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一期一会のことば 1*パパは、いいとか、わるいとかにつかまってる

こんにちは、Reiraです。
個人noteで、日常で心に響いた言葉をすこしずつ綴っていこうと思います。

お盆休みも終わり、今日から子どもは児童クラブへ。
我が家では2、3ヶ月に1回、夫と子どもの本気のケンカ?が勃発するのですが、このお盆休みも、2人で出掛けて楽しく帰ってきたのに、本当にちょっとした事で久しぶりの大ゲンカ。

叱られて泣きつかれて寝てしまった娘。夫は自室へ引きこもり、お腹が空いたと起き出した娘に温め直したご飯を出しながら、ケンカの原因についてすこし話をしました。

ずっと黙っていた娘は、ひとことこう言いました。

パパは、いい とか、わるい とかに
つかまってる。

大人にも通じるように解釈するなら、
『パパは、物事を良いとか、悪いとかだけで判断している。』みたいな表現になるのだろうけれど。

つかまってる

なんてまっすぐな、誤魔化しの効かない、
なのに何倍も響く言葉。

確かに、夫にはそういう所があって。
日々現実に起きてくる物事や出会う人をまず「これは自分にとって、あるいは社会的に善なのか、悪なのか?」を判断してから、自分の中の整理棚のようなところに取り入れて生きている(ように見える)。

すべての物事に対して善悪を判断すべき、というこの見えない仕分け紐のようなものを、彼はいつから持ち始めたのだろうか。娘が言うように、その見えない仕分け紐で自分自身がからめとられ、身動きが取れなくなっている姿が目に浮かぶ。

その判断=ジャッジが自分らしさ、アイデンティティの拠り所になっているからこそ、自分からつかまっているという側面もあるかもしれない。それも、必死で。

ある時から、私は彼のこの葛藤をどうにかしてあげたいと思う事をやめた。何も言わず、黙って聞いている。自分の意見があれば、言う。好きなだけ、ジャッジすればいい。葛藤すればいいと思っている。

冷たいだろうか?

彼は本当は人が好きだ。私なんかよりも、優しく愛情もある。でも、それ以上に、傷つきやすく繊細な自己を持っている。相手にも自分と同じだけの優しさや愛情を求めて期待してしまうから、裏切られた時に傷つきたくなくて、ある程度のところで、諦めている。

「あいつは人間的にダメな奴だから、
 仕方ないんだ。」

そう思わないと、そんな人間にも期待した自分、という心の傷が深くなる。愛情の行き場はなくなり、無力感に襲われる。だから、自分にとっての悪に傾きそうになったら、それなりの理由を付けて心の中の「無用の箱」に入れて蓋をする。

でも、長い付き合いを経てやっと私にも分かるようになった。その根底にあるのは、自分への愛だ。子どもの頃から彼自身が自分に対して当然注ぐはずだった自然な愛情を、彼は今、親になってから少しずつ自分に注いでいる。そうやって自分を傷つけるものから守ってやることで、自分に愛を注いでいる。ただ、それだけ。

今はきっと、あらゆる方面から自分への愛を満たしている途上なんだと思っている。子どもへの愛や接し方にも、満たされなかった子どもの頃の彼自身が無意識に重なっている。

そんな姿を、子どもも少し感じ取っているのではないだろうか。もちろん、言葉にならない感覚の片隅で。

いいとか悪いとかにつかまらなくてすむくらい、自分がいっぱいに満たされたら、我が家のケンカも減るのかな。
そんな事を思ったお盆でした。

追記:
あくまでも、私自身が個人的に感じていることを、感じたまま表現しております。専門学的な誤りや不適切な表現があるかもしれません、ご容赦ください。

子どもたちがみんな、夏休みの記憶を懐かしく思い出す自立した大人になるまで。このかけがえのない日々を、大変ですが大人も一緒に楽しんでいけますように。

本日も、お読みいただきありがとうございました。



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