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オータムバイブス

 秋がくるというから、お気に入りのクローシェハットを被って街に出た。確かに、彼が言った通り、まもなく秋がやってくるらしいことを頬をなでる風の中に感じた。
 見上げると、空が高く街路の樹がざわめきたっている。午後二時のプラタナス。すれ違う人は皆、何故か下を向いていた。
 わたしは靴底を鳴らして歩きながら、今朝のことを思い出す。気怠い光の中、わたしがベッドでコーヒーを飲んでいると、彼はドアの隙間からそっとカメラを向けた。それに気付いたわたしは屈託なく笑って、彼は満足そうにシャッターを切った。窓際でポピーが揺れていた。そして彼は言った。もう秋だね、と。
 特に外に用事はなかった。ただ、このジャケットとスカートのセットが似合いそうな気配を、四階の薄く開けた窓から嗅ぎつけたから、街へ出た。背後から背の高い男がついてくる。そう思って気にしていたのに、男はふいに右へ曲がると見えなくなった。わたしは軽く舌打ちをする。
 あてもなく舗道を歩いていると、一軒の化粧品屋が目に留まったので入ってみる。店内は女性客で混んでいて、わたしは陳列された口紅やらファンデーションやらをしばらく眺めていたけれど、香水売り場にきたところで足を止めた。
 並べられたひとつひとつに名前が付いている。丸い香水瓶を手に取ると、心臓ってこんな重さかしら、とわたしは思った。
 何の気なしに手首に吹いてみる。秋の鼓動と名付けられたそれは、わたしの今日の出立ちにすっと馴染んで、すぐにわたしのものになる。
 わたしはうしろを振り向く。鏡に映る、わたしを見る。
 もう秋ね、鏡の中のわたしが言う。
 あなたは言った。もう秋だと。

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