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【偉人調べてみた】物部守屋【二人目】

物部 守屋(もののべ の もりや)は、古墳時代の大連(有力豪族)。物部尾輿の子。  ――引用元:Wikipedia

【物部守屋が生きていたとされる時代】

時代は"古墳時代"~"飛鳥時代"。古墳とは、お墓の事です。前方後円墳と呼ばれるお墓が盛んに制作されるようになります。日本に仏教が渡来し、仏教派が現れ始めました。守屋は、「他国より日本の神を信仰するべき!」と立ち上がったのです……?

【物部守屋とは……?】

王様の補佐役。守屋は、廃仏派(仏教反対)で、仏教を広めたい蘇我馬子と対立します。ちょうど守屋が補佐役を任命された際、とある病気が広まります。守屋は「仏教が来たからだ!」と訴えます。寺を焼き、尼さんに暴力を奮ったり、仏像を海に投げ捨てたりします。天皇の后を犯そうとした野蛮な男を殺したりする程、強い権力を持っていたのだと思います。

ですが、天皇が変わり、日本は仏教を受け入れ始めます。守屋は、時代の流れに従わず、仏教を拒み続けます。が、次第に孤立する事となります。味方だった人も仏教推進派になったり、一人一人殺されていったりしたのです。

時代の流れに逆らい、自らが信じるものを貫いただけ。未来の新選組に通じる物があるように思います。同じように負けてしまい、殺されます。

【物部守屋が討たれなかったら無かったかも知れない物】

・仏教:守屋は仏教反対派筆頭の一人だった為

・大化の改新:仏教推進派の蘇我氏と争った末、蘇我氏が守屋に負けていたら、この時点で蘇我氏滅亡していた可能性が……!!

・仏塔(ぶっとう):守屋の奮戦を見た厩戸皇子が、守屋に勝てたら仏塔を作る、と戦勝祈願を行った為

【結論:物部守屋とは?】

実は、私が知っている教科書には載っていない人物でした。卑弥呼の次は聖徳太子、だと思っている人は多いのでは無いでしょうか? 実際に、守屋が討たれた後、聖徳太子の名前が出てきます。なので、私自身知らない人でした。「あんた誰!?」みたいな。調べてみたら、自分が信じる道を歩み続けた強い人でした。時代の荒波に逆らい続ける姿には、尊敬します。私は、神社仏閣巡りが好きなので、この人が勝っていたらお寺が無いので、そこは応援出来ないのですが、生き様はカッコいいと思います。

お寺に行きたくなってきました!

仏教を巡って日本で争っていた事を知る人が一人でも増えたらいいな。

雪城冷奈がこれまでに経験した事などを書きます