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#2 大きな壁

今までと違った30代半ばの壁

私はいわゆるワーママで、今9歳になる娘がいます。産休育休取得後、特に30代半ば頃からキャリア迷子、いや人生の迷子になってしまい、壮大に拗らせていた時期がありました。

「何でこんな思いをしてまで働いているんだろう」
「私は何のために今までやってきたの」
「変わりたいけど、自分の何をどう変わればいいの」

日々、朝から寝るまでこんな言葉が頭の中をぐるぐる回り、常にイライラして家族に当たり散らしては自己嫌悪に陥るという。家族にとってはただただ迷惑な存在だったと思います。

これじゃいけないというのは頭ではわかっていました。ただ、何をどう変わればいいのか本当にわからなかった。変わろうとしていろんなものに手を出しては途中で挫折してさらに深く深く自己嫌悪のスパイラルにはまっていくという最悪な状態でした。

今までも仕事や生活で壁にぶつかった事自体は何度もあって、そのたびに乗り越えてきたという自負はありました。直近では産後に夫と険悪になった産後クライシス。その時もかなり思い悩みはしたのですが、ただ黙って思い悩む性分ではなかったので、モヤモヤの答えを探し抜き、Amazonで関連書籍を片っ端から買って読んで、言語化できるようになったところで夫と話し合い、一応円満に解決しました。(そういえば夫に本を投げつけたことも思い出されました…汗)

20代の頃は主に難しい仕事をうまく回せなかったことが壁となっていましたが、周囲をうまく巻き込んで助けてもらったりしながら、なんだかんだで解決できていました。

でも今回の壁はちょっと違いました。今までは問題を解決しようと思ってあれこれ行動していたら気がついたら解決につながっていたのですが、今回の壁は行動しても空回りするばかり。何なら行動しようとしてエイッと踏み込むと(踏み込む手前の場合も)カラダが硬直するような、強いブレーキがかかってなかなか行動に移せないこともありました。
なぜこんなことになったのか、考えてもわからず苦しい日々が続きました。

家族に依存した仕事と生活

30代半ばの私の状況はこうでした。
子どもが小さかったので時短勤務、仕事内容はルーチンワークがメイン。仕事内容について、人によってそれが配慮なのかマミートラックなのか感じ方は色々ですが私の場合はどちらかというと後者の方を感じることが多かったです。結局、ルーチンワークは簡単だけど業務に穴が開けられずスケジュール的に融通が効かないのと、業務量が多く時短の勤務時間内でどうやっても終えることができず、矛盾を感じていたためです。

幸いにも生活面では私の母が全面的にサポートしてくれました。夫が長く単身赴任でシングルマザー状態だったので、母のサポートは大変ありがたいものでした。おかげで保育園には優しいおばあちゃんが迎えに来てくれて、常識的な時間に温かいご飯を食べて、早い時間に就寝する、ワーママのワンオペでは到底不可能な子どもにとっての「当たり前」の生活を実現することができていました。また、仕事帰りで疲れてイライラしている母親と2人になるより、お互いすごく健全でした。とても恵まれていた環境だったと思います。ただ一方で、子供との時間が日常に取れないこと、家族の生活(人生)を侵食してまで成り立たせている仕事について疑問を持つようになり、自分の存在意義にまで疑問を持つようになりました。

労働状況の改善について、職場への働きかけは継続的に行なってはいたものの、自主的にこの状況を断ち切ることはしませんでした。転職という文字が頭をチラつく事は何度もあり、転職エージェントに会ったことも数知れず、しかし結局踏み出す事はありませんでした。

娘が小学校に上がる頃、状況に変化がありました。母の病気がわかり闘病生活が始まったのです。初期の頃は母もまだ動けていて、ギリギリまで私の生活をサポートしたいと申し出がありました。
「え?」と思いました。本当にそれでいいのか、最後まで悩みながらも私の生活が変わる事はありませんでした。母は病気がわかってから約1年で他界しました。

今になって思う30代半ばの壁の正体

母を亡くして深く落ち込んで、心身共にどん底にいました。それなのにぐちゃぐちゃの心を抱えて毎日仕事に行けてしまう自分、何事もなく働けてしまう自分が悲しくて理解できませんでした。でもこのままだと本当に良くない、立ち直るためにも自分を変えないといけないと、藁を掴む気持ちで偶然たどり着いたのが「project MINT」という大人のための自己革新プログラムでした。この話は次回詳しくお伝えしたいと思います。

現在まだ壁を乗り越えている途中ではありますが、少し時間があいたことで、この30代半ばの壁について冷静に振り返って考えることがあります。

まず壁を構成する要素の1つとして、自分を取り巻く環境が家族(子ども)ができたことで自分自身の努力ではどうにもならないことが増えたという事があったと思います。どうにもならないのだから、そこはできる範囲で柔軟に対応すればいい話です。私は当時気に病んでいましたが、きちんと同意がある前提であれば家族に頼るというのも間違いではなかったとも思います。ただそこは壁に繋がる別の要素の1つであったのですが、自分の問題と他者の問題を混同して必要以上に思い悩んでいたという点が自分の誤った考えとしてあったと思います。この選択がよかったのかどうか別として、私の生活をサポートして孫の面倒を見る、これは母自身の選択であって私が気に病むのは違うんだということに気づけてから、私はただ純粋に母の死を悼み、感謝をすればよかったのだと思えるようになり、少し心が楽になりました。

また、子どもができた事による変化として、価値観そのものが変わったという点もありました。まず時間の観念は全く変わりました。従事した時間の長さで評価されることに今まで以上に疑問を持つようになったことと、仕事の内容に対しこの時間に意味があるのかと考えることが増えたと思います。価値観の変化による現実とのギャップには苦しむことがあったけど、変化自体は自分にとってとてもポジティブなものだったと考えています。

何より一番の壁は、環境や価値観の変化があった中で、じゃあ自分はどうしたいのか考えられず思考停止してしまっていたことだったと思います。長い間、自分の感情を押し込め、自分自身と向き合ってこなかったので、自分のニーズがわからなくなり、前に進めなくなってしまったのです。前述の「project MINT」では自分の気持ちと向き合い自分のニーズを引き出し、最終的に「パーパス」という生きる目的にまで言語化することを行いました。

具体的にどんなことをしたのか、次回もう少し説明したいと思います。
駄文長文にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。










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