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理想のJ-POPを語るために ~みのミュージックさんと音楽の歴史をつなぐための覚書


はじめに J-POPの現在を考える144枚を作ってみた


つい先日、「理想のJ-POP」を語るトレンドがXに現れ、ちょうど最近洋楽ばかり聞いていた私は、なんとなしにリストを作ってみることにした。
しかし、最初に気づいたことがある。

「理想」を語るためには、今の現実のJ-POPの状況を振り返る必要がある。
今の状況への不満、違和感を認識してこそ、これからの時代の理想とかを語ることができるはずだ。
というわけで、以下が先日X上に投稿した、「今のJ-POP」を考えるための144枚リストである。

(上から)
1-2段目 アイドル~グループ~ダンス
3段目 2010年代後半以降のJ-POPのトップランナーたち
4段目 歌姫・歌い人+パンク+椎名林檎/宇多田ヒカル
5段目 歌姫2 
6段目 星野源+suchmos(2010年代のゲームチェンジャー)
   +チームオーガスタ+ビジュアル系+広瀬香美 
7段目 NHK+アニメ
8段目 ロッキングオンと00年代J-ROCK
9段目 90年代J-ROCK
10段目 80年代以前から活動していたベテランたち
11段目 2020年台の課題 ボーカロイド、Tiktok
12段目 小室哲哉とHIP HOP/レゲエ

選定基準

①紅白歌合戦、FNS歌謡祭、ミュージックステーションに頻繁に出場している
②オリコンチャート/Billboardチャートの1ケタ台の常連
③J-POPの歴史の本を読んだときにそのバンドの重要性がくり返し語られている

今回、一般大衆が思うJ-POPを意識してリストを作成したため、優先順位としては①=②>>③くらいの感覚でアルバムを上げていった。
後述するように、時代はJ-WAVEがJ-POPという言葉を使いだした1989年以降の物を選んでいる。また、アニメやTikTokの流行歌は単純な他との比較が難しかったため、アニメは世代全体に影響を与えただろう人/ものをまとめた。

(参考にしたサイト)

このリストも最善のものではない。
ただ、このリストを見ながらだと、かなり自分が好きなJ-POPと世間との距離感を掴むことができた。参考にされて見てほしい。

みのミュージックのJ-POP史観

さて、今回のリストをまとめながら私は不思議だったことがある。
それは、つい先日『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』という、かなり意欲的な日本の歌の歴史を書いたYouTuberのみのミュージック氏の名前が、Xに出てこなかったことである。
J-POPとは何かを考える時に、この人がまとめた論点を参照してみよう。

みのミュージックは、上記の動画にてwikipediaを参照しながら、J-POPという言葉が抱える問題点として「歌謡曲や流行歌」という言葉ではなく、J-POPが包括的なポップスを表す言葉として使われていることに違和感を感じていた。
さらに、いろいろな国のwikipediaを見てみると、90年代以降はJ-POPと呼ばれるようになったという記述はあるものの、すべてが最後J-POPに回収されてしまうことにみのさんは危機感を持っていた。90年代以降と以前に別れてしまうことで、海外に紹介するときも、歴史記述に断絶が生じてしまうのだ。

そしてこの後、みのミュージックは日本の音楽史に関する通史を書くという挑戦をした。ではこの本の中でJ-POPはどう扱われているだろうか。

この本では、まずJ-POPの誕生を昭和六十三年八月に開局した、FMラジオ局J-WAVEが、邦楽を流す際に洋楽志向が強かったサザンオールスターズ、松任谷由実、山下達郎、大瀧詠一、杉真理といったアーティストをJ-POPであるという定義をすることで、都市になじんだポップス層をターゲットにしたことをはじめと考える。
その一方で、サザンオールスターズが成功させた新たなロックバンドの活動姿勢をみのさんは「桑田佳祐モデル」と呼んだ。
桑田佳祐モデルとは次の箇所に説明されている。

桑田佳祐は、きわめて幅広い音楽ジャンルを網羅し、下ネタからストレートなラブソングまで、硬軟織り交ぜた作詞が行える。最先端の機材を駆使した革新的なサウンドから、歌謡曲的ツボもしっかり押さえたポップスまでを射程に捉えた作風でヒットを量産。サザンオールスターズは国民的バンドの地位を駆け上がっていった。
また多くのロック・ミュージシャンを悩ませ続けた、大衆性と精神性のジレンマを軽々と飛び越えた点でも特筆に値する。サザンオールスターズは、先鋭的な表現手法が表出することはあれど、基本的な活動方針は良質でポップな楽曲を生み出すことが第一義であり、むしろヒット性を保ちつつ、その枠の中で最大限の音楽的冒険を行うことを矜持とした。(中略)
ロックは自然な創造力の発露に基づいた作曲が重視され、歌謡秩序に接近するほど、迎合したとみなされる気風があったが、桑田佳祐は無理のない形で最適解を導き出したと言える。以降、半世紀近くにわたって、サザンオールスターズが国民的ミュージシャンとして支持され続けているのを鑑みても、この"桑田佳祐モデル"の強度の高さが見て取れるだろう。

