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「子どもは1人ひとり違ってすばらしい」か不明


暑くなるにつれて、日課の散歩がおっくうになってきた。が、やる気のあるなしにかかわらず、ぐんぐん歩く。書くべきことのあるなしにかかわらず、ぐんぐん書く。それが散歩だし、それが日記だ。

サルが言葉を獲得する前夜のような次女は、発音がおぼつかないなりに、なにかを伝えようとする素振りを見せている。きょうは自転車をゆびさして「しゃ」、ポケットをたたいて(ビスケットをふやそうとして)「ぽ」、ビルをみあげて「おっきい」などのサンプルが採取できた。

いまのところ、長女のときと同じように、次女は順調なプロセスで成長している印象をうける。生まれこそ1ヶ月半予定より早い低体重児だったが、今は平均なみまで体重が増えた。

長女と次女は誕生日もほぼ同じで、1日ちがいでしかない。だから写真をみて成長の度合いを比較するのもたやすい。

たとえば、2013年5月の長女と、2020年5月の次女を比べてみる。まったく同じ顔をしている。ほんとうに同じなんです。iOSのAIは、2人の写真をおなじフォルダに整理してしまう。

何をいいたいかというと、「子どもは1人ひとり違うからすばらしい」という感動は今のところ訪れていない。むしろ「違うはずなのにまったくおなじだなあ」という神秘におそれいる感じだ。

まったく同じなら、子どもは1人でよかったんじゃないか。そういう話には、今のところなっていない。

昼ごはんは、ほうれん草と豚ひき肉の焼き飯にした。

少なめの油でひき肉を炒めて、ひき肉から出てきた脂をご飯に吸わせる。その脂がうまさであり失敗のもとだ。最初にフライパンにひく油を少なめにするのがコツだが、その油もひき肉も目分量だから分が悪い。

「きょうのは少し脂っぽいかも」と妻子にいいわけし、梅ぼしをかじりながら一気にたいらげた。あとは知らんぷりをすることで、非難をおさえこむ作戦だ。40男らしい老かいさというものだろう。

アベノマスクが届かないうちに、もうマスクが店でも手に入るようになっているらしいと聞いて、自転車で浅草エリアのめぼしいドラッグストアを回ってきた。なるほど手に入るが、ドラッグストアではなく、カバン屋などののき先で特売をされているのはどういうわけなのか。

浅草は1週間前にみたときより少し人が増えたかもしれない。海外からのお客さんもちらほら見かける。ホッピー通りも、開いている店はなかなか盛況だった。オープンエアだから3密ではない。

夜ごはんは妻が焼いてくれたパン。妻が焼くパンは好きだ。が、昼の脂っぽい焼き飯が腹にこたえていて、たくさん食べられなかった。これまた40男らしい老いのありようである。

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