見出し画像

作曲家と政治力

作曲家にとって求められるスキルは多岐にわたる。

フィールドによって振れ幅はあると思うが、音楽の技術と知識は当然として、言語化能力、交渉力、マネージメント能力、デジタルリテラシー、健康管理、鈍感力、財力、腕力、遠心力、フリック入力、など様々な能力が必要とされる。そして、忘れてはならないのが「政治力」だ。

政治力。とても、不穏な響きだ。なんかアンタッチャブルでデリケートな感じがする。"高級料亭の奥座敷で菓子折りに入った諭吉を差し出しながら「先生のお好きなお菓子でございます、ここはなにとぞなにとぞ・・・」"的な怪しさが漂っている。

残念ながらそういう光景はドラマでしか見たことがないが、超大物作曲家になれば、高級菓子折りをもらったりあげたりすることもあるのかもしれない。正直、羨ましいと思う。

ちがうちがう、そうじゃない。僕が言いたかったのはもっと前向きな政治力の話だった。決して音楽業界の闇的な話をしたいのではない。

多くのコンテンツ制作の裏では常に巨大なプロジェクトチームが動く。ゲームであれば、ディレクター、プロデューサー、開発会社やパブリッシャー、アニメや映画であれば、監督、プロデューサー、製作委員会、配給会社など、様々な立場、視点が交差し、高めあい、時にぶつかりあう。クリエイティブ側とマーケティング側の両者がせめぎ合う、というのはリアルでもドラマでもよく聞く話だ。誰がお金を出しているか、という面での現実的な力関係は言わずもがな、である。また、クライアントの社内政治の影響を受けるケースもある。僕も、特に若い頃はよくそういう場面を経験した。

作曲家とそのチームは、その大きな船の乗組員として柔軟かつ軽やかに立ち回らなければいけない。誰かが難色をしめせば、船から落とされる可能性すらあるのだ。大人の複雑な事情で船が急に氷山にぶつかったり、サルガッソ海に迷い込んだりする。なんか知らないうちに船員が消えている・・・という怪奇現象もたまにある。

どの世界でもそうだろうが、みんなが目指す宝島への道は楽ではないのだ。そういう船乗りのバランス感が、「クリエイティブな政治力」ではないかと思っている。

このままいくと氷山にぶつかるぞ!!という時に、救命ボートを用意しているようではダメだ。誰よりも早く察知して念力で氷山ごと消し去るような神通力が必要なのである。船が沈み切るまで楽器を演奏し続けていては死んでしまう。もう、音楽の良し悪しとは無関係の事態なのだ。

無理難題はある。たとえどれだけ音楽的にかっこいい(と自分では思っている)1曲を書こうとも、ディレクターやプロデューサーがノーと言えば、ノーだ。そして、そのノーは常に正しい。

なぜなら、誰よりもその作品を理解し、四六時中そのことを考え命を削っているような方々である。重みが違うのだ。作曲家がその重みに対峙するには、一曲入魂どころか、一曲に一生分の情熱を注がなければ不十分だ。

だから、僕はどんな難題であろうと、どんな制約があろうと唯一の答えを見つけて、彼らがイエス!と笑顔で拍手してくれるまで情熱とプライドをもって応え続けたいと思う。いつも音楽に誠実に。そうして生まれた乗船員同士の絆と信頼関係は、政治力なんかを超えて強固なものとなると信じている。そうやって築かせて頂いた絆には心から感謝している。そして、その先の誰かの手元に届いたとき、大きな感動を伝えられると信じている。

と偉そうなことを書いてみたものの、残念なことに、高級料亭の奥座敷的な政治力については持ち合わせていない。だから、この記事を最後に僕が行方をくらましたら、そういうことだと思ってほしい。


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?