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「『クィア』ってセクシュアリティを表すだけじゃない 」- フォトグラファー・Yuki インタビュー

中高校生の頃に受けた国語の授業で、歌風をあらわすことばとして「ますらおぶり」と「たおやめぶり」という言葉を知った。当時は聞きなれない音の組み合わせに面白さを見出していたが、「益荒男振り」「手弱女振り」と書かれたこの言葉を数年振りに目にした私は、当時とは違う違和感を覚えた。表現に言及するものとはいえ、これでもかと強調される性差とそれぞれに伴うステレオタイプ的な性別イメージに息苦しさを感じたからだ。

ラベルは何かを分類するために使われる。必ずしも悪意を含んでいるわけではないけれど、往往にして人の心の中とは違うイメージをまとわせてしまうことが多いのもまた事実。ラベルに対して否定的な人がいれば肯定的な人がいるのは当然だけど、短いラベルではいずれの人を説明しきることも理解しきることも難しい。そんな中でも、私たちにできることについて考えたい。

今回お話を聞いたユキさんにとって、ラベルとは『周りとの違いを際立たせる烙印のようなもの』でした。今、彼女はラベルのプレッシャーから解放され、クィアの女性として本当に思ったことを色々な形で周りに伝えています。フォトグラファーとしても活動する彼女はどのようなことを考えながらラベルに向き合っているのでしょうか。

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カサイ ユキ / Yuki Kasai
モントリオール産まれ、宮崎育ち。現在はカナダ・モントリオールを拠点にフリーランサーとして翻訳者、フォトグラファー・アーティストとして活動している。
Instagram:@yuki.kp

人からの視線やラベルから解放されるまで

- 自分のアイデンティティやセクシュアリティについて、現在どう考えていますか?

Yuki : ジェンダーアイデンティティに関していうと、小さい時から「女性」というラベルには違和感はなくて。シスジェンダー女性として生きることに迷ったことはないです。

多くの女性が共有してると思うけど、私が育った日本の地方の環境は「女の子だからこうしなければ」という価値観がすごく根強かった。でも、私はその考え方に言い返したり歯向かったりしようとは思えなくて。小さい頃は「みんなと仲良くなりたい」って気持ちばかりで余裕がないし、特に私はハーフで目立っていたから「他の女の子と一緒になりたい」って思いがすごく強かった。今思えば全然自分の好みじゃなかったけど、LIS LISA(リズ・リサ)とか着てたなあ。「これを着てたらみんなと馴染める」って思えるような服を買っていました。今は自分に自信がついて目立つことに抵抗感もないけど、その時は周りとの違いから自分のアイデンティティを考える余裕はなかったんだと思います。

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セクシュアリティに関しては今でもずっと考えている。いつ変わってもおかしくないと思うし、実際誰かと話すと結構変化があったりします。私は男性とも女性とも付き合ってきたけど、バイセクシュアルの人って付き合ってる人によって見られ方が変わることが多いと思うんです。これはバイセクシュアル女性のあるあるだと思うんですけど、男性と付き合ってるときはストレートだと思われて、女性と付き合っている時はレズビアンだと思われる。バイセクシュアルの人は「自分は"バイセクシャル"だ」と主張するというステレオタイプがコミュニティの中ではあるんだけど、それだけ自分のアイデンティティを前面に出さないと理解してもらえない。でも、私はずっと言えなくて。自分のセクシュアリティについて親や友達に直接的に話したことはないかも。たぶんその理由は、自分のことを自信を持って表現できなかったことと関係するのかな。親は一度も「こうしろ」とか言ったことはないし、いじめられたこともない。今となれば、自分でプレッシャーを作っていたんだと思います。


- そのプレッシャーの意識はいつから変わったんですか?

Yuki : カナダに引っ越した高校生の頃から。最初に行った学校は英語もフランス語も全く喋れない外国の人が多かったんです。私もそうだったけど、みんな自分のことに必死なんですよ。言語や文化を必死に勉強して、初めて自分のアイデンティティについて考える。私はそこで初めて自分で本当に着たい服を着たし、本当に言いたいことややりたかったことを言えました。私を知っている人が一人もいない状態だから、軸は自分の中にしかない。一からやり直すモードに入ることで、自分探しを急いでやらなければいけない状態になっていたんだと思います。そうやって、初めて人からの視線やラベルみたいなものから解放された気がしました。

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「クィア」ってセクシュアリティを表すだけじゃないと思う

- 日本とカナダではどんな違いがあると思いますか?

