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読書ノート:「日本銀行」と「超入門MMT」~日本の債務は私たちの借金なの?

日本の国債残高が1,200兆円を超えたとか、国民一人当たりにして1,000万円超の借金がある(日経オンライン)、などと聞くと、平凡な元サラリーマンの私などは不安でドキドキしてしまいます。一方、そもそも会社の負債を社員数で割って、君たち社員は一人当たり〇〇万円の借金がある、なんていう社長がいるだろうか、という疑問もわきます。さらに安易な受け売りで、日本のような先進国は自国建て通貨を発行できるのだから、いくら国債を発行しても大丈夫だと、したり顔でいうYouTuberなど見かけると、モラルハザードも心配になります。ほんとはどうなのだろうか、と藤井聡氏著「超入門MMT」(2021年エムディーエヌコーポレーション)と河村小百合氏「日本銀行~我が国に迫る危機」(2023年講談社)の、まったく異なる視点から書かれた書籍を比較しながら、国債発行や財政について考えてみました。もちろん素人の一個人投資家が、どちらが正しい、という評価はできませんが、金利や景気に投資で大きな影響を受ける私たちこそ「日本の借金(?)」についてきちんと学ぶ必要を感じたからです。

岩井小百合著「日本銀行~我が国に迫る危機」

 本書は題名からわかる通り黒田日銀の異次元金融緩和を徹底的に批判し、積みあがる国債発行についての憂慮を表明するために書かれたものです。その構成は、プロローグ「異次元緩和から9年、ついに現れた不穏な兆候」、1章「日本銀行に迫る債務超過の危機」、2章「わが国の財政運営に待ち受ける事態」、3章「異次元緩和とはどのようなものだったのか」、4章「欧米中銀の金融政策運営との比較でわかる日銀の異端さ」、5章「異次元緩和が支えたアベノミクスと残された代償」、6章「事実上の財政破綻になったら何が起きるか~戦後日本の苛烈な債務調整」、7章「変動相場制下での財政破綻になったら何が起きるか~近年の欧州の経験」、8章「わが国の再生に向けての私たちの責務」となっています。最初に、日本銀行が580兆まで買い増してきた国債はいつか利上げにより、今後債務超過を生み、国債の追加購入ができなくなること、その結果、国家財政の歳出が一律4割カットになる可能性を述べます。次に黒田異次元緩和を概観し、緩和当初は別として、マネタリー・ベースをターゲットとする緩和策が結局効果がなかったこと、マイナス金利による民間銀行への負担の押し付け、世界に例のないイールドカーブコントロールやETF等の買い付けによる株式市場への悪影響を検討します。中盤では、米欧中央銀行と比較して、FedやECBが極めて厳格に国債を発行から償還まで「誠実に」計画性を持って出口まで緩和を誘導しているのに対し、日銀は出口(正常化)について全く無策であること、そもそもアベノミクスが異常に国債発行を続けて「放漫財政を助長してきた」と非難しています。6章以降では「財政破綻になったら」を想定して、戦後の苛烈な国内債務処理、アイスランドとギリシアの財政破綻を紹介し、最後に、このような対GDP比の国債残高比が260%まで膨らんだのは、「私たちの“甘え”、”無理解“、”無責任“」が原因である、と私たちまでやり玉に挙げ、国民が相応の税負担の自覚を持つべきであると述べられています。貫かれているのは、国の財政赤字は(未来を含めて)私たち国民が責任をもって支払うべき負担であり、国の財政と言えども一般の家計の運営と全く同じ、国の負債はインフレが見えてきた今こそ、国債償還を含めて計画的に処理していくべき、という主張です。本書は、家計の収入・支出のバランスと国の財政が同じ規律を保つべき、という、個人にはわかりやすい考え方で書かれています。

