Statue of cancel culture.

イギリスの首都ロンドンから西へ150キロほどのところにある港湾都市・ブリストル。

2020年夏、市街中心部のコルストン・アベニュー沿いにある公園に黒い服や黒いマスクに身をつつんだ人々があつまっていた。

その手に「Black lives Matter」など思い思いのメッセージが書き込まれたダンボール板を持つ群衆はエドワード・コルストン像の頚椎に紐をひっかけるとうつ伏せになるように引き倒す。
コルストン像は赤や青のペイントをされ、最後にはブリストル湾に投げ込まれた。
その瞬間、”奴隷商人”の没落に群衆は喜びを爆発させた――。

先日、井野瀬久美惠さんの「コルストン像はなぜ倒されたのか」(『歴史学研究』所収)という論文を読んだ。

https://ci.nii.ac.jp/naid/40022626785/

個人的に銅像をめぐる人々の有りようが好きなので、もともと興味はあったが、コルストン像の詳細を知らなかった。

コルストン(1636-1721)は奴隷貿易を独占していた王立アフリカ会社のメンバーとなり、今で言う「奴隷商人」の経歴を持っていた。
しかし、井野瀬が明らかにするのは、コルストンがその一方で、協会の修復、病院への募金、孤児院や救貧院の設立などを行うような博愛主義者でもあったという側面だ。

ブリストルのリース現市長となってからは、その慈善事業家としての銘板だけでなく、苦役を強いた奴隷商人でもあったことを示そうという動きが起きる。

田野瀬はこの時点の状況を「コルストンをめぐるブリストルの世論が、依然として『博愛主義者』と『奴隷商人』の間で揺れつづけ、かつ両者が拮抗していた」と指摘し、この拮抗する議論を一気に奴隷商人へと振り子を振り切ったのが、2020年のBLMに端を発するグローバルな反人種差別運動だったと解説する。

と、ここまで読んでいてなにかに似ていないか?と気づく。
そう、五輪開会式の前にあった開会式担当者の連続辞任劇だ。

街中に建つ銅像も役職就任が発表されたクリエイターも
過去の言動が問題視された。

2003年にイラク戦争でフセイン像が倒されたが、あの時とコルストン像の引き倒しは異なる。
コルストン像を引きずり下ろしたその紐の、その糸を引いたのはキャンセルカルチャーの担い手だ。

2020年7月15日にはBLM参加者のひとりの像がその台座の上に置かれるという事件が発生。市当局によってわずか1日で撤去されたが、筆者の言うように「21世紀の今、公共空間に置く銅像には誰がふさわしいか」という重要な論点を顕在化させた。

今、公共空間に立つ銅像には誰もが納得できる人でなくては生き残り続けられなくなっている。
だからこそ以前に比べ、わざわざ建立される銅像は少なく、最近新しく建つのが多いのはアニメキャラの銅像ばかりだ。(志村けんさんの銅像は建って良かったです)

では、今、誰が銅像にふさわしいか。この思考法は公的なポストに今誰がふさわしいかという問いにもつながる。
仮に今までどれほど功績が称えられた人物でも、反差別的、ハラスメント、いじめをした人物であればその一点をもって、ポリティカルコレクトネスという単語に集約される世論の力によって引き倒される。

みんなが「ああ、あの人はすごい」という共通見解、集合的記憶はなくなっている。
だからこそ公共の空間にたつ銅像にはいろんな角度から目が向けられる。今の日本で、実在する人物をモデルにした銅像の誕生が少なくなっているように、過渡期にあるといえるだろう。

今、日本に建っている銅像もそこにあるべきか?という問いが向けられる時代が迫ってきているように感じるのだ。

#最近の学び

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