歳を重ねるということ――塔本シスコ展と小倉遊亀展(滋賀県立美術館)を見た日記(22/08/25)
さて、気がついたら誕生日。
手術を終えて、放射線治療の準備をしていた去年と異なり、一応は日常生活に復帰して迎えることができました。
一年間を振り返って、なにか感慨深いことでも言えたらいいのですが、
とりあえず生きててよかったとしか浮かばない。
このまま死ぬまで生きられますように(あれ?)
この日は、滋賀県立美術館で開催されている塔本シスコ展へ行きました。
県立美術館といっても、県庁所在地の大津にあるわけではなく、まずは京都駅に出て、そこからJR東海道線に乗って大津を越え、琵琶湖を眺めながら石山と草津のあいだの瀬田駅でおりる。
瀬田駅からさらにバスに乗って住宅街を抜け、山あいのびわこ文化公園でバスをおりて、緑あふれる道を10分程度歩いてようやく到着。
滋賀県立美術館はリニューアルされたばかりのようで、非常にモダンで心地よく、ガラス張りの回廊から光あふれる中庭を眺めることができる。ちょうどお昼だったので、売店で大豆ミートときのこのサンドイッチを購入。全粒粉パンがもちもちしていておいしかった。
腹ごしらえも終わったので展示へ。
塔本シスコはどういう画家なのかというと、こちらのサイトの説明にもあるように、53歳になってから絵を描きはじめ、91歳で亡くなる直前まで絵筆を握り続けたことで知られている。正式な美術の教育をまったく受けていないことから〈素朴派〉と呼ばれ、その力強くあざやかな絵は一度目にすると忘れがたい印象が心に刻みつけられる。
シスコの絵の大半は、生まれ育った熊本や、息子夫婦と暮らした大阪の風景を描いている。なかでも、私が生まれ育った大阪の枚方を描いたものが多く、山田池公園や長尾駅(枚方にあるJRの駅)といった幼いころから親しんでいる場所が、シスコの筆によってまるで桃源郷のように写し出されているのを見ると、思わず感嘆のため息をもらしてしまった。
(ちなみに、今回の展示は撮影可でした)
どの絵も細部に至るまで精密に描かれていて、花や虫が持つ生命力がこちらにもいきいきと伝わってくる。晩年は孫たちにくわえて、猫のミーも家族の一員になり、しばしばシスコのモデルをつとめている。このミーの絵はシスコが89歳のときに描いたものらしい。
そして常設展では、滋賀ゆかりの日本画家、小倉遊亀の特集展「いずれかほとけの姿ならざる」が開かれていた。
同じ女性画家であっても、女性として初めて日本美術院同人に推挙され、日本芸術院会員になり、文化勲章を受章した小倉遊亀とシスコの画家としてのキャリアは正反対と言える。
けれども、自分の好きなものを追求する女性がきわめて少なかった時代に生まれながらも、亡くなる寸前(小倉遊亀は105歳没)までひたすら絵筆を握り続けたふたりの生き方には共通するものを感じた。
そして小倉遊亀の絵も、シスコの絵と同じように、幼い女の子や小動物がいきいきと描かれ、型におさまらない自由で風通しのいい空気が流れているように感じられた。
それになんといっても、どちらもハイカラな名前という共通項もある。小倉遊亀の本名は「ゆき」らしいので、自分で漢字をあてたのだろうか。シスコは、サンフランシスコに憧れた父親がつけた本名というところがすごい。
帰りは、せっかくここまで来たのだから、マザーレイク琵琶湖も見ておかないとと思い立ち、大津駅から浜大津まで歩いた。平日だったので、人のまばらな港に大型の観光船や水上警察のボートが並び、〈故障〉の札がかかったびわ湖花噴水の前で、ヨーロッパの民謡のような音楽がむなしく流れていた。
こうしてまたひとつ、大人になってしまった。
気がついたらどんどんと歳を重ねていることに空恐ろしくなるけれど、この日絵を見た先輩方たちのように、いくつになっても好きなことを追及し続けることができるのだと考えたら、歳をとることもそれほど怖くなくなる……
かもしれない。とにかく、長生きすることに決めた。
(サマソニ行きたかったな~とまだちょっと思っていますが、来年再び来日して単独ライブが行われるらしいので、なんとしてもチケット取らねば)
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