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地獄の十王 その4.五官王

創作のために創作する。十王をキャラクター化しておもしろい作品に昇華できるのでは?という試み。

第四のお裁きは、死後28日目。ほぼ一ヶ月後だ。

本記事で取り扱うのはその名も“五官王(ごかんおう)”

前回、アホには暴力をもって教える宋帝王によってボロボロになった亡者。
今回はさらにズダボロになるようで......

さらにこの王。亡者にとんでもない罰を与えてくるのだ

はたしてどんな目に遭うのかな......?
そのメモである。

1.煮えたぎる地獄の河と地獄アイテム・業秤

グツグツグツグツ......
ボコボコボコボコ......

亡者の前に囂々(ごうごう)と現れるのは、“業江(ごうこう)”という煮えたぎる大河だ。

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亡者は五官王の裁きのため、御殿を目指す。
そのためにこの河を超えなければならない!ギャ~

その長さ1500km!!ギャ~ギャ~
ほぼ本州と同じサイズにも及ぶらしい、この煮えたぎる川を7日間ものあいだ渡らされる。

沸き立つほどの熱さだけでなく、亡者たちの死体による強烈な腐敗臭、さらに河辺にはガシガシと齧り付いてくる大量の毒虫が生息しているという。
地獄か?!

地獄だ!!ヤダーーー

嫌がる亡者は、獄卒に突き落とされてドボンッ!です


さて灼熱遊泳を終えて到着した五官王の御前。
もうその頃には、亡者はめちゃくちゃのボロボロである...

自分の陥っている状況や仕打ちに対し、亡者は嘆き訴える。
「こんなのあまりに辛すぎます!非道い!やりすぎです!!」
御殿につく頃には、減刑や軽罰化を望む亡者でいっぱいだ。

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これまで、亡者は地獄の長い長い旅の中で、少なからず“苦痛”を味わってきた。

第一の王・泰広王には初っぱなからブチ切れられ、
第二の王・初江王には生前の行いの尽くをまざまざと晒され、
第三の王・宋帝王には業関にてギッタンギッタンに切り刻まれた。

しかし、それは亡者自身の罪に相応しい罰。自業自得を突きつける苦痛だ。
いわばまだ、「亡者本人の枠に収まった苦痛」でしかない。

ここから先、今までの甘ちゃんとは違う......
第四の王・五官王が与えるのは「亡者個人では収まらない広大な苦痛」。
恐るべき罰を与えるのだ。

それは五官王の罪に対する考え方に現れている

「小さなことも大きな結果をもたらす」

それでは王の与える裁きから、それを明らかにしよう。

2.与える裁き

五官王の裁きは、はっきりいって冷酷・無慈悲である。
裁くのは、亡者の“嘘”についてだ。

では、
地獄において、“嘘”がどういう扱いなのか確認する。

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普段われわれが嘘をつくときはどんな時だろうか。
“だれかに怒られそうなとき”ではないだろうか?
「うっかり寝坊した!」
「忘れ物をした!」
「悪口が聞かれてしまった!」

そんなときに「いや、違うんだよ~(汗」と誤魔化そうと企む。
こういう場面が重なることで、生前の人はたくさんの嘘をついていく。

実は地獄では、そうした嘘はあまり咎められない。
なぜならこうした、自分の失敗や過失などで怒られてしまう!と自覚して生じる嘘は、人間同士のコミュニケーション上で生じる反応だからだ。


そしてこの時、「怒られるかも...」と焦っていることも大切だ。
“誰かに怒られるかも=自分は良くないことをしてしまった”
という気持ちがなんとか誤魔化したいという焦りを生んでいるからだ。

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問題なのは、

「自分の罪を忘れること=反省しないこと」コレ!!

