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正常性バイアスのかかった自分を信じない

あけましておめでとうございます。

2023年も、なんというか本当に大変な1年でした。
前半は、統一地方選のために走り回り、とても楽しく充実した日々を過ごしていたのだけど、その疲れが取れないままに突入した後半。
PTA改革の波に巻き込まれ、びっくりするようなハラスメントを受け続け、もう本当に、平常心を保つので精一杯、という日々でした。

あれ?私がよくないの?私が間違ってる?
それとも、これはひどいハラスメント?
その間を行ったり来たりで、自分の感覚が信じられない。
人に話を聞いてもらっても、それは私のフィルターを通った話なわけで。
事実を集めたつもりでも、それは私に都合のいい事実のみなんじゃないか、と思ったり。
いやでも、やっぱりおかしいよね?
いや、そんなことないか。大丈夫だよね?

そんな状態を、私含めて数人が受け止め続けていたら、
精神的な負担が大き過ぎて、日常生活がままならないほどに疲弊し、
家族からの強制ストップで活動を離れるという人が、複数出てしまい。

その段階で、あぁこれはもう本当にダメなやつだった、と腹が据わり、
コミュニケーション手段を一部封鎖して、一応落ち着き、
なんとか年末を迎えることができました。

あぁ、本当はわかっていたはずなのに。
嫌というほど、傷付いているというのに。
対処が遅れてしまった。

「これは、そんなにおかしい状況ではない。
 もう少しすれば落ち着くはず。こうすればおさまるはず。
 大丈夫。大丈夫。大丈夫。」
と、事態を小さく捉えようとしてしまった。

多分、正常性バイアスが作動してしまっていた。

大学時代、アパートの3軒隣の部屋が火事を起こしたことがある。
明け方に、変な臭いがして目が覚める。
部屋のまわりをバタバタと走る足音が聞こえる。
寝ぼけながらカーテンの外を見たら、消防車が停まっている。
向かいのアパートの窓に、赤く光る炎が映って見える。

あ、火事か。なるほど。

寝ぼけながら、そう思った。
そして、しばらくそのままボーッと火事の様子を眺めて、ある程度おさまったところで、寝た。

翌日、近くに住んでる友人に、
「れいこのアパートが火事だ!ってなって駆けつけてさ。でも、出て来なかったから、いないんだと思った。まさかあんな燃えてるアパートの中にいたなんて思わなかったよ。」
と愕然とされた。

火事を起こした部屋の人も、後日訪ねてきて、
「起きたら自分の部屋が火事になってて、もう消化器でも無理だってなったんで、全部屋をノックして回って、逃げてくださいって伝えたんです。」
と言われた。
その声には気付かず、火事には気付いたけど部屋の中で寝てたと言ったら、絶句された。

部屋にとどまって寝た時の判断は、今でもよく覚えている。
・消防車が来ているから大丈夫。
・その部屋と自分の部屋の間にある階段を、みんながバタバタと走ってるから大丈夫。
・このアパート木造じゃないし大丈夫。
・最悪、2階だから飛び降りれば大丈夫。
・出ろって言われてないし大丈夫。
・というか、なんかもう出る人はみんな外に出てるっぽくて、今さら出にくいし。
・もしかしたら、外に出たほうが危ないかもしれないよね。
・ちょっと火も消えてきたっぽいし、もう大丈夫。

今になれば、これが正常性バイアスによる間違った判断だという事がわかる。
大丈夫なわけがない。
何軒隣の部屋なのかもわかってない。
ガス的な何かに引火して爆発したっておかしくない。
その時は、たまたま大丈夫だっただけ。

それでも、あの日の私は動かなかった。
動けなかった。

正常性バイアスを信じてしまった。

2024年の年が明けて、驚くような事が続いている。
いや、もうここ何年もずっと、驚くような事ばかり続いている。
そのたびに、身体がキュッと固くなって動けなくなりながら、事態をできるだけ小さく受け止めようとしている自分に気が付く。

大丈夫、これはよくあることだから。
そんなひどいことにはならないから。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。

この、
非常事態を大した事ないと思いたがり、
心のバランスを取ろうとする脳の働き
のことを、
「正常性バイアス」と呼ぶんだと知ってから、
私は、非常時の自分の脳を信じない事にしている。

普段から、わりと何でも受け入れるタイプの人間だと思う。
「そういう事もあるよね。」
「そういう人もいるよね。」
でも、それはいつも小さいことで心が驚いていて、その驚いた心を落ち着かせるために、正常性バイアスを働かせているからだとも思っている。

傷付きたくない自分を守るため?
傷付いた自分の心を守るため?

実際のところは、心はいつも激しく動いていて、
いつも、バランスを取るのに必死になっているのに。

だからこそ、大きな事が起きた時は、
事実を小さく受け止めすぎてないか、気を付けるようにしている。
そして、心が大きく動いている自分を、忘れないようにもしている。

大丈夫だって思ってるけど、たぶん大丈夫じゃないから。
大丈夫だって思ってるけど、たぶん逃げた方がいいから。
大丈夫だって思ってるけど、たぶん蓋をしているだけだから。

正常性バイアスが作動しやすい自分だと自覚しているからこそ、
そうやって、正常性バイアスの影響を減らすようにしている。

そして、少し落ち着いたら、少しずつ蓋を開けてみる。

本当はね。
少しでも恐怖を感じたのなら、いつだって私は逃げていい。
大げさなくらいに怖いって思ってもいい。不安になったっていい。
今からだって、いつからだって、逃げてもいいんだよ。
と、何度も何度も自分に言い聞かせる。

火事で逃げれなかった私も、
ハラスメントから逃げれなかった私も、
「今さらだけど、逃げてもいいのかな?」と聞けたら、
もしかしたら、もっと早く逃げることができたのかなと思う。

今は、この瞬間は、私は安全な場所にいるけれど、
またいつ危険な状態になるか、わからない。

だからこそ、私は、
「正常性バイアスのかかった自分を信じない」
と、心に決めている。

どうぞ皆さま、
今年も無理せず、
生き抜いていきましょう。

大丈夫じゃなくて、いいから。
大丈夫じゃなくて、大丈夫だから。

今年もよろしくお願いいたします。

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