「サザンオールスターズーーロック精神とヒットの両立」『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』

この桑田佳祐モデルを、Mr.Childrenやスピッツ、King Gnuのような、後にJ-POPの王道を作っていくアーティストが辿っていくというのが、みの氏がJ-POPの中でも特に邦ロックに近い人々への説明である。

さて、これからJ-POPの理想を語る際に私が気になった点を3点あげる。
この3点のうち、特に②、③はみのミュージックさんが定義したこの桑田佳祐モデルではうまく説明できない事例と思われる。そこに注目しながらお読みいただきたい。


REI RAINが気になったポイント

①KING OF POP マイケルジャクソンと大瀧詠一の呪縛と「ポップス」以後の音楽


「ポップ」という言葉の語感は、J-POPを考えるうえで厄介な問題となる。
『ポップス』をマイケルジャクソン(特にモータウン時代)やフレンチポップのような、一定の形式のなかにある音楽ジャンルだと考えると、実は日本のJ-POPという言葉の用法はあまりにゴリゴリのロックに対しても使われてしまっている。特にB’zにJ-POPという言葉を使う時は違和感がある人もいるだろう。
日本においては、「ポップス」という言葉で想像される中で一番勢力が大きいのは、ここ10年で再興してきた「シティポップス」だろう。大瀧詠一や、山下達郎らは、(もちろん歴史は再解釈されるものだから、今後どうなるかはわからないとはいえ)日本におけるポップスは何かを、社会的に定義した人々である。

こうした「ポップス」という言葉でイメージする音楽ジャンルが、おそらく理想のJ-POPを語る時に非常に人によってJ-POPという言葉でイメージするものをゆがめているように感じる時がある。

2000年代以降、マイケルジャクソンや大瀧詠一が生きている時には存在しなかった音楽が世の中を席巻した。過去の歴史を参照して考える大瀧さんなら、それらの音楽も元をたどって考えることだろう。
ただ、次の二つの例はみなさんにどう見えるだろうか。


 ラッパーのFutureは、2010年代を代表するラッパーの一人であり、Trapと呼ばれる重低音を激しく強調した音楽を探求した。さらに、酔っ払ってろれつが回っていない発音はマンブルラップと呼ばれ、日本のラッパーたちにも大きなムーブメントを起こした。
 また、イギリスのロックバンドColdplayはEDMの大家Aviciiとの共作の中でバンドサウンドを超えて、EDMと融合した独自の音楽を追求した。この方向性は、のちに日本のBUMP OF CHIKENがRAYなどで探求した音像とつながっていると言われている。

例えばこの二つの音像は、今の洋楽ヒットチャートを語る上では避けて通れない。また日本のBAD HOPやBUMP OF CHIKENにも影響がある。
しかし、海外を見ても日本であっても、体感的にFutureのTrap MusicをPOP SONGとして扱う人はあまりいない印象がある。一方で、Coldplayは初期のブリティッシュロックという枠でとらえる人は減り、ポップソングの一種としてとらえる人が増えたように思う。

このように、ポップソング・ヒットチャートの流行が移り変わる中で、ポップスの範囲が今どこにあるかも今一度意識してよさそうだ。

私の考えをまとめよう。

①日本由来の、シティポップを含む歴史ある音楽ジャンル(ポップス)としてみる人
②B'zやロキノンまで含めた、日本の大衆音楽全体を表す言葉

Xで見たリストを見る限り、J-POPというものに対して、おおまかにこの二つの考え方が存在している。

この時、私がリストに挙げたヒゲダン、ミセス、King Gnu、藤井風、あいみょんといった2020年代のポップスと小沢健二、ミスターチルドレン、スピッツ、B'zと言った1990年代のポップスを比較して、どのような要素が足され、何がポップスとして喋られているのかを定義すると、この30年間の変化がわかり、ポップスとJ-POPの関係性も整理されてくるだろう。

(個人的には、King Gnuのミクスチャー性、ヒゲダンミセスの超高音ボーカル、藤井風の節回しの細かさなどは、この30年のJ-POPの変化としてとらえてもよさそうだ)

逆にマイケルジャクソンを敬愛し、特に裏打ちのあるリズムと言う意味で伝統的なポップスを意識して曲作りをしたのは、星野源だろう。

②放置された「日本語ロック論争」=J-POP論はマキシマムザホルモンとONE OK ROCKをどうみればいいのか 

J-POP。

J-POPの「J」を定義してみなと言われて、ほとんど多くの人は「日本」だと答えるだろう。そして日本語で歌われた曲こそがJ-POPだと考える人もいるはずだ。しかし、ここ数年の歌詞事情はそう簡単ではない。

