《11通目》私の6月23日①
先生へ
今日は私が現場で「出くわした」具体的なストーリーを残していこうと思います。
いくつかありますが、今回はそのうちの一つを。今年の6月23日のことについて書いていこうと思います。おそらく長くなるので、何通かに分けて書いていきます(2通で収まりたいなー無理かなー)。
6月23日は慰霊の日。きっと世界の人にとって、とっても大事な日です。私としては、6月23日が慰霊の日であることがめっちゃ大事というよりは、慰霊の日を6月23日に行ってきたという意味での6月23日が大事なのかな…とか思うこともあります。(伝わるかな…)
そういう概念的な話はここまでにして。ここからは私が実際に目にした光景を…。
今年の6月23日。晴天、猛暑の中、平和祈念公園は多くの人で込み合っていました。年齢層や性別もバラバラ。誰かがマイクで何か大事なこと言ってる。たくさん警察もいる。「世界の人にとって大事」と書いたように、国籍が違うであろう人も見受けられました。それぞれ立場は違うけど、気持ちは一つ、と言いたいですが、先生から学んだことも含めて考えると、世界はそんなに単純ではないようです。立場の違いとかなくても、平和や戦争への考え方は多様であり、その多様な考え方全てを受け入れ、賛同することは、ちょっと厳しい…。6月23日は、それぞれが、日常の中では胸にひた隠しにしている「違い」がはっきりと見えてくる場面がある、そう思います。
すれ違う人の服は黒が割りと多いけど、全然まだらで。軍服の方もしばしば。若い人が質素な花を抱え、ゆっくり歩くおじいおばあを支えながら礎へと向かい、あるいは礎から帰ってきていました。沖縄の清明祭(シーミー、墓参り)でよく見かけるような、さんぴん茶や、うさげる食べ物が芝生に並べられており、見かけはなんだかなじみのあるような…。
でも、6月23日の平和祈念公園には絶対に、沖縄のシーミーとは全く違う異質な雰囲気があります。これが戦争が残した爪痕なんだと思い、もの悲しい気持ちになります。
私の身近には直接的な戦争体験者の方がいません。そのため、平和祈念公園で、遺族や戦争体験者の方に直接お話しできる機会があれば…と思いながら、流れる汗を抑えつつ、礎の周りを一人でゆっくりと歩くことにしました。
しかし…。やっぱり話しかけれるような雰囲気ではありません。家族で刻まれた名前に向けて手を合わせている様子。おじい、おばあが悲しそうに名前に手を伸ばしている様子を見ていると、ここは赤の他人の私が介入していい場ではない。私が感じることのできない悲しみを背負わされている方に、家族に、気安く声をかけることなんてできない。これはマジで無理だ…。そんな気がしてしまうのです。
何週も礎の周りを歩き続けましたが、無理でした。もう話しかけることは、一回諦めることにして、昼食を食べ、軽くトイレで着替えました。
(どうしよう、もう一回行くか?それとも資料館行くか?
平和祈念公園からは14:30には出ないといけない。資料館見た方がいいのか…。いや、でもやっぱり。)
答えは一つでした。
声かけられなくてもいい。この光景を忘れないように目にとめよう。そう決意して。そして私はまた、真っ黒い格好で礎に向けて飛び出すことにしました。
②につづく…。
2024.11.11 えー待って、ポッキーの日か。今日買ってかえろうかな
れいん。
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