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人生で大切なことは、田中賢介に教わった。

2006年って何があった年か、覚えているだろうか?

KAT-TUNがReal Faceで華々しくデビューし、ポルノグラフィティの心は空を裂く号令を聞いたあの頃。

北海道では、ファイターズが日本一になった。シーズン開幕直後にSHINJOが引退を宣言し、その勢いのままレギュラーシーズンを勝ち抜いて、プレーオフでホークスとの歴史に残る死闘を制し、日本シリーズでは4勝1敗と黄金期のドラゴンズを圧倒した、あの年。

野球をやってもカメラの前に立っても超一流のSHINJOの眩しすぎる姿は、北海道の小さな街に暮らす小5のはなたれ小僧・梶礼哉くんには刺激が強すぎた。「かっこいい、俺も野球選手になりたい」そう思うのは自然な流れで、周りの子たちと公園でやる野球に参加するようになった。

だけど現実は厳しい。クラスメイトのほとんどが、俺よりうまい。少年野球チームに入ってる子だと、年下でも速い球を投げて遠くへ飛ばす子がゴロゴロいた。どうやら、俺、SHINJOになれそうにないな。夢は、割とすぐに潰えた。

それでも、SHINJOをきっかけに始めた野球というスポーツが、俺は好きだった。水泳や剣道など他にやっていたスポーツを全部やめて、小5の終わりから近所の野球チームに入った。なんとか試合に出たいと思った。SHINJOみたいにホームランは打てない、肩も強くないし守備もうまくない、でも足はちょっと速い方だった。何かひとつ、活躍するための武器が欲しかった。

そんな時、テレビの解説者がこう言った。

「田中のバントは地味ですけど、チームに絶対に必要なんですよね〜」

田中賢介と俺の出会いである。

トレイ・ヒルマン監督のもと、当時のファイターズでは塁に出たランナーを確実にバントで得点圏に進め、主軸が打って還す形を確立していた。その象徴的存在が、2番セカンド・田中賢介だった。当時のパシフィック・リーグ記録となるシーズン34犠打を決め、ファイターズ打線の貴重な繋ぎ役として機能した。

なるほど、バットを振ってもボールに当てられないが、バットを寝かせてボールに当てて転がすだけなら、なんとかやれるかもしれない。

そう考えるようになって、レギュラー定着したてで売り出し中の若手・田中賢介のバントの構えを観察するようになった。田中賢介の二塁守備もよく見た。肩の弱い自分が守備範囲の広い外野手をやるのは厳しそうだったので、一塁に近くて遠くにあんまり投げなくてもいい二塁手は俺が目指せる可能性がわずかにあるポジションだった。

必死だった。画面で見る田中賢介は常に落ち着いた表情をしていた(ように見えた)けれど、目の奥がいつも燃えていた。俺も必死に野球がうまくなろうとした。どこかで、田中賢介と一緒に頑張っているような気になっていた。おこがましすぎるけど。

その後、彼は4度の優勝に貢献したのち、アメリカに渡ってメジャーデビューを果たしてオバマ大統領と写真を撮り、2015年にファイターズに復帰してからは若く生まれ変わったチームを支えた。2016年、シーズンを通してセカンドのレギュラーとして試合に出続け、日本一を決めた試合で最後のアウトとなるセカンドフライを掴んだのも記憶に新しい。

その間、俺は押しも押されもせぬレギュラー、にはなれなかった。小学校では「まあ6年生だし」というお情けのような形でちょこちょこ試合に出してもらったものの、公式戦でのヒットはゼロ。ベンチで声を出したり、グラウンド整備をちゃんとやったり、そういう必死な部分を評価してもらったところはあるけど、選手としての結果は出なかった。

でも、引退する前にやった最後の紅白戦で、チームのエースからセーフティバントを決めることができた。その時に監督がボソっと言った「梶、プロみたい。」という言葉は、多分一生忘れない。

22歳になったいま、俺は野球をプレーする側ではない。贔屓の試合結果に一喜一憂する、大多数のプロ野球ファンと同じ日々を送っている。しかし、今年はちょっとだけ気分が違う。田中賢介が引退するから。

代打の打席で、今年引退するおっさんとは思えない巧みな打撃技術を披露する彼を、食い入るように見つめている。

賢介を応援しはじめて早13年。賢介は打撃技術の向上もあってバントをあんまりしなくなり、結婚して、メジャー挑戦して、ファイターズに帰ってきて、そして今年引退する。俺は中学生になり、高校生になり大学生になり、そして今年は新卒1年目。大卒ルーキーである。もしプロ野球選手になれてたら、ギリギリ賢介と一緒にプレーできてた年齢である。

大人になってから、余計に田中賢介の凄さは身に染みる。長く活躍すること、自分のスタイルを変えること、成長を求めて外に出ること。そして、また帰ってくること。誰にでもできることじゃない。プロ野球というフィールドじゃないにしても、自分は同じように戦えるだろうか。

2019年のファイターズ、残り48試合。
日本シリーズまで行けば、プラスもう10試合くらい?田中賢介を全力で応援する。

きっと、俺は彼からまだ学ぶことがある。
彼は彼で、最後は優勝に用がある。
ならば、どれだけタフなゲームになっても、僕は待とう。いや、僕らだな。

僕らは、輝く瞬間を待とう。

#プロ野球 #北海道日本ハムファイターズ #田中賢介 #エッセイ #引退

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