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私は本当に病気なのだろうか?

3年ぶりにnoteを書いてみようと思う。

終活は続けながら2つの癌は経過観察期間になったので
再発していないかどうか定期的に検査を受けるだけになった。
相変わらず社会復帰ができていないのは「鬱」の方が治らないから。

弟が膵臓癌になり、十二指腸に転移したことから遺伝子検査を勧められ
先月血液をアメリカに送る検査をした。
結果は「陽性」「遺伝性乳癌卵巣癌症候群」
これは膵臓も関連するらしい。
母も亡き父も癌にはなっていないが妹や娘には他の人より確率が高くなる。
マメな人間ドッグを勧めるか同じ検査をするように言われたが
姉妹でも陰性の場合もあるし、娘にしても二分の一なので
「お母さんがそういう遺伝子持ってるから」とだけ伝えようと思う。

生活も随分変わった。
一人暮らし、働きながら癌治療+鬱治療で限界がきた。
仕事は休職したけれど
家賃や光熱費など寝ているだけでもどんどん貯金が減ってしまう。
1年休職して(転職したばかりで社会保険や厚生年金に入る前だったから)
「辞めますか?健康になったら無試験でいつでも戻って下さい」

鬱(私の症状は倦怠感と呼吸困難)には不安がNG
病院で勧められバスで遠慮なく席に座れるよう
市役所でヘルプマーク(あの赤いやつ)と生活保護を受けるよう言われた。
市役所に相談したら「生活保護は貯金が13万円を切ってから申請して下さい。
家賃も引越し代は市が出すので3万5千円以下のところに引っ越してもらいます。
生命保険は解約しなくて良いので車や貴金属等々売ってから申請して下さい」
とのことだった。車はもともと持っていない。
ヘルプマークをつけていても外国人観光客の多い空港急行は座れない。
いくら働けないと言っても働いていた頃の貯金は少しあった。
生命保険(がん保険)からのお金もあったし、
東京在住の娘は多すぎるお金を振り込んでくれた。
(死亡保険金で返すよ!一人娘だからね!)
弟に相談すると生活保護は近隣の市に俺や妹がいたら通らないよ!と。

同じような症状が1年半続いたのでそろそろ障害年金を申請しようとしていた。

ある日、父も亡くなったから実家の部屋が余っている!と思って
「もう80歳を超えた母の手伝いもしないと後悔するかも」
「寺の雑用をするからお父さんの部屋を使っていいか」と相談したら
独身の弟がいつか住む用に建てた新築の家の一部屋を
使わせてもらえることになった。

実家の寺は江戸時代から続く建物(本堂)を建て直す予定があり、
数年前の台風でいよいよ壊れかけて、母屋は数年前に取り壊し済み。
残った昭和30年代に建てた離れで母と弟と保護犬はそちらで生活している。
寺の草むしりや昼間の留守番などの雑用を
「体調の良い時にやりに行く」のが仕事
弟の新築の家も私が調子の良い時に掃除する。
収入はないが「障害年金」と寺の雑用でいただくお駄賃で生活している。

1日のうち私の体が稼働できる時間が非常に短いので
朝、起きることができたら抗がん剤治療中の弟の代わりに
弟の犬の散歩と寺の庭掃除をして、要介護の母に頼まれた雑用をすると
一旦家に帰って早めの昼ごはんをいただき
少し薬の飲んで眠ってからできる範囲で身の回りの家事をする。
最近は夕方以降ならお笑いライブにも行けるようになった。
NGKの1日支配人に行けないのは朝から昼にかけて雑用があるから。

4〜5年くらい前、すごく状態が悪い時は起き上がることも文章を読むことも
音楽も耳障りでうるさく感じたし、母のメールも返信できず、
あんなに好きだった推し(アイドル)の動画を見ることもできなかった。
娯楽さえ要らなくなってしまった。

あの頃と比べると
文章をぼちぼち打てるようになったことと
推しの芸能界引退と入れ替わるように「お笑い」という趣味ができて、
配信を見たり大阪なら舞台も見に行けるようになった。
でも出かけている途中で呼吸困難に襲われることがあるので
悲しいかな舞台を見たらショッピングする体力的な余裕もなく直帰するので
遠征はできないし、京都集合のバスツアー(祇園花月企画)も諦めた。

