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《21通目》立つ鳥、跡を濁したまま

先生へ

「立つ鳥跡を濁さず」という言葉があります。多分、きれいにしてから次に行きましょう、的な意味だと思います…。でも、会話においてもそうする必要はない、のかもしれない。それは、先生と話していて学ぶことです。

単なる偶然かもしれません。でも、思い返してみると、先生との会話が終わるときって、時間が来るからな気がする。会話がひと段落したからってときもあるけど、いい感じでまとまっても、先生は着地した瞬間に質問を投げることがある。
そして私が、「せっかく着地したけどやっぱ違う!待って、なんで?!」
ってなった瞬間、
「じゃあ、もう行かないといけないんで」ってなることがあって。先生それわざとなんじゃないかって、そんな気がするときがあります。

会話を片付けないで帰ること。それを習慣づけするとしたら。敷居の高い会話のテンプレートを遂げるための「装い」とか「振る舞い」をわざわざする必要がなくなる。序論、本論、結論を演じる必要がなくなる。
そうなると、心に引っ掛かった違和感に色が付きやすくなると思います。

会話がきれいに一色に片付くと、聞いておきたかった点、矛盾点、会話に残る違和感などの異色を、めんどくさくて一色の壁に塗りつぶしてしまう。でも、散らばったまま帰っていいのなら、そういう違和感を露(あらわ)にできるかもしれない。真っ白の壁に、青のペンキが数ミリ跳ねても、それを消さなくなる。

だから、会話に関しては、立つ鳥跡を濁したままでもいいのかもしれない。なんとなく、そう思いました。
でもまあ私はこんな性格なので、話が相手のターンで一色にまとまってしまったら、違う色のペンキがはねても相手の色で塗りつぶすと思いますが…。でも、違う色で壁を汚せていたら、もっと深みのある何かになった可能性はある。その分、会話によって違和感をもう一度消すために帰れなくなるかも。それ嫌だなー笑
人間ってまとめたがる、答えを欲しがるから、きっと帰れないぞ、、。やっぱとりあえず帰りたい時は塗り潰すしかない。

人間に生まれてきて、人間社会に揉まれていった私が、徐々に失っていった、会話の壁を汚したまま帰る能力。先生はそれを取り戻させてくれることがある。消さずに家に持ち帰った、青ペンキが跳ねた壁。めっちゃモヤモヤするー…それはちょっとしんどいけど。でも。さらにその壁が何なのか、この壁は何色に染めるべきなのか、もう一度深く考えさせられる。

会話において、「立つ鳥跡を濁したまま」でもいいのかもしれない、かもしれないですね。笑

2024.11.15 眠い、こんな眠いことあるのかってくらい眠い れいん。

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