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羽根

 途轍もなく寂しくて、どうしたものかと思いながらソファで脚を投げ出す。わたしは虚空を眺めながら煙草を吸う。
 原因がわからない。梅雨にしてはさらりとした風が開けたリビングの窓から吹き込んできて、空は薄曇りで白く輝いている。いつもと変わらない朝なのに、わたしはどうしようもないくらい寂しかった。
 夫がいないからだろうか。夫がここにいたとて、寂しさは変わらない気がする。昨日の夕方から食事をとっていないから。それも考えたけれど、今食欲はなかった。
 部屋に飾ってある知り合いのアーティストが描いた絵を見つめてみる。何も汲み取れない。バスルームが描かれたその絵の、壁の深い青色に心を重ねた。わたしの気持ちがぽたりと落ちて、滲むような濃紺だった。
 今日は午後にひとりで映画を観に行く。平凡な主婦の平凡な生活を、三時間半かけて描いたベルギーとフランスの合作映画らしい。わたしはその女性に自分を重ねるのだろうか。退屈で、日々の生活があって、無気力な。映画はわたしを癒してくれるだろうか。劇的なラストシーンを期待している。
 ソファに寝そべって、今日は何を着て行こうかなと考えた。わたしにとって、映画館に行き、映画を観ることは特別なことで、観る映画やその街に合った服を考えて装うことから、その経験は始まると思っている。平凡な主婦、1975年の。わたしが生まれるだいぶ前だ。すとんとした白のコットンワンピース、もしくは膝丈のスカートにシンプルなブラウス。靴は少しヒールのあるシューズがいいだろう。わたしの華美なクローゼットから、なるべく平素な服を選んで身に纏う。映画の女性は普通の主婦で、日常にドラマなんてないと思っているのかもしれない。そこに過多な感情はないのかもしれない。否、一体どう描かれているのだろう。わたしは映画が楽しみになった。
 窓際のカーテンが揺れている。外からの風にふわりと押されて、わたしの足先に迫っては離れる。かすめた風は部屋を横切って、六月の空気でリビングを満たしていく。きっとそれは紫陽花みたいな色合いで。
 寂しい日もある。わたしはそんな時、どうしたらいいかわからない。自分の気持ちを持て余して、ただじっと、待っている。世界のリズムから外れないように、揺蕩うように息をしている。
 何を待っているのかは、わからない。きっとみんなそう、でも待っている。
 わたしはただの平凡な主婦で、今日もじゃがいもの皮を剥く。

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