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『心はどこへ消えた?』パンチライン10選(後編)

引き続き、東畑開人著『心はどこへ消えた?』よりパンチラインを紹介していく。

前回の文章はこちら

・パンチライン⑦

"人格の善し悪しなんてものは、周囲が優しくしているかどうかで決まるのである。"

チンパンジーの実験で分かったことを東畑さんは取り上げている章にて。その成果のひとつとして、上記の事柄があった。

環境に合わない、それは自分のせいだ、と考えてしまうことが自分にもある。

自分はおかしいのかもしれない。何かしらの領域でマイノリティに属していたら、そう感じることもあるはずだ。

だから嫌われている、なんて悲観的に思ったりすることもあるのだが、そう思われているのは、究極をいえば環境の問題だ。言われているあなたや僕自身の問題ではない。

もちろん自分の非や正すべきところは正した方がいいが、環境的な要因まで自分で引き受けすぎてしまうのは良くない、そう気付かされるフレーズだ。

・パンチライン⑧

"仮病だろうが、なんだろうが、いいのだ。(略) どんな仕事も絶対に替えが利くし、あとからリカバーできる。周りを困らせることができない方が病気だ。仮病は気病なのだ。気を病んだときには、気を遣われることでしか回復はない。

東畑さんは徹底して仮病を擁護する。仮病を使って休みたい時は心が休みを求めていると肯定。東畑さん自身が仮病を使うためにどんなことをしてきたかも赤裸々に書かれている。これを読んでから、仮病に対する考えが変わった。若干のうしろめたさはあるが、根拠のない仮病とは違う、病むにやまれぬ仮病という考えができるようになった。

・パンチライン⑨

"胸に手を当てて、かつての恋人たちとの別れを思い出してほしい。同じような別れ方を繰り返してはこなかっただろうか。同じような喧嘩をし、同じような状況に陥り、同じような結末に至る。そういう反復にこそ、私たちの孤独の形が現れる。"

恋人という例えは自分にはピンとこないが、友達や大切なひと、と置き換えるとどうだろう。

喧嘩とまでは行かなくても、前は仲良かったけど、疎遠になった人。そんな人達とのやり取りを思い返すと、たしかに自分の孤独の形が現れる。

自分の場合は好きにも嫌いにもあまりならないのだが、

消滅するか維持するか、

他人か知り合いか、

俺か俺以外か、っと最後のひとつはRolandだったが、

このような二分法のゼロサムゲームで人との関係を定義していた。

だからだろう、卒業や転校などの別れの後の関係の維持の仕方がひどく不器用だったし、別れたらもう関係は続かないだろうと冷めた目線で他人を見ていた。

それが自分の孤独の形。去るもの追わず、といえば聞こえはいいが、敵も去るもの追うものと、どんな人にも扉を開けて、声をかけようとする意思表示が必要だったのでは?とも気付かされる。

・パンチライン⑩

"居場所を失った心は外に漏れ出す。彼の代わりに私がさみしくなっていたように、苦しい気持ちを感じるのが苦しいとき、私たちは周りを苦しくさせる。苦しんでいる自分を殺さないための切ないやり方だ。"

パンチライン⑤にもあった外への攻撃。

よく気分が冴えない時に、天気が悪いから、冬だから、あの人のせいで、職場がこんなにひどく、と自分の外に原因を求める。

それは事実なのだろう。そして、自分にも原因があるのは分かっている。ただ、自分を原因として解釈するのはあまりに苦しい。だからこそ他の原因を求める。この切ないやり方という表現には思わず納得してしまった。

今日気分が上がらないのは、天気のせい。そうだ、そのはずだ。でも本当は自分自身になにか原因があるのかなって薄々分かっている。分かっているけど、それはとても苦しいことなんですよね。いつかは向き合わなきゃいけないのかもしれないけど。

ってなわけでパンチライン10選でした。

以下2つは番外編になるが、ユーモアを感じて好きな言い回し。考えさせられるというより、ぜひ実際読んでひと笑いして欲しい部分だ(なので、一部を抜粋)。

・パンチライン⑪

"うっかり仮病が寛解してしまいそうになったほどだ。"

連載で書いた仮病について、読者から強く心配されて。

・パンチライン⑫

学者の味噌汁は塩分控えめで、哲分しっかりだった。

哲学者ソクラテスのような大御所学者を訪ね、味噌汁を振る舞われて。


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