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幸せは苦しみの副産物

先日「幸せは苦しみの副産物」という考え方に出会いました。初めて出会った考え方でしたが、とても腑に落ちたので、今日は自分なりの解釈を記しておきます。

「幸せとは苦しみである。厳密には、幸せとは苦しみの副産物である」

幸せは、苦しみから脱しようとした我々が移動したり、状況を変化させたときに感じるものだそうです。

例えば、お腹が空いていたとしましょう。空腹は、次第に「苦しみ」になりますよね。そこで、その苦しみから逃れようと、食べ物を口にします。

空腹状態で口にする食べ物はとても美味しく感じますし、体も喜びます。おそらく大抵の人は、空腹時に食べ物を食べたときに「幸せ」を感じると思います。

ところが、幸せを感じるはずの「食べる」という行為も、ずっと続けているとやがて満腹になり、「苦痛」になり、さらに食べ続けろと言われるとそれは「拷問」になります。

こうして、幸せは再び苦しみになるのです。


もう一つ例を挙げましょう。
あなたは2時間ずっと立っていました。疲れてきたので、座りたいと思っています。2時間も立ち続けていたら、大抵の人は「苦痛」を感じています。

さあ、ようやく椅子に座れました。
なんという幸せ。
足が解放されて、腰への負担一気に減りました。
ずっと座っていたい。

ところが。
3時間ここに座っていないといけないらしい。お尻がむずむずしてきたり、身体を伸ばしたくなってきたり、足を動かしたくなってきた。動きたいのに、座っていないといけない。そろそろ座っているのも苦痛だ。

そしてようやく、立てました。
ああなんという幸せ。


人間は、苦痛から逃れたいからこそ、行動を起こすのだと言います。
苦痛があるからこそ、人生が進んでいきます。
そして苦痛から苦痛へ移動した間に感じる束の間の幻想が、「幸せ」なんですね。

なんだか、とっても腑に落ちました。



お酒を飲むときに感じる至福の感覚も、熱いお風呂に入る時の開放感も。全部全部、束の間の幻想の幸せです。

でも苦痛があるからこそ幸せを感じられるのだと考えると、苦痛も悪くないものですね。

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