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「おもしろい」を中心に、市民として生きる(雑誌「社会教育」4月号掲載記事)

本記事は、雑誌「社会教育」に掲載された記事を転載しています。
ぜひ、本誌もお手に取ってご覧ください!

はじめに自己紹介を、と言われても、実はその自己紹介が一番難しい。
市民活動を熱心にやっている人によくある問題で、いろんなことをやっているけれど、何をやっているのかわかりにくい。どれか一つを取り上げてもそれが自分の全てではないし、かといって全部あげていったところで、それで全部が伝わるかというとそうでもない。
私もそういった問題を抱える一人である。

2年半前に友人たちとシェアリング・ラーニングという、地域の中の学びの場づくりを行う団体を立ち上げて共同代表を務めているが、学びのテーマや場の形式含め、メンバーがやりたい時にやりたい事をやっている団体のため、基本的に活動は不定期だ。他にもPTAの役員や行政の委員などの地域の役割を引き受けたりもしているが、これらは一定の時期を過ぎたら次の人に引き継いでいく役割でしかない。最近は、○○をおもしろがる会、やいのやいのする会といった、名前の付かないような集まりや勉強会や対話の場を、思いつくままに開いたりもしている。

これらの活動を展開していく際に、私が持つテーマはその都度異なる。幼稚園から中学校までの3人の子どもがいるので、子育てが中心ではあるが、「学校の在り方にもっと関わりたい」「学校に行きたがらない子どもの居場所がほしい」「子どもがもっといろんな人と関われる機会がほしい」といったものから、「一人一人が自己表現する機会がほしい」「まちの人たちと学び合う機会がほしい」「私自身の伝わりにくい生きづらさを伝えたい」といった、自分の中にある様々な要素を引き出し、前述した活動を行っている。
つまり、基本的には私がやりたいことをやっているだけである。

こういった地域の中での在り方を総称するものとして、ここ数年「"市民"として生きてます」という自己紹介をするようになった。うまく伝わる場合とまったく伝わらない場合とあるのだが、多くの場合、その表現自体が新しい概念として概ね前向きに受け止めていただけている。
今回はそんな市⺠としての取り組みの⼀部を紹介する。

始まりは長男が「宿題をやれない」と泣き出したことだった。
宿題の内容が難しいとかではなく、どうしてもやる気が出ず、鉛筆を持ったまま1時間泣き続ける様子を見て、宿題とは何か?なぜやれないのか?なぜやらないといけないのか?といった問いが私の中で膨らんできた。

こういったことを一緒に考える仲間がほしくて、「学校と学びの勉強会」という自主勉強会を開催することにした。個人で開く勉強会、しかも子どもたちが学校に行っている間の平日日中の時間に誰が参加してくれるのだろうかと思っていたが、いざ始めてみたら、毎回10人以上、多い時では30人近くが集まってくれた。学校とか学びとかにモヤモヤした思いを抱える人はたくさんいて、みんなちゃんと考える機会が欲しかったのだ。

さらに、その場に参加してくれた方と意気投合し、冒頭に紹介した団体を立ち上げ、PTAについて考える100人ワールドカフェを行ったり、特別支援教育に関する著名な先生を呼んできた講演会を開催したり、テーマを設けた対話の場をつくったりと、様々な学びの場をつくっていくことになった。


こういった勉強会や講演会に、毎回参加してくれる市議会議員さんがいた。何度か顔を合わせるうちに仲良くなり、学校や保育園などの在り方について意見交換をするようになった。
ある日、「ぜひ市議会の傍聴にも来てください!まさにこんな話をしてておもしろいですよ!!」と言われ、「まさか、そんな政治の世界で、こんな井戸端会議のネタが話されてるわけがない…」と半信半疑ながらも、せっかくなので傍聴に行ってみることにした。