病院の先生は「薬飲みながら遠出すれば自信になるから」と言うけれど
集合の京都駅には自宅から2時間かかる。
娘のいる東京に行っても娘のマンションにたどり着いたらもうダウン
数時間寝かせてもらわないとお出かけができない。
妹夫婦がハワイに連れて行ってくれたが、一緒に観光やショッピングはできず
ホテルでずっと寝ていた。たまに温暖なハワイのホテルの庭で散歩した。
先生はそれでも外に出ることを勧めた。

心配なのは1人行動。
推しの卒コンのためにオタ友と解散した後「倒れるかも」と難波に泊まった。

いくら今回ヨネダ2000とバスツアーしたいからといっても
1人で京都に行くだけでも片道2時間は不安すぎる
ツアー中観光できなくてバスでお留守番になって寝かせてもらうのも
団体ツアーだし迷惑をかける。

楽しそうすぎて諦めきれず病院の先生の他に美容師さんに相談した。
この人は抗がん剤でハゲになった時に転職の面接用に
医療用ウイッグをカットしてくれたウイッグショップ提携の美容師さん。

「〇〇さん。鬱に最初になった時倒れたの京都でしょ?」

思い出した。

乳癌の手術後職場復帰する前に東京から娘が来たので
「せっかくだから京都に1泊旅行しよう」と出かけた。
娘が卒業した大学、美味しいラーメン屋さんに並び、
お互いの趣味のカフェ巡り、植物園、二条城、伏見稲荷、東福寺
いきなり病み上がりで負担がかかったのか帰りの京都の地下街で
娘が職場用にお土産を買うのを待っていたら息が苦しくなり
立っていられなくなった。いっそその地下道で眠りたい。
その後なんとか娘に支えられ
座れる電車で自宅に帰ってきたけれど10日ほど寝たきりに。
起き上がれない、息が苦しい。お風呂さえ入れない。
少し動ける時に近くのスーパーでグラノーラと豆乳を買って
それだけで何日も過ごした。
もちろん3食グラノーラで激太りした。
娘も東京で働いているので帰ったし
そういう時に友人にも兄弟にも誰にも助けを求めなかった(反省)
それどころか何故か誰ともコミュニケーションしたくなかった。

職場復帰と同じ頃に放射線治療も始まったので
呼吸困難と倦怠感について副作用かもと相談したら
医師に「精神科」に行くよう紹介状を書いてもらうことになった。
看護師さんが「一人暮らしで働きながら癌治療2つもして、
今、電池の充電が0になっているってことですから」と言ってくれた。

もう一つ思い当たることがある。
まだ10年ほど前滋賀に住んでいた時も
京都駅の新幹線の下に位置する喫茶店で娘と会って
解散してその頃住んでいた滋賀に帰ってくるとだんだん苦しくなり
その辺の道にでも寝たいくらいになり、思考を奪われ眠い。
なんとか自宅に着くと真っ暗にして眠った。
体が重い、だるい、しんどい。
3連休だったから仕事は休まなかったけれどネットを断ち
あらゆる連絡手段を断ち、友人の連絡先を最小限に消して
死にたい真っ暗な世界に行ったことがあった。

美容師さんは「京都で2回倒れてって偶然かもしれないけど、
気になるのはその後長期間寝込むでしょ?鬱はもう年単位で治ってない。
京都と土地の相性悪いからバスツアーやめときましょ!
大阪発ならまだしも…片道2時間の上に2回京都で倒れてる!
いつかもっと元気になったら行けますって!」と言ってくれた。
スッキリした。

母と弟にはちょっと1日オフが欲しいと相談してたけど
やっぱり行かないと言うと母も安心していた。
行ける範囲のお笑いライブに行こう。
しんどかったら配信にしよう。

癌は遺伝性とわかったけど
医師の勧める『まだ健康な方の乳房も切除』は断った。
アンジェリーナ・ジョリーみたいな貴重な人材ではない。
それにまだ30代独身の娘と過ごしたいささやかな時間もあれば下さい。