Yuki : カナダではまずは場にいる人のことを知らないと、その場にいるって気持ちになれないような気がします。クィアカルチャーを例にとると、カナダのクィアカルチャーはメインストリーム化されていて、ゲイ/ストレート関係なくゲイバーやレズビアンバーに行ったりする。ゲイバーに行っても客層がバラバラだし、同じゲイバーでもタイプが違ったりして安全とも限らなくて。だから、いろんな意味で場所への不安とかは生まれがちなのかな。いつでもどこでもクィアな場所を作ることができるのはいいことだけど、クィアな人のためのいわゆるクィアスペースっていうのが少なくなってきているのは問題かもしれないと感じます。

一方の日本ではクィアがメインストリーム化されていない分、逆にクィアスペースが濃厚で場への安心感がある気がします。私、東京の二丁目の「とりあえず行ってみる」って感じが結構好きで。一人でクィアスペースに行っても、その場にいるだけでなんとなく自分が認められているような、その場のメンバーになったような気持ちになれる。

私はずっと人に話すのが怖くて自分の思いを結構押し込んでいたけれど、東京で過ごしていたら自分のセクシュアリティに気づくのも早かったかもしれません。もしクィアスペースに一人でふらっと行って、人と話せたりしていたら考え方が違っていたんじゃないかな。一人でもプレッシャーなくその場所の世界に入り込めるのは東京の魅力だと思います。

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ずっとレズビアンだと自認していた私の友達は、若い時からLGBTコンテンツを通して自分のアイデンティティやコミュニティについて理解していけた。だけど私はそういうものとは向き合ってこなかったから、無知なんだと思います。だから好きな本は必ずしもジェンダーやセクシュアリティについてじゃなくて、アートや資本主義、社会学に関するものだったりするのかも。

- ユキさんの意識はクィアというステートメントをどう表明するかよりも、クィアである自分が考えることに対して強く向いている感じがします。素敵ですね。

Yuki : 小さい頃からラベルを貼られるのが怖かったからかな。あとは文化人類学を勉強する中で、ラベルを通して知らない人の写真や文章を残すことが相手にとってどれだけの暴力になり得るかを考えてきたことも関係しているかもしれないです。私は写真を撮るけれど、人の写真を撮るのは怖い。私の見え方が間違っていたら、相手はすごく不快な思いをすることになりますよね?だから基本的に写真は相手のことを知っている人しか撮ってはいけないものだと思っています。

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でも逆に、ラベルを持つことで自分を開放できる人もいるから難しい。例えばアイデンティティを認めてもらうためにすごい努力をしてきた人、特にカナダの年上の人たちはそのラベルを使えるまでにいろんな努力や苦しみがありました。だからこそラベルをすごく大切にしていることが多いと思います。

若い子にはそういう体験はあまりないし、そう思われたくないと思ってる子も少なくない。だから自分のことを「クィア」って言う子はたくさんいるんじゃないかな。「クィア」って自分のセクシュアリティを表すだけではなくて、それ以外のいろんな意味もある。この表現を使える若い世代はラッキーだなって思います。私は「クィア」って表現が今は一番しっくりくるかな。



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「小さい頃からラベルを貼られるのが怖かった」と語ったユキさんはラベルを無くそうとは思っていない。それどころか、ラベルを持つことを大切にしている他者への想像を巡らせていた。彼女の言葉が教えてくれたのはラベルそのものは必ずしも悪ではないということ。それを巡って誰を相手にどんな体験や感情を積み重ねてきたのかで、捉え方は変わるのだろう。

あえて「男性らしさ」「女性らしさ」という言葉を使ってみたい。誰でもいい、誰かの顔を浮かべてみてほしい。男性らしさの中には女性らしさを感じる瞬間が、女性らしさの中には男性らしさを感じる瞬間が浮かび、頭に浮かべた顔を増やしていくごとに「〜らしさ」には他の誰かが入り込む余白のようなものがうまれていくようだ。それぞれ異なる身体と心は互いの思いを推し量る中でイメージのプレッシャーから解放されるはず。そこで大切なのは理解し合うことよりも、理解し合うのは叶わないと分かった上で互いに歩み寄ろうと努めることではないだろうか。

ユキさんにとって「クィア」という言葉は、互いに違うことを前提として互いをわかり合おうとするスタンスを表すラベルのようにも感じられた。ラベルは人を規定するものではない。ラベルとは何かを大切に思うひとりひとりの心が意味付けていくものなのかもしれない。


Writer : Maki Kinoshita
Editer:Yuri Abo
Interviewer : Edo Oliver / Maki Kinoshita

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