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思いを馳せる、勝手

 昨日はかわいい洋服を着て外に出た。髪を切り終わった夫と待ち合わせをして、下北沢のカフェで煙草を吸いながらアイスミルクティーを飲んだ。駅前には救急車が停まっていた。
 一緒に歩きながらずっと、今日わたしかわいい格好していると思っていた。そのことを思い出しながら今は家のリビングのソファに脚を放り出して煙草を吸っている。ひとりの午前中。
 今日は午後にジムに行くけれどそれ以外に何も予定はなかった。ひとりで近くの喫茶店へ行こうかとか溜まった食器を洗おうかなどと考えているけれど、それを実際することを思うとどれも現実味がなかった。この部屋でひとりふわふわと生きるわたしには何もかもが現実味を帯びない。
 出窓に咲く芍薬を眺めて、その上で風に揺れる風鈴を見ている。時折鳴る陶器の風鈴が涼しげな音を奏でていた。そろそろ梅雨がきて夏がくるのだろうか。夏になったらわたしは今とは違うものになっているのだろうか。
 今日は九時に起きて、もう夫は仕事へ行っていなくて、わたしは朝からひとりでこの白い部屋に囲われている。コーヒーは起きてからもう三杯も飲んだし、煙草もつい五分前に吸い終わったばかりだし、目の前にあるものでわたしの時間を奪ってくれそうなものは何もなかった。ああ、と思う。
 専業主婦が退屈を持て余さず、一日を気楽に過ごすことができる人種だとは思わない方がいい。わたしは毎日暇を持ち、余すどころか腐らせている。
 時間の使い方が絶望的に下手なのだ。何もすることがない日に限って朝早く目が覚めるし、集中力がなくて本を読めない日に本を借りてきたりする。自分で何かを決めることがこんなに難しいだなんて、専業主婦になるまで思ってもみなかった。とはいえ考えてみれば昔から自分の好きなものが自然とわからない性質だったかもしれない。いや実際そういう性質なのだ。わたしの主治医曰く。
 歳を重ねていけば自然と湧き上がってくる何になりたいだとか、これが好きだというような自我を確立することが苦手なのだ。だからこそ躍起になって自分の好きなものを決めてそれに準じてきた。カテゴライズすることが安心で、ふわふわと浮いたものが怖いわたしは、その実いつだって宙を浮かぶような足元のない存在だった。
 そういう特性のあるわたしには長い目で見ても短い目で見ても生きることはいつも困難で、なんてことない一日をなんてことない風に過ごすことがとても難しい。
 今は昼過ぎで、今日一日何をしてやり過ごそうか。外はとても良い天気で、軽やかな風も吹いている。外に出たら気持ちが良いのだろうな。ひとりで何かをしたってその価値がわたしには見出せないのだろうな。そんな空の下、わたしはといえばこの日を生きることを目標に部屋の中で目を凝らし、明るい太陽光にさらされて壁紙ばかりが白く輝いているのをじっと見つめている。ソファに座って煙草を吸って、吐いて。そうしなきゃ息ができないみたいに。今日も明日も明後日も、夏も同じだろう。

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