マキシマムザホルモンは、擬音だけしか使わないB-DASHや英語と日本語を取り混ぜた音楽を始めた。しかもその音楽性はSystem Of a Downなどを彷彿とさせる、モッシュが起きるようなハードロック(メタル)だった。

私は、マキシマムザホルモンはチャートにも入っているし、間違いなくヒット曲のレベルではJ-POPに入れていいが、そのとがり過ぎた音楽性故に今回のリストには入れ切らなかった。

さらにONE OK ROCKは、[Alexandros]のようなバンドと共に、日本語と英語を交互に使う曲を次々と発表し、2010年代を代表するバンドとなった。特にONE OK ROCKはアメリカ進出以後、英語のみで歌われた曲を出し、アメリカのロックファンを魅了し始めている。

私の考えでは、日本語ロック論争も、本来は1970年代から繰り返し語られて議論されてきてよかったが、J-POPの歴史が通史的に語りにくかったのと同様に、「日本語でロックを歌っていいのか」についての議論がどうなったのか、うまく共有されていないように感じる。
今回はロックを例に出したが、当然これはヒップホップにおけるRhymeの取り扱いなどにも通ずる。

そこの空気感が整理されると、今の時代に日本語で音楽をやることの意味が見えてくるように思える。

逆に、日本語のリリカルな面の一つの達成点としてスピッツを読み解く論考も存在している。スピッツが達成したのは「歌詞の意味を殺す」ことだという。


③日本をすっとばしていきなり世界を狙うアーティストたちの存在 ーー大衆歌の「大衆」は日本?世界?


J-POPを「大衆音楽」の一種だと考えよう。
その時、アーティストの目線にある「大衆」は果たして日本人だけにとどまるだろうか?

そして、2020年代以降のポップスに於いて注目されるのは、Spotifyなどのサブスクの発達、YouTubeの覇権、外国映画を時に凌ぐ人気となった日本のアニメの存在を素地として、海外に打って出るアーティストが増えてきたことだ。
そして、これらのアーティストは時に日本という場所にも言語にもとらわれることがないような活動を繰り広げていく。

Rina Sawayamaは新潟出身、ロンドンを拠点に活躍する女性シンガーソングライター。人生のほとんどをイギリスで過ごしてきた彼女は、イギリスの「マーキュリー音楽賞」「ブリット・アワーズ」といった賞を取ってきた。2022年には、日本のテレビ番組「スッキリ!」で初めて楽曲The Hellを披露した。

千葉雄喜は、2024年に楽曲「チーム友達」が大ヒット。THE FIRST TAKEにも出演し、日本でヒットを掴んだ上でその人気は一気に海外まで広がった。本人が強烈な呪術廻戦のファンであるmegan thee stallionとコラボした曲「mamushi」がバイラルヒットし、YouTubeで音楽ランキング8位を達成。さらに、チーム友達RemixにWill Smithが登場するなど、次々と海外セレブを魅了しはじめている。

こうした国を超えた交流は、Kanye WestやPharell WilliamsがTeriyaki Boyzに呼ばれたときから、特にHIP HOPでは繰り返し行われてきたことに見える。

果たして、日本語の曲がアメリカのお茶の間まで届くことを狙うような世界がやってきたら、あるいはRinaさんのような方の曲が世界中で売れたとしたら、それはJ-POPと呼ばれるだろうか。

ここ数年起こっている日本と海外アーティストの交流は、J-POPという言葉以外の新しい言葉が待望される事態が始まっているように思える。



Rina Sawayamaは、海外に於いてレイシスト的発言を繰り返していたthe 1975のマシュー・ヒリーを、グランストンベリー2023の舞台で批判した。
場所や外国語にとらわれていない活動をしているとしても、違う場所でこうした目線にさらされることがありえる。このことは心の中に置いておきたい。

Harry Stylesのヒットアルバム『Harry's House』は、細野晴臣さんのアルバム『HOSONO HOUSE』50年目のオマージュ作品だった。


最後に 理想の音楽は君の心の中に

私が作った理想のJ-POP(第1版)

理想のJ-POP。
それぞれ見ている現実が違うから、当然でてくる理想も異なる。
現代の音楽に絶望している人。
アイドルの人に恋をして、止まらない人。
洋楽を聞いて、「僕だけがこの音を知っている」と思っている人。
色んな人にとっての理想がある。

星野源は、「日常」という曲で「みんなが好きなもの」が好きでも「みんなが嫌いなもの」がすきでも、それでもいいのだと歌った。
大好きなものがひとつでもあればいい。

今日もまた、理想の音楽を語って人々が言い合いをして、泣き笑い怒る。
それでいいのだ。

J-POPは、そんな日常を彩る音楽であってほしい。
そう私は勝手に思っている。

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