恐る恐る行ってみたその場では、まさに私たちが普段話しているような学校や保育園の制度の話が展開されていて、正直とても驚いた。
私が議員さんに話していたことも、市民の困りごととしてちゃんと伝えてくれていて、我が家の問題だと思っていたものは、社会のシステム上の課題であり、そのシステムをより良くするために行政は努力し、議員は市民の声を届けているというまちの仕組みも、その時に初めてちゃんと理解することができた。
そして、その仕組みがわかったことで、これまで面倒だと思っていたPTAも、本当は保護者の声を学校や行政に届けていく役割を担っていて、さらにPTAから行政の委員会に保護者代表として参加したりもしていて、そういう団体がPTAの他にも地域にはいくつもあって、そういったつながりの中でまちがつくられているという「まちの仕組み」も、改めて理解することができた。

さらに、議員一人一人にも立ち位置があり、行政職員の方々にも様々な思いや関係性があり、複雑に絡み合う思いの中で市の事業が行われており、そこには「市政」という言葉でひとまとめにしてしまうにはあまりにもったいない、人間らしい魅力がつまったおもしろい世界が展開されていた。

本当におもしろかった。

おもしろかったのと同時に、それまでの子育ての中でぶつかってきた、孤育て・待機児童・療育難民・仕事と育児の両立の困難といったたくさんの問題が、本当は苦しんだり諦めたりもしなくていいことだったのだと、絶望が希望に変わっていくのを感じた。本当に救われたような気持ちになった。

これは、もっと多くの人に知ってほしい。もっと多くの人に関わってほしい。私だけじゃなく、”プロ市民”と呼ばれてしまうような人たちだけじゃなく、もっともっとたくさんの人に、一人一人が意思を持って、一人の市民としてちゃんと関わっていってほしい。
自分たちのまちのことは、自分たちで考えてつくっていく。そういう人が増えていくことで、まちはもっともっと良くなっていくのではないだろうか。
そういったことが当たり前に行われている社会が市民社会であり、本来目指したい社会の在り方なのではないだろうかと、そんな思いを強く持った。


そこで、まずはこのおもしろさを紹介するブログを書いてみた。
多くの人に知ってもらうために、徹底的に「私が感じるおもしろさ」だけに絞って紹介した記事は、友人の間で少しずつ話題になり、どうやら市政っておもしろいらしい、という噂がゆるやかに広まっていった。

さらに、私自身がこのおもしろさを体験してみたいと思い、いろんなことを実際にやってみることにした。
パブコメを出してみる・行政の委員に応募してみる・PTA等の要望提出に参加してみる・市長への手紙を書いてみる・市議会議員に声を届けてみる。
できる限りのことを体験しようと思ってみると、意外とまちの中には「市民」に開かれた機会がたくさんあり、その一つ一つをおもしろがりながら丁寧に関わっていくと、ちゃんと受け止めてもらえる仕組みが存在していることも実感し、それがまたおもしろかった。

ただ、ブログでおもしろさを伝えることはできても、一緒にやってみたい!という人はなかなか現れなかった。知ってもらうということはできても、もっと多くの人に関わってほしい、参加してほしいというところまではなかなかたどり着けずにいた。


そんな時に、地域の中で「まちの政治」についての学びの場が始まることになった。地域にあるカフェ「クルミドコーヒー」が運営する私設大学で、当時大学生だった鈴木さんが中心となって、「投票率80%のまちをつくる」をテーマに、1年間実践をしながら学んでいくことになった。(クルミド大学はちマルカレッジ

一緒におもしろがってくれる仲間が増える!と喜んだ私も一緒に学ぶことを決め、他にも20~40代のメンバーが7人集まり、メンバーが私のブログを読んでくれていたこともあり、それまで私が一人でおもしろがっていた「対話の場づくり」「市議会傍聴」「パブコメを書いてみる」「市の委員に応募してみる」「市議会議員に会いに行く」といったことに、みんなが挑戦しながら学んでいくことになった。

実際にそういった活動をやってみようとすると、腰が重くてなかなか進まなかったり、動き出しても運営上の問題が次々と起きたりもしたが、それでもなんとか実践をし続けていくうちに、メンバーの中に「やれるかも?!」「やってもいいよね!」「やっちゃえ!」という雰囲気ができてきた。