鬱は病院に通っているけれど信じてはもらえないだろう。
京都で1回目倒れた時は突然人と関わりたくなくなり
人との縁を自分で切ったり、ネット上のコミュニティから抜け
死にたくなったのだ。
京都には何回も行ってたし、なんなら住んでいたことすらあるのにだ。

1回目倒れた日は滋賀から出向き
京都で娘の当時の婚約者(のちに彼の浮気により遠距離恋愛破綻)に
「お母さんに会って結婚前提の挨拶とタロットをやって欲しい」と頼まれたから。今は廃業しているけれど10年間ほどプロの占い師をしていた。
霊感占いではないのでタロットと命占のみ。

電話占いを軸に占いの館や出張鑑定もしていたからカフェで鑑定もよくある。
京都の混雑した喫茶店もそれほど気にしなかった。
出た結果は良くなかったけど、お金も頂いていないし
お客様ならはっきりと悪くても出た結果とアドバイスを言うけど
大アルカナは出ていないけれど小アルカナでトラブルや言い争いばかり出ていて絵柄的に怖そうなカードはなかったから
素人の2人にはわからなかっただろうけれど
うまく行くはずがなく、アドバイスも不可な状態だった。
ただ「タロット」は短期的なものしか出ないから…と
命占の方は見ずに解散した。
「タロットをしてほしい」とだけ言われたから。
「何かあっても2人で乗り越えてね」と伝えた。

初めて鑑定で嘘をついた。

その帰りに突然の体調不良。
その頃所謂「霊」を見たことがあった時期なのでそういうことだと思って
病院には行かなかった。
実家の寺で墓に囲まれて育ってて霊を見たことないのに
45歳で初めて見えていた時期だった。
お祓いなどもわからないのでただただ眠って回復させた。

手術後の京都の地下街も起こった現象はあの時と同じだ。
その後の「呼吸困難と倦怠感」が勝ってきたので
「眠気と思考を奪われる」は忘れてしまっていたけど、あの時と同じ。

元々占い師をしていた割に信頼できる占い師さんはいても
信頼できる霊能力者に会ったことがなく、
何回か見てもらったけれど1人はすでに癌だった私が発覚する前
「健康は大丈夫」と言われたくらいだ。

人間が動物として持っている直感を信じれば良いと思っているし、
霊(他の人間と同じように見えるから区別がつかない)が見えるとも
精神科の先生に言えない。
安定剤を出されているけど別の薬を追加されそう笑

霊感は持っていないけれど
直感で「これ!今!」と思ったことが正解だったという人生なので
困難が多い人生だけどラッキーなんだって思うようにしている。
離婚後入っていなかった生命保険に直感で通りかかった生協で
「今日入ろう」と入って8ヶ月後にがんがわかって
西日本で有数の経験があるがんセンターに通える距離に住んでて
抗がん剤で治るタイプでラッキーですね!って言われたんだ。
まだ体にカテーテル入ってるけど1日数時間なら動ける。
5年生存率20%と言われてから7年も生きている。

鬱も『私は鬱じゃなくて憑かれやすいだけなんじゃ…』と思っている。
兵庫にいるときにがんになったけど病院でも霊に触られた。
ツンツンされても何を知らせてきてるのかわからない。
わからないし、払えないし、天に上がらせてあげられないし
どうすることもできない。

ひたすら家に光を入れ、風を通し、清掃し、香りのものと
植物を置いている。

今は人生の階段の踊り場で一旦座って休んでいるので
日々の生活の中で誰かの役に立っていればいいかな。

もう最初の癌から7年も経ってるから「卒業」ってないんですか?
って聞いたら
「ステージ4cですからね」「進行し過ぎてましたからね」
ダメだって…
医療費かかるんだって!検査高いんだって!(本音)
いっそ検査、超真面目人間でやったことのない「サボり」
「エスケープ」というものをやってみようか。

先のことはわからないし病気なのか憑依なのかわからないけど
頼るところは頼って、我慢するところは我慢して
いつも存在してくれる推しには存在してくれるだけでありがとうって思って
娘がいるからまだ死んだらいけないなって思うし、
母か弟か私か誰が先か状態のまま来年還暦を迎えてしまうけれど
1日1日できることをする。

直感のままに。








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