藤井聡著「MMT超入門」

一方、藤井氏の「MMT超入門」は最近YouTubeなどでご存じの方も多いと思われる現代貨幣理論の概説書ですが、単なる入門ではなく、後半は思い切った財政政策提案も含まれています。河村氏の「日本銀行」と大きく違う点は、市場にゆだねる、という視点が全くないことで、政府が強力な金融政策と財政出動により緩やかなインフレに誘導しなくてはならないと考え、マネタリー・ベースの増加だけではなく、むしろ財政出動との一体化を主張する点が特色です。第一章は、入門書らしく日本がほんとに「借金地獄」なのか、「積極財政」とは何か、という問題点を提出し、第2章では、そもそもオカネってなに?から始まり、納税のシステム、デフレとは何か、アベノミクスの功罪(特に消費増税を厳しく批判)、3章からMMTとはなにか、4章でMMTによりどのようにしてデフレを脱却するかの具体的提案という構成です。MMTはよく「日本は自国建て通貨を発行できるので決してデフォルトにはならない」ので「お金(国債)はいくら発行してもよい」という理論と解釈されがちですが、そうではなく、インフレ率2~4%を維持するように、流れているお金の量を調整すれば、財政規律は維持できる、国債発行量やプライマリーバランスによる財政健全化は無用と主張しています。デフレが起こりそうなときはお金の量を増やし、財政政策を実施する、インフレになれば税率をあげる(消費税率をインフレ状況に合わせて柔軟に変える)ことでお金の量を減らし、過度なインフレを回避できるそうです。消費増税がアベノミクスで結局緊縮財政を招き、日本経済が長い間、デフレに苦しむことになったという考えは、リフレ派のエコノミストにも共通する考えです。本書で興味深いのはデフレ克服のための具体案(本書は2021年発行でまだインフレではなかった)がいくつも提案され、とくに政府による完全雇用(就職できない人を最低賃金で国家が雇用する)の考えが興味深く、国民全員へのベーシックインカム支給案よりも優れていると思いました。

学びと感想

私たちはあきらかに同じ社会や経済を共有して生きているのに、まったく相いれない、対立する見方があるのですね。「日本銀行」では、政府の負債と家庭の借金は同じ性質のもの、日銀は政府の機関であっても一定の自律性、主体性、責任を有すべき、国民はこれまで政府の金融・財政に対して無責任であり、これが政府の放漫財政を許しているという主張です。NHKの日曜討論でも、岩井氏は、国債残高の上昇を強く懸念し、現在物価上昇が見込まれる中、早急に財政健全化を進めるべき、長期金利は市場にゆだねるべきと主張されていました。雇用は金融政策の問題ではなく、あまり関心を持たれていません。一方、藤井氏の本では、政府の赤字は民間の黒字で、必要、かつよいことである。政府と日銀は一体、金融と財政も一体、デフレのときは積極財政、(悪い、あるいは過度の)インフレの時は税を使って引き締めを行い、インフレ率(だけ)で財政規律を維持せよと主張しています。そもそも両者は経済思想が完全に異なると考えます。

岩井氏の本ではたくさんの数値データとグラフが紹介され、著者の主張とは別に、国の借金に関する歴史的事実や海外中央銀行の金融財政政策についてイメージがつかめました。中でも黒田日銀の金融緩和策が続けば続くほど、マネタリー・ベースが増えたのに、マネーストックが減少しているという事実は勉強になりました。でもそれは消費増税も大きく関係していませんか?またFedが誠実で「謙虚」と考えてらっしゃるようですが、アメリカの政府債務はずっと増えていて、米国債の格下げにもつながりました。日銀(政府財政)が破綻したらどうなるか、という仮説の中で、戦後直後の日本、アイスランド、ギリシアを例にあげてらっしゃいますが、日本も特殊な時代でしたし、ECBが金融主体、財政は各国政府が主体のEUの国々を財政破綻の一般化のために引用されるのはいかがなものでしょうか。また日銀と政府、金融と財政を一体化して考えるとき、著者の主張の根拠の多くが失われる気がします。

デフレが続いた原因について、藤井氏は、アベノミクスが消費増税により実質的に緊縮財政をして失敗したと指摘していてとても参考になりました。しかし後半の積極財政の各案は財政上必要となる経費の数値が示されず、言いっぱなしの政策提言で終わっている印象を与えます。また、財政規律を国内のインフレ率だけに求めるのはそれでよいのでしょうか。通貨発行量は為替に大きな影響を与えますよね。アメリカ連邦政府の債務上限のように、国会で議論できるような何らかの量的な規制が必要になりませんか?MMTでは金融と財政の強力な支配権を前提にしていますので、当然政府は巨大化し、強い権力を握ることになりますね。腐敗や不正を生む原因にならないでしょうか。

それよりも、デフレと賃金低下を回避するため外国人労働者の受け入れを制限せよ、という主張には強く反対いたします。外国人や異文化に触れるメリットは金だけで片付けられません。日本に来てくれる外国人労働者を友人として迎え、日本人と同等に遇することこそ長い目で見て、日本人の精神を豊かにし、世界で日本が尊敬される国になる道であると信じます。私たちは日本人がもつ「利他の精神」を育て、外国人との共存共栄こそが日本の利益であり、将来の日本人の誇りになると思われます。

おわりに

岩井氏、藤井氏の著書は正反対の金融・経済の思想を展開しながら、どちらからも退職した個人投資家として学ぶべきものがたくさんありました。ただお二人ともかなり思い入れの強い感情的な文体で、金融・経済を論じるには不適切(不正確)なたとえ話も散見されました。いずれにせよ、私たちはどんな分野にしても異なる意見があることこそ素晴らしいことで、心を開いてそれらをさらに学んでいきたいと思います。

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