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愛猫のバケネコ闘病記

昨日―五月七日、四月の頭にガクリと体調を崩し、癌と診断された愛猫が、約一ヶ月の闘病の末、私の腕の中で息を引き取った。
16歳だった。
新しい物事や、普段と違う場所を異常に怖がり、ストレスを感じやすい繊細な猫だった。車に乗せれば嘔吐、失禁、脱糞し、普段はものすごく穏やかなのに、投薬は獣医さんでも手こずるくらい抵抗し、泡を吹いてまで嫌がる子だった。
この状態になる前は、それでも体調が崩れればすぐに獣医さんに行き、投薬によりその都度小さな不調を治療してきたが、16歳という高齢で辛い抗がん治療を受けさせる気は起きず、投薬・通院を含む彼女が嫌がることを全てやめ、彼女が安心できる自宅で看取るための緩和ケアをこの一ヶ月間行ってきた。
幸い私はフリーランスで家から仕事をしているので、彼女のそばにつきっきりでいる事ができた。
最低限の仕事以外は全て止め、できる限り多くのクオリティ・タイムを彼女と過ごせた事を心の底から良かったと思っている。

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↑私が骨折した時も、ずっとそばで元気付けてくれた猫

たかが猫といえど、私にとってはかけがえのない家族だった。
今まで動物と築いた関係性の中で、間違いなく一番特別な関係だったと思う。
自分の意思とはいえ、海外で家族と離れて暮らすという寂しさを、半分以上に減らしてくれる力強い存在だった。
私がどんなに具合が悪い時も、落ち込んで人に会いたくないような時も、うれしい時も楽しい時も、ずっと私のそばで寄り添ってくれる、自分の分身の様な特別な存在で、とにかく心優しい猫だった。人を威嚇するという事は一度もなく、撫でられることが何よりも大好きだった。
今まで本当にありがとうという感謝の気持ちと、寂しさが同時にこみあげて、今日も朝からしばらく涙が止まらなかった。

三月から続いていた軽い皮膚の炎症での通院・投薬中、ある日突然、ぱったりとごはんを食べなくなって、精密検査の結果癌と診断された。
一ヶ月の闘病といっても、お水と、たまにペロリと舐める程度のお湯で薄めたチュールのみで、彼女はそれこそ「霞を食う」ようにして平然と四週間近く生きていたので、もしかしたらこの子はバケネコになったんじゃないか等と現実逃避したくなるくらいだった。
ほとんど寝たきりだったけど、毎日を穏やかに過ごし、ご飯も食べていないのに、調子がいい日は私の机の横の、30㎝程の高さのスツールに飛び乗ったりして私を驚かせていた。
しかし今週に入り、いよいよもう危ない雰囲気になってきた。
結果的に、彼女は私の望み通り、自宅で最期を迎える事ができた。
最期の三日ほどは、少しつらい思いをさせてしまったかもしれないけれど、私が思う限りの最善を尽くせたと思うので、悔いはない。
しばらくは彼女を思い出して、泣いたりする日々が続くかもしれないが、今の私の心の中は意外にも穏やかで、とてもピースフルな気持ちでいる。

言葉を綴ると気持ちが落ち着くので、自分の気持ちの整理のために、愛猫の最期の数日間の立派な闘病の姿をノートを書いておくことにした。

5/3/2021 友人のお見舞い

私の猫の事を昔からよく知っている友人が、はるばるシティーからお見舞いに来てくれた。便利なシティーに住んでいる人が、橋を渡ってわざわざ不便な「こちら側」に来ることは少ないので、基本私がシティーに出向かない限り、普段友人に会えない。いつもならなかなかこんな遠くまで来る機会のないその友人のお見舞いは、私にとって何よりもうれしいサプライズだった。猫はその友人が大好きだったので、彼女の姿を見るとすぐに嬉しそうにゴロゴロ言い出した。あまり動けないのに、必死にベッドから出てきて、撫でられてものすごく嬉しそうにお腹を出していた。あまりに興奮してゴロゴロしたせいか、しばらくしたらちょっと疲れて亀のようにベッドに戻る姿が可愛かった。
夕方になり、友人の彼も猫の様子を見に来てくれた。猫は彼に撫でられて、また大きな声でゴロゴロ言っていた。
数年前、私が日本に帰国中でその友人に猫を預けていた時、彼はちょうど体調を崩しており、家で私の猫が彼のそばにつきっきりでいた事が彼にとって大きな心の支えになっていたらしい。前に飼っていた猫が死んでから、あまりの悲しさから新しい猫は飼わないと決めていたけど、彼女がきっかけでまた新しく猫を飼い始めたのだと話しながら、彼はボロボロ泣いていた。
私の他にもこんなにこの子を思ってくれる人がいるんだと思い、彼らが帰った後私はとても暖かい気持ちになった。

