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メディテーションについて:2Transcendental Medetationを習得してみた

アメリカ大統領選挙も佳境に差し掛かり、バイデンの当選が確実になってきたようです。私の住むニューヨークは民主主義者が多く、あちこちで祝福が上がっており、ひとまず休戦?、分断が少しでも小さくなればいいなと願うばかりです。

今日は、前日の日記で触れたTranscendental Medetation(TM)について、私の体験談を書こうと思います。

ちなみにこれはあくまで私の個人的な体験で、TMを宣伝しているわけでもないので、興味がある人の参考になればくらいの気持ちで書いています。

TMには「セレモニー」がある

まず、TMはヒンドゥー教の流れを汲んでいるとのことで、初日に数分の短いセレモニーを行います。
私の正直すぎる個人的な感想としては、キリスト教の外国人が日本のお寺や神社に観光で行った際に、お坊さんがお経を読んだり、神主が行う神事を見て、意味は全く分からないけどなんとなく神聖に気持ちになる、というような感じでした。
この儀式、必要なのかな?とも思いましたが、この方法を世界に広めたマハリシという方がヒンドゥー教の僧侶なのだそうで、その方が下の世代に伝えていった方法を変えずにやっているんだろう、程度の短い儀式でした。
マハリシは、インドの僧侶としてはごくごく当たり前の、ぼさぼさの長いひげに長い髪というルックスで、例の人物を彷彿とさせるところがあり、空中浮遊なども修行の一環として行っていたそうなので、(ヒンドゥー教の僧侶に対し非常に申し訳ないとは思いつつ) 新興宗教かと拒否反応を持つ日本人は、少なくないかもしれません。
ちなみにマハリシの思想はヒンドゥー教をベースに中世インドのヴェーダーンタ哲学やヨガ、ブッダの思想、伝統などを取り入れたもので、この瞑想法はヒンドゥー教の文化的背景を持たない西洋人に合わせて調整され、高度に単純化されたヒンドゥー教の瞑想法なのだそうです。
修行や宗教は彼の個人的なものなので、取り入れる必要はありません。

その後マントラという、個人に合わせた意味を持たない「音」のような言葉を授けられ、メディテーションはこれを座りながらただ頭の中で繰り返すだけというだけの行為です。

マントラ

マントラは、自分だけのプライベートにする必要性があり、個人によって全く違う音を授けられるそうなので、指導前にズームでのインタビューのようなものと、初日のセレモニー前とでコンサルタントのような時間が設けられています。
インストラクターからはまず、マインドフルネスや自分の以前の瞑想方法ではすぐに意識が散漫になり出すという問題が、まず問題ではないという事を教えられました。
思考は自分の意思とは関係なく、何の努力もなく、常に流れてくるものだという事。
そこに意識を向けるか、それとも指定のマントラに意識を向け、最終的に思考の支配下以外の部分に意識を向けるかという、ある種の脳のトレーニングのようなものの様です。

初日に初めてこの瞑想方法を試して思ったことは、これは少なくとも、 「肉体的」な管理、コントロールが苦手な私にとってはやりやすいという事でした。
座る姿勢や呼吸のタイミングに意識を向ける呼吸法や、マインドフルネスは、呼吸や五感という肉体に携わる部分の意識を集中してコントロールする必要があるのに対し、TMは座禅を組む必要もなく、ただ自分が楽なように座って、そのマントラを20分間、頭の中で繰り返すという、脳にかかわる部分の意識の集中という違いなので、どの方法が合うかは人ぞれぞれだと思います。
かゆければ掻けばよいし、体を動かしたくなれば動かせばいいし、足を組んでも構いません。
思考が流れてくると気づけばそれをただただ定観してマントラに戻していけばよく、仮に思考に邪魔される時間の方が多くてもそれを気にする必要は一切ないという事が、ルールや決めつけが苦手な私にとっては好都合な瞑想法でした。

TMを行った感想

呼吸にあえて意識を向けなくても、私の場合だいたい5分前後で呼吸が整い、10分前後では何度も深い呼吸をするようになりますが、基本的な呼吸は深呼吸というよりもむしろ浅い呼吸です。
私の場合、初めの10分はかなり思考の邪魔が入ります。
それでも繰り返しマントラに意識を戻し10分を過ぎるころには、意識と体が少しずつ分離するような感覚に陥ることが多く、この状態は心地よい温度のお風呂に浸かっているような非常に気持ちの良いリラックスした状態になります。眠りに落ちる瞬間が何分も続いているような感じで、実際に体がカクンカクンと眠りに落ちようとしているのを少し離れたところにいる意識が傍観しているような感覚です。

これは単純に眠りに落ちているだけなのかもしれないですが、この状態は非常に良い瞑想時間になっていると教えられました。
この状態に到達せずに終わる時もありますが、それはそれでよいのだそうです。
このメディテーションを試して実感したのは、思考 (想念) というのものは本当に自動的になんの努力もなく頭に流れてくるので、マントラが何度も思考に乗っ取られる瞬間があるという事。「たった20分間、一つの音を唱え続ける」という、2歳の子供がいともたやすくやっている一番単純な作業を、私たち大人は簡単にできなくなっているという衝撃でした。

その時に、このメディテーションは、子供のころのような純粋な意識に戻すという時間を外からの物質ではなく、自分の内側から自分に与える、という行為なのだと私は個人的に理解しました。
そのためにマントラが道具として非常に有利に働くという事。そして、自分で決めたマントラではそこに意思を含んでしまう為、外から授けられた意味や意志を持たないマントラがちょうど良いのかもしれません。

続きのNOTEでは私の瞑想に対する個人的理解を綴っています。

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