平成と令和,経世会と清和会

 三十年続いた平成も終わり,令和も四年目となって,「昭和時代」などという言葉も普通に使われるようになった。「明治は遠くなりにけり」どころか,昭和も日々遠くなり,歴史と化していっている。

 令和改元の時,前回の改元,「平成」と書かれた色紙を,当時の小渕官房長官が示した会見の映像がよく流された。それで三十年前のことを思い出した人も多いだろう。天皇の生前譲位は,副産物として改元の予想が憚り無くできる状況を生み出したが,後から見れば的外れな予想ばかりであった。

 実は平成と令和には一つ共通点がある。それは当時の政界で支配的地位にあった自民党の派閥の音と重なる,ということだ。平成改元の時の首相は竹下登で,経世会の政権であった。「けいせい」と「へいせい」は音が重なる。令和改元の時の首相は安倍晋三で,清和会の政権であり,「せいわ」と「れいわ」も,やはり音が重なるのである。時の支配的派閥の名前をこっそり入れるように,立案者には密命が下っているのではないかと勘ぐりたくもなる。

 それで興味深いのは,改元後の動向だ。経世会は新しい年号に音を刻んだものの,程なくリクルート事件で竹下内閣は総辞職に追い込まれ,そこから高まっていった政治改革の流れで,その後1992年(平成四年)には小渕派と羽田派に分裂し,翌年には自民党自体が分裂して政権を失い,細川内閣が成立した。結局この細川内閣も短命に終わり,社会党との連立という裏技で自民党は政権に返り咲くが,ともかく改元の後には経世会は政権を失ったのだった。やはり,年号に自らの音を入れるという行為の代償は大きいと言えるのかもしれない。

 2019年の令和改元の時点では,安倍政権は安定しており,はたしてどこまでこの政権が続くものかと,途方もないように思われたが,翌年のコロナ禍で政権は支持を落とし,退陣に至った。ただその後も最大派閥として,安倍派(清和会)は影響力を維持し続けていたが,安倍氏がまさかの銃撃を受け,その後旧統一教会との関わりがクローズアップされることで,清和会の先行きも曇ってきたようだ。

 経世会が分裂したのが平成四年で,今年(2022年)はちょうど令和四年である。平成五年は自民党が分裂して下野した。岸田政権は衆参選挙に勝利して,国政選挙のない「黄金の三年」を謳歌することになっており,平成政治史との符号がどこまで続くか不明だが,内閣改造にもかかわらず支持を激減させており,ひょっとするとこれから政界は激動が続くのかもしれない。いや,むしろ漂流と言うべきかもしれぬ。

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