5/4/2021 安楽死を巡る口論

その日は夜まで色々とやる仕事があって、足もとでうずくまる猫になかなか時間を割いてやる事ができなかった。
ほとんど寝ていて、たまに起きてはボーっとしているものの、口を小さく開けて息をするようになっており、食欲はないようだった。私は何度も、足もとで眠る彼女の呼吸が止まっていないか確認しながら、作業机で一日を過ごした。
彼氏が仕事から帰ってきたので、猫が口呼吸をしていることを伝えると、彼は部屋に入り様子を見たあと、安楽死をそろそろ考えた方がいいんじゃないかと私に言った。彼女はもう食べることもできない、ほとんど動くこともできない、そんなQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の低い状態で生きさせておくのは可哀そうだと言う。
私は自分でも驚くほど逆上した。撫でればゴロゴロ喉を鳴らし、食欲がある日はある一定の動きをして私に伝え、未だにこんなに私に対して必死にコミュ二ケーションを取って生きようとしている猫を、さっさと殺せと言われている気がしたからだ。
アメリカでは、ペットの最期は安楽死をさせる事が圧倒的に多い。緩和ケアの一環で、無駄に長く苦しむ必要はないという考え方で、これには正解も不正解もない。時と場合により、確実に安楽死が良い場合も多くあるし、その時にならないと結局は決められないけど、私はなるべく、彼女の安心できる自宅で、私のもとで、そして人間ではなく一匹の猫として、彼女のペースで亡くならせてあげたかった。それはおそらく私にとっても楽な選択ではなかったが、この一ヶ月彼女につきっきりで過ごし、私の中で生まれた強い想いだった。
私は、「死をコントロールしようとするのは人間のエゴだ、私は彼女が彼女のペースで天命を全うするまでそばにいて支え続けると決めたのだから、私の意思を尊重してほしい、間違ってもそんな事を二度と言わないでほしい」と大声で泣きながら彼に食ってかかった。
私は彼が、彼の観点から考え、その方が猫のためになると優しい気持ちで言ってくれたのはわかっていた。だがその言葉によって、私はずっとどこか頭の隅から追いやろうとしていた彼女の死をいよいよ直視せざるを得なくなったのだった。
私は大泣きしたまま日本に電話をかけた。母国語で話を聞いてもらい諭されて、少し気分が落ちついたので、彼女のベッドの近くに毛布を運び、そこで一晩を過ごした。
涙を流しながら彼女を撫でる私を、彼女はじーっと心配そうな顔で見ていた。

5/5/2021 呼吸が荒くなり、緩和ケアのお薬を処方してもらう

前日に大泣きしたので、瞼が重く腫れあがっている。
気分が晴れないので、朝から湯船にお湯を溜めてお風呂に入り、昨日は感情的になって怒鳴ってしまってごめんね、と彼に謝った。
彼に「謝るのは僕の方だよ、こんなセンシティブな時期に無神経な事を言ってしまって本当にごめん」と言われ、また泣いてしまう。彼ももらい泣きしていた。
その日の朝に彼が獣医の友人に連絡を取ってくれ、彼女の苦手な経口タイプではなく耳の内側に塗るタイプの痛み止めと食欲増進剤を処方してもらう事になった。数時間後にマンハッタンのオフィスで受け取れるとの事だったので、彼と車でピックアップに行った。彼は本当に優しい。
猫は肩で息をしながら、もう撫でてもゴロゴロ言わなくなっていた。
話しかけるだけで何十分もゴロゴロ言い続ける彼女が、全くゴロゴロ言わなくなったという事は、だいぶ体が辛いんだろう。
帰宅してすぐに耳の中に薬を塗った。経口タイプは泡を吹いて嫌がる彼女だが、全く嫌がらないのでホッとした。体の痛みは元からそこまでないのか、薬が効かなかったのかわからないが、そんなに様子は変わらなかったが、薬を塗った後親指の爪くらいの大きさのウンチをした。排便は1週間以上ぶりだったので、少しでもスッキリしてくれたかと思うと嬉しかった。
食欲増進剤は、もう片方の耳に塗ったが、相変わらずチュールから顔を背けていたので、無理に食べることはないとそのままにしておいた。

5/6/2021 彼氏の誕生日、猫はまだまだ生きようとしている

今日は彼氏の誕生日で、きちんとプレゼントも用意してあったのに、朝から私は気が沈んでいて、元気が出なかった。
明るく振舞えず申し訳ない気持ちだったが、彼は私のプレゼントとカードを予想以上に喜んでくれ、そういう状態になるのは当たり前の事だから、申し訳ないなんて思わないで、と言ってくれた。
猫はベッドでうずくまったまま、昨日と同じように体全体で息をしている。
体勢をずらすのに少し動くとそれも疲れるのか、口を開けて息をする。苦しそうだが、合間合間はおとなしく体を休めているようだったので、早い時間に彼の誕生日を祝いに二人で好きなレストランにランチに行き、2時間ほどで家に戻った。
猫を大好きなデイベットの上に乗せてやり、部屋着に着替えてまた付き添う事にした。たまに起き上がってか細く鳴きながらピチャピチャ口を動かすので、水を口元に持っていくとその度に水を飲んでいた。水に溶かしたチュールをラーメンのレンゲに少し入れ鼻先に持っていくと、2日ぶりにそれも食べたので、食欲増進剤が少し効いたのかもしれない。
水を飲むとゼーゼーと荒い口呼吸をし、また寝そべる、を繰り返したのち、夕方頃にはいつもの体勢ではなく、足を伸ばして完全に横たわったまま動けないような状態になっていた。呼吸も相変わらず荒く、感覚も一定ではなくなってきているようで、お魚みたいな匂いがし始めた。
もしかしたら今夜あたりもうダメかもしれないと思った。けど、もしこのまま眠るように亡くなってくれれば、本望だ。
だが、彼女はまだ、生きることを諦めず必死に抗っていた。

