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手帳

毎年手帳というものを買っている。決まったスケジュールが殆どであり不規則な仕事やプライベートの予定はほぼ皆無ではあるが、それでもマンスリースケジュールは几帳面に書き留めている。

でも、デイリーのページが1ページずつ設けてある割と分厚いタイプの手帳を購入しているにも関わらず手帳の90%以上を占めるデイリーのページは毎年何も記されないまま終わる。このSDG's全盛の世の中でそんなことをしていては非国民と呼ばれて槍で突かれるのではないか…と些か不安になり今年から日々の記録を書き込む習慣を自分に課した。

日頃デジタルデバイスばかりいじっていると文字というものを書かなくなる。その昔書道やペン字を習ったのに久しぶりに役所などで書かされる文字は残念な有様に落ちぶれているし、漢字が見事に書けなくなっている。また、何もない真っさらなページに文字を書くとペース配分の感覚も鈍っているのでぎゅうぎゅう詰めになったり余白が異常に多くなったり。

誰に見せるためのものでは無いのでカッコつける必要など無いのだが、もし仮に僕が突然死して遺品整理をしてくれた人がこの手帳を発見し手に取ってついつい読み進めてしまうようなものが書けたら良いな…と思ったのだ。しかし書いてる内容は別にオモシロオカシイものではなくただの忘備録でしかないのだが。

そんな動機とか世論とかは置いといて、書くという作業はなかなか良い。スマホのメモアプリに文章を打ち込むのとは違って予測変換などしてくれないから全て自分で構築せねばならない。先に述べたようにあやふやに覚えていた漢字を確認できる。ページをどう埋めるかのデッサン能力が試される。

そして何よりも書いた後で脳がスッキリする。

昔の人達が徒然なるままに記した書物に思いを馳せ、彼等の澄み切っていたであろう脳内環境に少しでも近づきたく次は万年筆を購入しようと考えている。

本末転倒とはこのことである。

2年続けて購入している「ほぼ日」の手帳

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