たとえ嘘をついてしまったとしても、そこには社会的な弱者に向けた哀れみが含まれている。先生とか、上司に怒られるのは誰だって怖いもん。
だから、誤魔化そうとするのは実に人間的な反応だ。

ただし、
その誤魔化すことを当たり前だと思うこと。自分の罪の自覚そのものを忘れるために嘘をつくこと。
これこそ、地獄において罪となる“嘘”である。
自分の罪は自分でしっかり受け止めなければダメなのだ。

もし、五官王の前において“罪を誤魔化すための嘘”をつきつづけるのであれば、五官王は亡者個人の範囲を超えた罰を与える。


それはズバリ。

亡者の存在=記憶を現世の者から消し去る。

これこそ五官王が裁く最大の罪であり、与える最大の罰だ。


亡者にとって現世に残っている家族や子ども、知人は追善(弔いやお経を唱えてあげることで、亡者の罪を軽減させること)という重要な役目を果たせる存在だ。

自分を“嘘”という虚構で固めた亡者には、その存在自体を“虚像”にしてしまう。
こえ~~~( ^ . ^ ;


五官王は、業江を渡りきり疲弊した亡者たちに冷告する。

「自分の罪に対する罰が、予想以上に過剰であっても受けるのは当然」

生前、亡者が犯した罪がたとえ些細なものであったとしても、たとえ生前に法律で犯罪とならない程度の悪事も、地獄ではれっきとした“罪”なのだ。
何かしらの制裁がないからといって、それが果たして許された行為であるとは限らない。
罰がなかったからといって、忘れること(無かったことにする)が許されるわけではないのだ。

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ちなみに五官王は地獄アイテムの一つ、業秤(ごうはかり)を持っている。
これは巨大な天秤であり、片側に亡者を乗せるとその罪の重さによって上下する。
※エジプト神話にもこんなのあったよね。


これによって亡者は、はっきりとした「重さ」として、自分が忘れていた=誤魔化していた多くの罪を自覚せざるをえなくなる。

「些細に思っていても、その実、大罪だ。」

地獄で“嘘”はダメだよ~。

3.信仰対象としては「普賢菩薩」

五官王の本地は「普賢菩薩」

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大乗仏教の崇拝対象となる仏様の一人だ。

「慈悲」を司り、あまねく全ての人に智賢と救いを授けてくれる
それは、女性成仏を説くお経に登場し、女性の信仰を多く集めたことからもわかる。
普賢菩薩さまの前には、救いの対象は男・女・賢・愚、関係ないのだ。ヤサシイ!!

また、普賢菩薩には「十羅刹女」という眷属がいる。
これは10柱の鬼神であり、いわば仏様バージョン鬼殺隊だ。

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彼女らは元、恐るべき鬼神であったが、普賢菩薩さまの教えと救おうとする導きによって、みな仏の道に励むこと、仏徒を守護する護神となること選んだ鬼神たちである。

※メンバー

1.藍婆(らんば)
2.毘藍婆(びらんば)
3.曲歯(こくし)
4.華歯(けし)
5.黒歯(こくし)
6.多髪(たほつ)
7.無厭足(むえんぞく)
8.持瓔珞(じようらく)
9.皐諦(こうたい)
10.奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)

またこれに、「鬼子母神」をリーダー(母)として眷属に含むこともある。
ここにも男性だけでなく、女性も仏の教えによって救おうとする普賢菩薩の態度。手厚い女性信仰を受けた背景が見られる。

これと結びつければ、業秤を用いる五官王の冷酷でキッカリした裁きには、

皆、等しい罪を。
皆、等しい罰を。
皆、等しい救いを。

という「平等たる救い(慈悲)の態度」の裏返しであると見えるだろう。

また、嘘つきな亡者に「追善の不可」という亡者にとって致命的?な罰を与えることもそうだ。
これは亡者ではなく、現世に残っている亡者のために一生懸命弔いをしようとする生者に対して、その思いを汲んであげている=無駄にしないため。亡者には“裏切り”に相当する罰を与えている。
地獄の十王であるのにきちんと、生き別れて残された生者の気持ちも考えてあげているのだ!

......ツンデレ?


個人的に筆者は、五官王のキャラ。
キッチリしていて、厳しくも思える冷酷さ。だけどそこには、どんな相手にも平等な慈悲を向けているっていうのが、「不器用な真面目さん」にみえてしまう。

好きだわ。

4.〈参考文献など〉

『地獄の経典』山本 健治(2018)株式会社サンガ
『地獄巡り』加須屋 誠(2019)講談社現代新書
『十王讃歎鈔』系諸本と六道十王図 鷹巣 純(1997) 純東海仏教 (42), 1-17.東海印度学仏教学会
死後の十王(全13回)2020.10.10

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