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ホームを探していた小学生の私に、伝えてあげたいこと|Beauty Deep Dive 〜第四章 アイデンティティー〜

モデル・俳優として活動する傍、REINGコミュニティと共にジェンダーやセクシュアリティのテーマについて発信をしてくれている甲斐まりか。この連載エッセイでは「美という価値観」について語ります。まりかと読者の皆さんとのジャーニーの始まりです。


〜第四章 アイデンティティー〜


"Where are you from? "「あなたはどこ出身なの?」

初めて会う人に聞かれて、内心いつも一番困る質問だ。ざっくり説明したとしても、私はタイ人の母と日本人の父を持ち、東京で生まれ、育ちは幼少期にマレーシアとタイ、青春はドイツ、そして大学はスコットランドで勉強に励み、四年前に東京に戻ってきた。これをいちいち説明したり、その都度いろいろと質問されることに慣れてはいるが、面倒くさい時はとりあえずいつも"I'm Japanese."「日本です」と答える。私には地元と呼べる場所は存在せず、実家という生まれ育った家も無く、その時々で親が住んでいる場所がホームだった。

こんな私の少し複雑なバックグラウンドを羨ましいと言われることは多かったが、幼い頃は学校や生活環境がコロコロ変わることが嫌で、つい最近までは地元という帰る場所がある人が羨ましかった。そんな私にとって、自分は何人なのか、ホームと呼べる場所はどこなのか、自分のアイデンティティーはどこに属するのか、ずっと自分のなかの課題だった。今回は、私自身が迷子になっていた自分のアイデンティティーについて、そしてその向き合い方について、かなりパーソナルなエピソードを交えてシェアしていきます。

日本のパスポートを持ち、「日本人」を自称する割に、日本に住んだのは七年ほど。生まれてから三歳までの記憶にない三年間、二十歳の時に慶応大学に留学していた一年間、そしてモデル活動を始めてからの三年間。つまり人生の三分の一にも満たない東京生活で、私はどの程度自分が日本人なのか常に答えを出そうとしていた。振り返れば、幼い頃から生活環境が変わるたびに、価値観やアイデンティティーに対する疑問は増えていった。タイで幼少期を過ごしたときは、あまりタイ語を喋らなかったため日本人と呼ばれた。タイではインターナショナルスクールに通っていたこともあり、もともと五歳まで英語しか喋れなかった私は、幼いながらも日本語が喋れないことへのコンプレックスを強く抱え、日本人と呼ばれることも帰国子女というレッテルも嫌った。途中でインターナショナルスクールから日本人小学校へ転入したが、そのコンプレックスからなるべく周りに溶け込むよう、日本人らしくいようと自分を変えていった。いまだに覚えてるのが、入学式でみんなが『さんぽ』の歌を歌い始めたとき、自分だけがその歌を知らず、初日からショックを受けた苦い思い出がある。日本人学校では、みんなと同じような行動や喋り方をしないと、認められないと思ってしまったのはやはりハーフであり、自分のアイデンティティーの置き場所に迷子になっていたからだ。

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そんな自分のルーツが一つの場所でないことに不完全さを覚えていた私だったが、転機が訪れた。中学でドイツへ引っ越し、再びインターナショナルスクールへ転入した時だ。母国ではない様々な国を転々としてきた自分と同じような子が集まった環境に戻り、みんなが今まで住んできた国の話を自慢げに話していたことがいい意味で新しかった。アメリカ人でベネズエラで育った同級生はスパニッシュを少し喋れることやベネズエラの文化をよく話してくれたし、韓国人でトルコとフランスで育った子は小さい時からフランス語が身についていたから、フランス語の授業でいつも助けてくれた。とにかくみんなバックグラウンドが複雑だった。さらに、ヨーロッパの中央に位置するドイツは移民の人や近隣国からの人の流れもあるため、日常でもかなり異文化な環境。アジア人女性として高校生活を送ることに幾度もカルチャーショックを受けてきたが、ドイツでの学校生活のなかで次第に新しい文化を受け入れるようになった。完全に溶け込むのではなく、いいとこ取りをしようとする気持ちが芽生えてきた。そして、自分のアイデンティティーは異文化が少しずつ合わさった形であることを認められるようになっていった。

エジンバラ大学に通い始めてからは、さらに国際色豊かなな環境になったため、日本とタイの二つの母国へ抱いていたコンプレックスは新しい解釈へと変わっていた。私のアイデンティティーが受け入れられる日本人としての部分とタイ人としての部分があること。そしてヨーロッパで過ごした青春時代のおかげでさらにリベラルなアイデンティティーとの向き合い方を見つけられたたこと。日本人として周囲に溶け込もうと必死だった小学生の自分に教えてあげたいのは、学校の外には自分の意思でいたいと思える場所、自分が自分らしくいれるコミュニティがたくさん存在すること。そして、どのコミュニティに自らのアイデンティティーを置くかは自分で選べること、それが最大の自由なのだと。東京で仕事し始めて三年半が経つが、実は自分が仕事をしに東京に戻ってくることはないと思っていたし、今でもまた絶対ヨーロッパに戻って暮らす野望はいつでも頭の片隅にある。でも日本人だからという理由ではなく、今は東京にいることを選ぶ。今の私にとって仕事を通して成長できるのはこの場所だと思うから。そして、これから先もいろんな環境や文化に触れていくことで変化するように、私のアイデンティティーの本質はフレキシブルでいいと思えるから。


Text:甲斐まりか / Marika Kai
タイと日本のルーツを持つファッションモデル。タイ、ドイツ、イギリスと、人生の大半を海外で過ごしたのち、2017年から日本でモデル活動をスタート。Voceなどの雑誌、dejavuや資生堂などのイメージモデルを務める。さまざまなカルチャーに触れながら育った生い立ちから、オープンマインドな心と独特の視点を持つ。旅行と芸術への関心が強い。
Instagram: @mari_ka95
Twitter: @mari_ka95

Edit:Yuri Abo | Illustration:Ada


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