計画されているのかその内容は、もちろんだったが!)

馬渕隆一さんとの出会い③

単刀直入に、
ご自身が、とんでもない被害に遭われたのに、何故、刑務所出所者さんの自立支援を?と

初めてお会いしたにもかかわらず、
私が直裁で不躾な質問ができたのは、

馬渕さんに、そんな失礼を許してくださる心の広さを感じたのと、

馬渕さんご自身が、
建前や前置きはさておき、
私の真意を知りたそうだったから、、?

馬渕さんは、終始、真摯な態度で接してくださった(思いだすと、私の厚かましさには、冷や汗ものだが)

馬渕隆一さんとの出会い④

『よく、加害者を支援しようとのお気持ちになられましたね?』の質問に

しばらく、〝うーむ〟と言葉を選ばれるような仕草と間のあと、
ポツリと

『二度と、自分ような被害者をつくりたくない!と思ったから』と

続けて
『もちろん、直ぐにそんな気持ちになれたわけではないですよ、、』

『死んでほしいとも思いました、
恨んで恨んで、、、
恨んで恨んで、、、

その恨みが底の底まで行って、
コツンと当たった感じがあって
ふーッと浮かんできたのが、
この先には、何もないな、と、、、

裁判の経過で、

主犯、小田島鐡男の生い立ちを知ることになったのも

気持ちの変化に、大きな影響を与えた

(小田島鐡男の生い立ち) 
小田島は、弟と共に長い間、
祖母宅に預けられて育った

祖母が身体を壊して育てられなくなったので、やむなく母親が迎えにきたが、
なぜかその日、弟1人だけを連れて帰り

6歳の小田島は、1人、駅に置いてけぼりにされる

また、祖母の家に戻るが、
食事や衣服も、ままならない

それからは、万引きを繰り返し、
少年院送りと養護施設を行ったり来たり

学校もろくに通えず、相手にしてくれるのは、暴力団に近い人

初犯は、先輩に?誘われて、強盗を!
そのまま刑務所で、12年

悲惨な子ども時代を知った馬渕さんは、

小田島を恨んでも、
自分が救われることはない!
といきついた、

馬渕隆一さんとの出会い⑤

小田島は、刑務所出所が近づくに連れ、
出所後の自分の行き先を考える

働き口は無い!と知る小田島は、
出所前から、刑務所仲間と共に、
用意周到な計画を

必死な警察の操作にも関わらず、
犯人逮捕には、かなりの年月が

懸賞金を出して見つけたいとの馬渕さんの願いも、直ぐには聞き入れられず

妻が病気だった事で、自分まで疑いの目で見られたりと、当時は、筆舌にしがたい思いもされた、と

馬渕さんは、終始、ご自身の気持ちを正直に、そして忌憚なく、語ってくださった

そして、最後に、考えた末の

加害者支援の『上申書』を見せて頂いた

馬渕隆一さんとの出会い⑥

何回かの訪問の後、この馬渕さんのお気持ちを、直接、法務大臣にお持ちしよう!という事になり

私の友人の伝手で、
当時、参議院議員議長で、
法務大臣の経験者でもある、
江田五月さんにもご同行頂き

法務大臣の鳩山邦夫さんに
上申書の説明と共に、
ご協力の打診に伺った

しかし、鳩山邦夫さんは、法務大臣当時、歴代最高の死刑執行をされた方

丁寧な対応とは裏腹に、
当時は、民間人が刑務所出所者の支援などは、ほど遠い事を〝再認識〟させられる事に

私がなぜ今、馬渕さんを思い出したか?

今のSNSなどの現状に心が痛んだから

少しでもミスや失敗をしようものなら、
容赦のない非難中傷が浴びせられる
今の時代に、真底心が痛む

そんな人に、馬渕隆一さんの言葉と行動をお伝えしたかった、と、
書きながら自分自身に納得!

馬渕さんは
『小田島は、加害者だけど、
子ども時代は被害者だった』

(ネットには、刑務所を出所後、働きもしないで、との記述があったが)

小田島のような出所者(前科者)には
働く場がほとんどない

馬渕さんは、その事を、身を持って知り、

この悪循環を断ち切らないと、
また、自分のような被害者を出すことになる!と

それが、加害者の働く場所を提供しよう!という気持ちに

残念なことに
この事業自体は、叶わなかったが、
馬渕隆一さんは、育英財団を作っている

日本国内、国外を問わず、
勉強したくても環境が厳しい子どもたちに、チャンスを!と

その名前も
『馬渕国際育英財団』

小田島の周りに、 
もっと温かい人の手があったら、
小田島に勉学の機会があったら、

ぼくのような人間をつくらなくてもすんだかもかもしれない

馬渕さんの声が聞こえてくる気がした
    
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