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上司の"いじり"に悩んだら……

 学校を卒業すると、「いじめ」はなくなるのか。
 よくいじめのニュースを見て、思う。流動性のない、つまり入れ替わりが原則としてない世界だからこそ起きるいじめ。とはいえ学校を卒業した後でも硬直化した集団はある。職場、近所、ママ友……。

 この文章を書いている僕はその中で職場のからかいに少し悩んでいる。「いじめ」まではいかない。学生時代、見て体験してきたそれとは異なる。そこまでひどくはないのだが、自分の心はズキズキ痛む。うーん、なんだろうこの気持ち。そんなふうに考えていた時、タイトルそして内容といい、コレコレ!と思わせる1冊に出会った。
 『上司の「いじり」が許せない』だ。
 著者の中野円佳さんが20,30代を中心にアンケートを実施。職場での「いじり」についての回答結果を紹介しながら、日本の職場で何が起きているかを明らかにしてくれている。
 そう、「明らかにしてくれている」というくらい「いじめ」とは言えないかもしれないが、「自分だけ一方的に傷ついていない?」という事例がたくさん出てくる。
 まず、苦しみは自分だけではなかったということで、少し救われた気持ちになる。僕自身は嫌だなと思っても笑って流すことが多いのだが、同じように耐えている人が多いことにホッとすると同時に驚かされる。いったい日本では、どれくらいの人が苦しさを押しつぶして笑っているのだろう。

 いじりが起きるメカニズムのひとつに、新参者やその場におけるマイノリティに対して行われるという特徴がある。いじりを受けた側は、関係性が出来上がっておらず嫌だと思い切って言い出せなかったり、空気を壊したくないという思いで、いじりは止められることなく、「いじり」は再生産されていく。想像をしていなかったが、想像はつく。そんな若手社員が直面してきた事案が次々と紹介されていく。
 なかでも、転職を決意したミホさん(仮、女性29歳)の悲痛な叫びは胸を打つものがある。

 いじられの結果、転職という道を選ぶのは「逃げ」なのではないか、いじられたくらいでへこたれるなんて精神的に弱いだけなのではないか、嫌なら嫌と言えばいいのに行動に起こさない私が悪いのではないか、私が悲劇のヒロインぶっているだけなのではないか、といった思いに駆られることもしばしばです。

同書第4章より

 マイノリティは他に同じような例がないため、自分だけこんな扱いになって、多数が自分を責めるのは、自分が悪いからだと自罰的な感情に陥りがちだ。まるで他人事のように書いたが、かくいう僕自身がそうだ。
 しかし、多数派の理論を自分にまで適用する必要はもちろんない。筆者の中野さんもミホさんにこう説く。

 それは弱さではないし、逃げだとしても逃げてもいい。社会全体としても、転職しやすい社会にしていくことは苦しむ人が状況を脱出する選択肢を増やす。

同書第4章より

 と、『逃げ恥』の津崎平匡 (星野源)ばりの「逃げたっていいじゃないですか」を語りかけてくれる。そして、日本企業の流動性の低さをその苦しみの構造的要因として指摘する。

 職場の人間関係で悩んでいるが、自分だけなのだろうか。もし、そんなふうに思ったら、すぐにこの本を手に取ることをおすすめする。

「他にも同じような人がいる」

 同じような経験をした人がいるという"連帯"の発見は、マイノリティに身を置いたあなたを救ってくれるような、ひとつの支えとなるはずだ。

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