見出し画像

自分はずっと前からコロナで苦しんでいた~カミュ『ペスト』を語ろうに参加して

先日、友人がオンラインで開いてくれたカミュの『ペスト』を読んで語る会に参加しました。
といっても、小説そのものは読めていないのだけど、100分de名著を見ただけでもOKとのことだったので、再放送を録画して参加しました。

作品の素晴らしさは、ぜひこのオンデマンドを見ていただきたいのだけど、さらにそれを語るという場があることも、本当に素晴らしくてありがたい。

ペストっていうと、あの鳥のくちばしのような特徴的なマスクのインパクトが強くて、昔に流行った病気だと思っていたけど、調べてみたらまだまだ現役の病気なのね。治療薬はあるけどワクチンはない。治療が行われなかった場合の死亡率も高く、予防としてはできるだけ患者との接触を避けるしかない。

そんなペストがある街で突如発生して、どんどん蔓延していく。結果、その街が封鎖され、街の人々はその街の中で暮らしていかないといけないことになる。閉ざされた暮らしの中の人々の様子、特に心の動きを細かく描いていて、それはまさに今のコロナ禍の私たちを描いているかのような物語です。

印象的なエピソードはたくさんあるのだけど、一番私の心にささったのは、タルーという活動家の登場人物が言う「自分はずっと前からペストで苦しんでいた」という言葉。
彼にとってペストとは「人を殺すもの」であり、それが社会の中に当たり前に存在するということと、彼はずっと戦ってきていた。

このエピソードに触れた時、
「あぁ、私もずっと前からコロナで苦しんでいたな」と強く思いました。
その「コロナ」が何を示すのかはうまく表現できなかったのだけど、確実にそう思った。確信めいたものがありました。

コロナ禍の暮らしはパターンB’

コロナ前の自分とコロナ禍中の自分とを比べてみると、実は子どもたちが家にいるということ以外、ほとんど変わらず過ごしている自分がいます。もちろん、PTAの役割等の自主的に引き受けていたボランタリーな社会的役割は全部中断してるし、行く予定だった舞台が中止になって打ちひしがれたりはしているけれど、大きな生活の基盤は崩れてはいない。

3歳の子どもがいるので、発熱等は日常茶飯事。感染予防対策も常日頃から取り組んできた。
さらに、不登校気味の次男がいて、突然子どもが学校に行かなくなることも想定した暮らしを組み立てていたし、そういったことによって家事の負担が増える可能性も考えていたし、私の仕事も夫の仕事も不測の事態に対応できるように余白をもって対応する習慣をつけていた。
学校に行かなくても、学びを止めない大切さを家族で共有もしてあるし、そのためにそれぞれに合う学びのあり方も模索してある。

なんというか、もともと生活の中で常日頃から想定していたパターンがいくつかあって、今はそのパターンB'くらいの生活をしているようなイメージです。
パターンAは家族全員健康でそれぞれ学校や保育園に通えている状態。パターンBは誰かが学校や保育園に行けなくなった状態。パターンCは私が病気にかかった状態。パターンDは誰かが精神的負荷を抱えていてケアが必要な状態。パターンEは家族の入院等の不測の事態が起きている状態。みたいな。後ろに行けばいくほど調整しないといけないことが多くて大変なイメージです。でもまぁ想定内というか、対応できる範疇。

もちろん、こういった環境を作ることができているのは、自分たちの努力以外にもたくさんの支えがあってのことではあるけれど、それでも他の選択肢がある中、こういう調整がしやすい生き方を選んできたのは、単に「そうしたかった」というだけではなく、そうせざるを得なかったという面が大いにあります。

分断されたところにある自然な人間の姿

例えば、子育て中だったり、特性を持つ子どもがいたり、介護中だったり、自分自身が様々な課題を抱えていたり、そういったことは自然に起こるものなのに、今の社会の中ではオプション的な扱いを受けていて、いわゆる「普通の暮らし」とは分断されたところに存在しています。
そんなことはない!ちゃんとそこをも含めた制度が整ってる!という意見もあるのかもしれませんが、少なくともそこを生きてきた実感としては、確実に分断されています。

(参考)田房永子さん「世の中にはA面とB面がある」
https://cakes.mu/posts/12113

その分断されたところにあるものを大切にするためには、この社会で分断されながら生きていくしかありません。それは、すごくストレスのかかることでもあり、単に毎日の暮らしが滞るということだけでなく、精神的な負担も大きくかかります。
それでも、この10年間いろいろと挑戦してきた結果、こういったたくさんのパターンを想定し、行き来できるような暮らし方を選ぶことで、なんとか普通に生きていくことができるようになってきたという感じです。

ただ、それはこちらが全力で調整しているだけでもあり、なぜオプショナルな事情を抱えるだけで分断されてしまうのか、なぜ社会はそういったものを分断した仕組みで成り立っているのか、日々そういった問題意識は強く持ち続けています。
それでも前向きに楽しく暮らしていき、正当に誠実に意見を出していく。それが私なりの戦い方でもありました。

人と人を分断するコロナ

コロナ禍において、私たちの生活は大きく変わっています。つながり支え合い発展することで生きてきた人間が、離れて暮らすことを求められています。

ですが、それは私がこれまで戦ってきたものでもあります。つまり、私にとってコロナとは「人と人を分断するもの」であり、私はそれとずっと戦ってきたのだと感じたのです。

そういう意味で、私はもうずっと前からコロナで苦しんでいたのです。
この人と人を分断するものと、どう向き合いどう共存していくのか。その問いにこれから私たちは向き合っていかないといけないのかもしれないと、改めて思わされています。

そして今、そこを戦ってくれる仲間が増えたような感覚もあります。これまで分断する側だった人が分断される側にまわる。それは、もちろん自分もどちら側にもなりえるということでもあるのだけど、でも今回のことで初めて手をつなぐことができるようになった人もいるんじゃないか。そういった可能性もすごく感じています。

小説『ペスト』の中でも、オランの街の人々が追放され、隔離されていきます。さらに、オランの街の中でも、様々な追放と隔離が行われていきます。
そこの不条理さと、それでもその中で人がどう生きていくのか。精一杯誠実に生きていく「人間」という存在の美しさ尊さが際立ち、描かれています。

この不条理な中から見つける自分の真実は何か。誠実さは何か。
そこを見つける長い旅が始まったのかもしれません。

これから読みます!

と、100分de名著と語る会でしか出会えていないカミュ『ペスト』ですが、果てしない内省の旅に出会いました。

Amazonで売り切れててなかなか買えない…と思っていたけれど(Kindleが苦手なので💦)、ペーパーバックでの購入ができるようになっていたので、これから読んでみようと思います!めっちゃ楽しみ!!

改めて、100分de名著という素晴らしい番組にも感謝!

そして、語る会をつくってくれたひととびのせいこさんにも感謝!

子どもの学びも止めたくないけど、大人の学びも止めないぞ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?