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「読書」に舵をとったら「数式」の暗礁に乗り上げた

ゲームをしながら綴っていたら叱られた

書き出しから横道に逸れて恐縮ですが、今、この文章を綴りながら下の子と「カタン」というボードゲームをしております。

私はサイコロを振るだけで、その他の作業を子供が代行してくれてます、「パパも集中してよ!」と叱られてしまいました。
ごもっともです。反省いたしました。今はゲームに集中します。
......
しばし後、ゲームに負けてしまいました。そのうちボードゲームについても綴ってみたいと思います。

針路を読書へ向け出発

抽象的な概念である「趣味」という意味の中に唯一具体的な行動として「読書」という言葉が出てきました。
そのため「読書」へ舵を切り、綴っていくことに決めた。
というところまでが前回のあらすじです

読書は趣味に含まれる→「読書⊆趣味」(部分集合)

「趣味」という意味の中に唯一具体的な行動として「読書」という言葉が出てきたということは、
「読書⊆趣味」が成り立つということですね。
記号⊆は「部分集合」であることを意味します。
言葉にするなら「読書は趣味に含まれる」ということになります。

最初から「読書は趣味に含まれる」と書けばよいではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。

私が「読書⊆趣味」と記載した趣旨は2つあります。

1点目
「読書」とは何かの集合体だと感じたことを示したかったからです。
本は1冊ではありませんし、分野も多岐に亘るからです。

2点目
記号⊆を用いれば、それが明確になります。数式は簡潔で正確に表現できます。

数式が言葉で綴るよりも簡潔で正確であることは、「読書⊆趣味」の趣旨説明に私が費やした文章量をご覧いただければお分かりいただけるかと思います。

失礼いたしました。これでは数式の方が言葉より勝ると言いたいと思われてしまっても仕方ないですね。
下の綴りは、次回以降の話題案の一部ではあるのですが、「言葉」に対して失礼の無いように先出ししておきます。

言葉というものは抽象的な概念を多分に含んでいるぶん、ふんわりとやさしく、あいまいを持ち味として用いていくべきものなのだと思いました。(おそらく・・・)


この点を踏まえれば、数式も言語の一種と言えるかと思います。
簡潔に記載できてしまうがゆえに、「趣きと味気がない」と受け止められがちですが、簡潔な記述の中に深い味わいが詰まっているのだと私は思います。


より複雑な数式になれば、私にとっては「噛めば噛むほど味が出る」どころではなく、むけないピスタチオの様に味わうことが出来ません。
しかしながら、殻をむける人、殻を噛み砕ける人は「私が味わったことがない深い味わい」を味わっているものと推察します。素敵だと思います。きっと数学が趣味という方も世の中におられるのでしょう。

「読書⊆趣味」もとい「読書⊂趣味」(真部分集合)

前述で「読書⊆趣味」と綴っておきながら恐縮ではありますが、読書以外にも趣味と呼べる行為があるはずです。
そうであるならば趣味の集合体の方が読書の集合体よりもかならず大きいということになります。
ゆえに両者の集合体の大きさが等しいということはありません。
このような場合には真部分集合である記号⊂を用います。
「読書⊂趣味」と記述したほうがより適切なように思います。

数式の暗礁に乗り上げた?

いつの間にやら数式の話になり、まったく「読書」の方に進んでいません。またもや暗礁に乗り上げたのかもしれません。

しかし、この暗礁の中にこそモノリスが潜んでいるやもしれません。
いつか潜って探索しなければいけない日がくるのでは?
モノリスは見つけられないものの、探索してみたらピスタチオを噛み砕けるようになれるかもしれません。

次回こそは「読書」に向かいます?

まずは、「読書」の意味を調べることを手始めに。
平日は私の思考を書き出す時間がとれません。またお会いするのは週末になるかと思います。

それでは、皆さま、良い一週間を迎えられますように。

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