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本ってほんとに破格
ダジャレみたいな題になってしまった。
今日も本を買った。
いやー、本ってほんとに破格。
これを思う時ってわたし、生きてていちばんしあわせな瞬間なのかもしれない。
過言じゃない。ピカピカの湯船に浸かってる時と好物の沖縄料理を食べてる時と好きな人と一緒に眠りにつける時、に並ぶくらいわたしのなかでは切実に、しあわせが沁みる瞬間なのである。
しあわせなことに今日もそう思った。
読み始めた序盤から、切実に感極まっている。(別に酒が入っているとかではなく)
帰宅して晩ご飯を温めている間に紙袋からさっそく、一時間前に買ったばかりの本をおろし、適当なところから読みはじめる。序から読まなくてもよいのには訳があって、今日買ったのが藤岡みなみさんの『時間旅行者の日記』という、彼女の幼少期から大人までの日記、年代でいえば1988-2024までのなんと36年分の日記がランダムに集められたものだからだ。
いまスープを啜りながら、絶賛読んでいる。
なんというか色がつく手前の、言葉になるよりはもっともっと前の、感情もどきみたいなものたちが、わたしの身体をゆらゆらと漂っては移ろってゆく。
そして、満たされてゆく。
これはからだから湯気、が出てるかもだ。
だんだんと熱ってくるのはスープを飲んでいるからなのか、ことばを織り込んでいるからなのか、判らない。どっちもだ。どっちもだろうね。
働き始めてからは専ら、小説と詩を読んでいる。
大学時代はそれなりに読んでいた学術書の類なんて、まったく読まなくなっている。それがいいとは思わない。でも流石に、稼ぎながらそこまでの時間は捻出できない。学問はじぶんのなかで知を体系化するのに、膨大な、まとまった時間を要するからね…。小説と詩に当てる時間を、それと執筆に当ててる時間を、ぜんぶ返上したらそれなりになるのかも、しれないけれど。
だから、それでも、現実から脳みそが離れすぎないように新聞だけは毎日読む。できるだけ毎日。たまにサボる。こんな話興味ないと思うけど、週五日働いて、つまり社会のために時間を売って、週二日は目の前の世界とは別文脈に身を浸すというのは、わたしのなかで割に黄金比だったりする。
話が逸れた。
働き始めた直近1年半ほどは小説と詩を浴びるように読んでいるよ、という話をしたかった。それで、その次点にくるのが、エッセイとか随筆と呼ばれるものだと思う。
そんなに読む頻度は高くない。
でも私のなかでこれまた非常にだいじ、欠かせないなあと思うジャンルだ。
現実の別文脈、という括りがあるとして、その主菜であろう小説からも詩からも摂取できない何かがあるとする。その何かを、人のエッセイとかそれに準ずる言葉たちに、つよく求めることが、わたしには時々あるのだ。今日もきっとそういう日だった。
何が書きたいのかわからなくなってしまった。
とにかく、たまにはこうしてつらつらと、自分のことを綴ってみたら、創作とか呼ばれるものにわたしが心を傾けるその奥底の水脈みたいなものが、ちょっとは透けて伝わるかも、とか思ったまでである。
しっかり書くつもりだった「本がほんとに破格」の意味する内実を、あれ何も書いてないやと今さら気付いたが、まあいい。そういうこともある。
そういうこともある、と思わせてくれるのは創作のひとつの力だし、そういうことはない現実でそういうこともあると思っちゃいたいけどやっぱり無いからねそれは、と思わせてくれるのも創作だわな。
愛、だな。
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