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もういちど「女らしさ」を考えてみる


「女らしさ」について改めて考えてみようと思う。

小さい頃から、「女らしさ」は私を苦しめてきた。
可愛いスカートを着たかったけれど、だからと言って「女らしさ」を求められるのは嫌だった。
「女らしさ」のためではなく、私は「私」を表現するためのスカートが履きたかった。


きっと私は、社会に求められる女性像とか女性的な役割から抜け出したくて「女らしさ」という言葉を嫌がっていたのだと思う。

でも最近、「女らしさ」という言葉は悪者じゃないのではないか、と思うようになった。

それに気づいたのは、ジェンダーレスなパーソナルカラー診断を始めて、こんなお客様と出会ったから。
このお仕事を始めてから、「女らしさ」を求める方にたくさん出会うようになった。


MtF(男性の姿で生まれた女性)のお客様や、女性装が好きなお客様はみなさんは「男性らしさを消して、女性らしく見える服が着たいです。」とお話しされていた。

みなさん「女性らしく見える服を着る」という前提をアナリストがわかっている上でパーソナルカラーや骨格を診断してくれるサロンを探して、ジェンダーレス診断に辿り着いてくださったようだった。


「女らしさ」を表現することで、自分が求める自分に近づける人がいる。自分を好きになれる人がいる。

そう気がついた。


「女らしさ」を強要することは時に人を深く傷つけるけれど、「女らしさ」自体は絶対的な悪ではない。(というか、基本的に他人に「らしさ」を押し付けること自体ナンセンスよね)

「女らしさ」を良いor悪いみたいという二項対立で捉えるのはやめにしようと思う。


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