5/7/2021 強さをありがとう

朝起きたら、猫はいつも寝ているベッドから1Mほど離れた場所に置いてあったキャリーケースの中に移動して横になっていた。かろうじてまだ息をしているのを確認して、ホッとするのと同時にきゅうっと胸が痛んだ。
ほとんど動けないのに、きっと力を振り絞って移動したのだろう。
お水を目の前に持っていっても、もう飲みたいそぶりを見せなくなった。
昼までは、横たわりながら体で息をしているもののなんとか落ち着いていたが、夕方急に錯乱したように大きな声を出して顔を上げた。
1分ほど私の目を見つめながら聞いたこともないような声で激しく鳴き、歩けない体を引きずってのたうち回り、また倒れるようにして横になった。呼吸がさらに荒くなって目を見開いている。
私はパニックで、心臓が口から飛び出てしまうのではと思うほどの恐怖に襲われた。しばらく動悸が治まらず、緊急病院に連れて行こうか迷ったが、連れて行ったら最後、もう病院で亡くなるのは目に見えていた。私はできる事なら、移動を異常に嫌がる彼女が唯一安心できる自宅で看取ってあげたかったので、そばにつきっきりで引き続き様子を見ることにした。背中や首元を優しく撫でていると、少し落ち着くようだが手を止めるたびにこちらを見て苦しそうに鳴くので、とにかくそばにいて声をかけながら撫で続けた。
それからは、1時間に1度のペースで錯乱してのたうち回った。私も自分を落ち着けさせようとするがうまくいかない。大丈夫だよ、と体を支えながら見守るたびに安楽死の選択が頭を強くよぎるようになった。
死をコントロールするのは人間のエゴだとあんなに強く思っていたけれど、もう何が自分のエゴなのか全くわからなくなった。もし私が彼女の生命のスイッチをオフにできるボタンを手にしていたら、間違いなく押していたと思う。
四回目のそれが来た時にはもう、私の顔もぐしゃぐしゃで、神にもすがる気持ちで祈るしかなかった。時間は夜の十時になろうとしており、電話をして問い合わせた訪問タイプの安楽死のサービスは、どんなに早くとも明日の朝までは無理なようだった。これが夜中まで続くようだったら、彼女のためにも緊急病院に連れて行き安楽死させた方がいいかもしれない、と思い始め、電話で近くの緊急病院を検索し始めた矢先、部屋の外から別の猫の鳴き声がした。
この子の事で頭がいっぱいで、うっかり夕方あげるはずのドライフードを忘れていた事に気付き、私は愛猫に向かって、「サリーとジェニーにごはんをあげてリターを掃除したら、すぐに戻るから、待っててね。」と声をかけた。
手早くご飯を用意してリターボックスを掃除し、五分くらいして部屋に戻ると、さっきいた場所から頭一つ分程ずれた場所に横たわって、か細い声で鳴いていた。「あれ」がまた起こったのかもしれないと思い、そばに寄って体を撫で、戻ったよと声をかけた。
するとすぐに、口を大きく開けて大声で鳴きながら、首を突っ張らせたまま、けいれんを三十秒ほど繰り返した。私はついに最後が来たと悟り、すぐに彼女を抱きかかえると、私の腕に収まった瞬間に、ハーッと大きな呼吸をして、そのまま息をしなくなった。
目から一瞬で光が消えるのがわかった。
日付が変わる少し前に、彼女は私の腕の中で息を引き取った。

私は「私の人生を幸せにしてくれてありがとう。最後まで本当によく頑張ったね。」と話しかけて、生前お気に入りだった、デイベッドの上に彼女を載せた。
その瞬間、肛門のあたりから残っていた尿などの体液が少し漏れた。死ぬまで一度もお漏らしもせず、自力でトイレで用を足していたし、亡くなる三日前まで、撫でると嬉しそうにゴロゴロ言っていた。彼女の穏やかさは、彼女の強さだった。
最期の最期まで立派に生きた猫だった。


カリちゃん、私に笑顔と強さをくれて、本当にありがとう。
私はあなたに愛を教え、あなたは私に何倍もの大きな愛を教えてくれました。
しばらくは安らかに休んでね。これからもいつでも一緒だよ。

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