対話の場については、メンバーそれぞれが抱える課題をもとにテーマが設定され、それぞれの個性が活かされた多様な場がどんどんと開かれていくようになった。市議会傍聴にいたっては、コロナ禍というのもあり、メンバーみんなでZOOMにインターネット中継をつないでワイワイと雑談しながら市議会を傍聴した。
パブコメに関しては、「パブコメを書いてみよう!」というイベントを開き、いろんな人と意見交換をしながら自分の意見を醸成し、参加者の方が「パブコメ出してみたよ!」とおっしゃってくれることもあった。メンバー自身ももちろんだが、メンバーが開く場に参加してくれている方々の中にも、実践をしてくれる方が現れてきたのだ。

どうやらこれは、市民に開かれている参画の機会を、どれだけ楽しいイベントにして多くの人々と共有していけるのか、といった視点での新しい挑戦でもあるのだと気付かされた。


そんな中で、ちょうど都議会議員選挙と市長選挙と市議会議員補欠選挙のトリプル選挙がやってきた。こうなったら、選挙をどれだけおもしろがって、楽しいイベントにして共有していけるのか、という挑戦をしようと、カレッジのメンバーを中心に「国分寺の投票率を1位にプロジェクト」を立ち上げることになった。

そもそも、行政のトップを選び、市民の代表として声を届ける人を選ぶという行為は、市民としての一番根幹にある行政参画の機会である。しかし、そのおもしろさを投票行為だけにとどめてしまってはもったいない。
市長を選ぶということは、どんなまちがいいのか?ということの意思表示でもあり、そのためには、自分がどんな意思を持っているのかを知ることが大事である。そこで、公開作戦会議と題し、いろんな人とまちについての対話をし、「もし自分が市長だったら?」という妄想トークを繰り広げてみた。
さらに、その場に参加してくれた方が、選挙演説のおもしろがり方を教えてくれ、実際にまちなかで行われる選挙演説を回って候補者に会いに行くツアーも企画した。

選挙直前には、選挙公報をみんなでやいのやいのしながら見てみるというYouTubeライブを配信してみた。どんな言葉が気になったとか、このメッセージからどんなことを感じ取ったとか、メンバーの超個人的視点を発信していたら、それを見ている方から「初めて自分なりにしっかりと考えて、自信を持って投票できると思えるようになった」という声が届いた。
他にも「初めて街頭演説に行って候補者と直接話した」という声や、「このまちのことについて、初めて真剣に家族と話した」「初めてまわりの友だちと政治の話をしてみた」といった声が、SNS上で連日たくさんの人から寄せられるようになり、メンバーがまちを歩くと、選挙の事で話しかけられるという状態にまでなった。

自分たちのまちのことや、自分たちのまちの代表となる人のことを知って、おもしろがって、意思表示をして、このまちの政治を一緒に盛り上げていく。選挙期間とは、それが最大限に許される期間でもあり、こういった取り組みを繰り返していくことで、まち全体がどんどんバージョンアップしていける機会にもなるということを知った。

ちなみにこのプロジェクトは、その後もどんどんメンバーが増え、衆院選でも独自の若者目線での候補者インタビューをYouTubeにアップするなど、様々な視点から政治をおもしろがる取り組みを行い、選挙のたびにまちを騒がせる存在となってきている。


選挙の話と前後して、今度は市の特別支援教育に関する行政計画を策定する委員会の委員募集の話が舞い込んできた。
選挙がまちの代表を自分たちで選ぶという関わり方であるとすると、計画策定委員になるというのは直接まちの施策をつくっていくという関わり方である。こんなにおもしろい機会はない。
せっかくなので、これまでの活動で知り合った友人にも声をかけて、みんなで委員募集に申し込んでみることにした。みんなでワイワイと申し込んだ方がおもしろいし、一人で申し込むのは勇気が必要でも、みんなとならやってみようという気持ちになるのではないかと考えたからだ。

