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美しい文章

美しい文章が書ける人になりたい。

これは割と長年の夢。

沢山書物を読んだからと言って素敵な文章が書ける保証は無い。それはダンスも同じで良いものを沢山観てきたからと言って素晴らしいダンスを踊れるようになるとは限らない。

見聞きしたものを一旦自分の中に落とし込んで混じりっ気の無い純粋な感想を抽出して借り物では無い自分の言葉で表す、その作業には膨大な時間が掛かるのだと気付いたのは本当につい最近のこと。

noteを始めようと思いついたのも、20年以上好き勝手に書き綴ってきたblogが自分でも気色悪いと感じ凝り固まった情念とか勘違いした毒舌とは無縁の世界に飛び出したい、とコロナ禍で考え始めたのがきっかけ。

以来、思いの丈を綴れば綴るほど自分自身に呪いを掛けているような状況からは脱せたと思う。依然として「美しい文章」は遠い山のそのまた向こうに霞んで見える手の届かない領域ではあるが、簡潔に述べる習慣は身に付いてきた気がする。

感情の起伏に任せて荒々しい言葉や論法を選択するのではなく、穏やかな気分の時にポッと頭に浮かんだ言葉に置き換える。そうすると余計な修飾語は全て篩い落とされて簡素な言葉だけが残る。

美しい文章を書ける人の一つの特徴は美辞麗句や難解な単語の羅列ではなくシンプルな単語がまるで音階のように並んでいる。

きっとそうなんだ。心地良い音楽や良い匂い、手触りの良いブランケットや息を飲む朝焼け。そんなことを連想させる文章がきっと美しい文章なのかもしれない。

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