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bloomを歌った人

 最近、読む本、読む本、面白いと思えない。共感ができない。だからといって自分も書けない。文字に対する執着は希薄になるばかり、否、増すばかりなのかもしれない。
 読む本が面白いと思えないのはこちらの問題だろうな、と思う。字が浮遊する感覚。今までに何度もあった。その度、わたしは薬漬けのようになって息を殺して生活してきた。
 基本的なことをすること。起きて、ご飯を食べて、寝る。その合間に、季節の変わり目や太陽の光を肌で感じて、機微を揺らしたりしている。そうこうしているうちに、いつも書けるようになった。医者の言うことは概ね正しい。
 今日、スーパーへ買い物へ行った。あまり鮮度の良さそうではないレタスと、バルサミコ酢を買った。
 からっぽの布袋を手に持って行って、帰りは荷物を入れて提げて帰ってくる。その道中でわたしは風を感じた。頬に、指先に。よく晴れた空は薄い青に染まっていて、白い綿を注意深く割いたみたいな雲がところどころに浮かんでいた。
 わたしは三月を生きていて、四月を思う。四月がくれば、五月が見える。そんなふうに、あっという間に季節が変わっていくことを怖いと思う。この春を大切にしたかった。わたしはもっと、大切に、大事にしたかったのに。
 どうしたら自分の満足するように生きられるのだろうか。わたしはいつ死ぬのだろう。死にきれなかった日は何度もあった。その機を逃す度に、わたしは生きて、今日まで辿り着いた。そして思っている。もっとこの春を生きたかったのに、と。
 ロマンチックな話がしたい。例えばわたしが今日、朝からケーキを焼いたこと、その時のオーブンから漂う香りがとてもすてきだったこととか。
 現実は美しい。今は特に、美しい季節だ。現れるものすべてがきれいに、穏やかに光っている。それでもわたしのリアルはこんなで、散歩道、空の色に、風の味に少し心を慰められても、鼻腔をつくバターの香りがいかに芳醇でも、生活のベーシックな部分をこなすのがやっとの状態で、わたしは現に今も何もできないでソファに寝転んでいる。
 こんなにも統一性のない文章しか書けない。それがわたしの病気。仕方ないと思う。友人がこの前言っていた。病気はどれも不可避だと。だから仕方ないんだよ、と。仕方ない。死だって、そういえば仕方のないことのひとつだったなと、わたしは思い出す。
 いつか元気になりたいと思う。わたしは元気になりたい。わたしは元気です、と言いたい。その為に今生きている。
 いつか物語を書きたい。もう、わたしにはこれ以上はないと思えるほどのものを書き上げたい。その為に、わたしは生きている。
 今日は天気が良かったから。そう、今日は天気が良かった。なのに今曇ってきたことが、なんとなくつらい。
 天気のことなんてどうでもいいじゃない。
 でも、わたしは、季節と空の色と生きているから。

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