特別支援教育基本計画とは何か、策定委員会とは何かといったことから、市の特別支援教育にどんなことを期待するのか、といったことをみんなでやいのやいの言う会を行い、選考のために提出する作文はどんな作文がいいかなどを相談し合った。その場に集まった6人の内4人が応募し、1人が委員会のメンバーとして選ばれた。残念ながら私は選ばれなかったが、仲間が選ばれたということがとても嬉しく、これは私自身が直接参画するのではない盛り上げ方を求められているのだと思った。

委員会が始まってからも、そのメンバーで定期的に集まり、委員会に参加している友人の意見醸成の場として活用してもらうことにした。委員には守秘義務が課せられるので、共有できる範囲で委員会の様子を共有してもらいながら、どのような意見をどのように伝えていくといいのか、そもそも私たち一人ひとりが計画に対してどのような意見を持っているのかという事も話し合う場になった。
どんどん意見交換をしていくうちに、前の計画を読み込み、それに対する市の事業評価を確認し、計画の前提となっている市の教育ビジョンや総合ビジョンを確認し、市の予算についても触れるようになった。さらに途中から、私がPTAで行っていた不登校支援に関する取り組みのメンバーも加わり、新しい視点もどんどんと増えていった。

そして、計画案ができあがりパブコメが始まり、みんなでやいのやいの言っていたら、その様子を見た友人から「なんか面白そうだから詳しく教えて!」と声をかけてもらい、そもそもパブコメとは何か、特別支援教育基本計画案とは何かといったことを解説して、実際にパブコメを書いてみようという会を開くことになった。そこには、これまでまったくパブコメを書いたことも市政に関わったこともないという友人がたくさん参加してくれた。

これまでは行政の誰かが計画して、学校が勝手に行っていた「特別支援教育」が、自分たちで一緒につくっていったものになった。自分たちのまちを自分たちでつくる。まさにそれを体感する機会となった。
この活動は、今後もこの計画の推進状況を見守りながら、自分たちでやれることにも少しずつ取り組んでいこうといった話に展開している。


これまであげてきたどの活動も、ある意味ではとても無責任な活動である。市民として勝手にやいのやいのとおもしろがって、言いたいことを言っているだけである。
でもだからこそ自由におもしろい活動だけを展開することができていて、そのおもしろさを中心に人が巻き込まれ、気が付いたら自分たちのまちを自分たちでつくっていこう、参画していこうという意識が生まれるところまでたどり着いている。

すべては「おもしろい」という感覚から始まっている。

こういった在り方に「市民」という言葉がふさわしいのかどうかはわからない。「市民」という枠組みに課せられている責任や義務ではなく、権利を最大限におもしろがっているだけだとも言える。
しかし、この「おもしろい」を中心にした市民としての生き方をしていると、どうやらまわりにたくさんの「学び」が生まれていくようである。

実際、今私のまわりには、自分が抱える生活課題をテーマとして、人と学び合う場をつくり、まちの仕組みを理解した上で、様々な立場の人と対話を重ねながら、まちの新しい答えを一緒につくっていこうとしている人が、次々と増えている。
それこそが「市民」として生きるということであり、これからのまちの学びの在り方ではないのだろうかと、私は考える。


<プロフィール>
諏訪玲子

1983年茨城県生まれ。筑波大学にて教育学を学び、在学中は大学生と地域をつなげる学生団体の立ち上げに携わる。結婚・出産を経て、株式会社エンパブリックにて地域の場づくり支援を行う。現在は、国分寺で市民として様々に活動しながら、社会教育士(養成課程)を取得するために通信制の大学を科目履修中。
シェアリング・ラーニング共同代表。国分寺の投票率を1位にプロジェクト発起人。第4期国分寺市公民館運営審議会委員。元東京都子供・子育て会議委員。元国分寺市小・中学校PTA連合会副会長。3児の母。

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