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秘密

 煙草を吸う量が、目に見えて増えている。どれくらい前からか。毎日少しずつ少しずつ、昨日よりも今日のほうが吸う本数が増えていることに気付かないようにして、わたしは今日もコンビニで煙草を二箱買った。
 最近誰かといても、何を喋っていても、何も話せていないような気になる。そもそも一緒にいても会話のない相手もいる。わたしはそんな時相手をじっと見て、そして目を逸らす。
話していても、話さなくても、何もそこに生まれていない感覚。その空白はわたしを寂しくさせるし、そもそもわたしは寂しい人間だということを思い出させる。
 誰といても空虚。ひとりでいるほうがまだましかもしれない。ひとりなら、わたしが本当はひとりだということを改めて認識しなくて済む。
 どうしてこんなに寂しいのだろう。どうしてこんなに服ばかり買ったり、途切れることなく煙草を吸ったりしてしまうのだろう。わたしはどうしてこんなにも寄る辺がないのだろうと考えて、そういえば十九歳の時にもこんなことを思っていたなと、どうでもいいことを思い出す。
 例えば家族がいたり、恋人がいたり友人がいたり、そういうことって大事なことだろう。わたしはいつからそういう人たちと会話ができなくなったのだろうか。ひとりぼっちで秘密ばかりが増えていく。そんなわたしの秘密を知りたい人もいないのだろうと思うと、更に部屋が煙たくなる。寂しい気持ちの権化が天井に立ち昇っては消えていく。白くて光に透けた煙。それを見上げて、わたしは心にぽっかりと穴をあける。あーあ、と思う。また今日も駄目だった、と。
 そういう日々の繰り返しの中でもなんとか生きてしまえていると、ふと怖くなる。いつか溢れる日がくる。寂しさが溢れて、わたしはまた死のうとするくらい寂しくなる日が、昨日よりも寂しくなる日がくる。まったく、それ以外に人の気を引く方法はないのかよと思う。昔から馬鹿の一つ覚えみたいに死のうとしては死にきれなくて、この歳まで生きてきた。本当に馬鹿みたいだと思う。でもそういうところも寂しくてキュートじゃん、とも思う。馬鹿だな、と思う。
 今日も煙草がなくなって、明日もまた煙草を買う。ソファに寝転んで見上げるシーリングライトとの間の空虚は、いつも煙っている。寂しくないように、隙間を埋めるように、わたしは今日も煙と共に、吸って吐いて。

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